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「出土した岐阜の逸品」No.8信長も愛した白天目茶碗を紹介
【逸品No.8】信長も愛した白天目茶碗(浦畑遺跡・針田遺跡)
逸品情報

浦畑遺跡出土白天目茶碗(口径12センチ4ミリ、器高5センチ9ミリ、高台径4センチ9ミリ)

針田遺跡出土白天目茶碗(口径11センチ4ミリ、器高6センチ2ミリ、高台径4センチ4ミリ)
本逸品の素晴らしさ
13世紀末以降、主に瀬戸・美濃窯で生産された天目茶碗は、中国から輸入された建盞(けんさん:福建省建窯(けんよう)の天目茶碗)や灰被(はいかつぎ)天目を模倣したもので、鉄釉を施した黒褐色、暗茶褐色を呈するものが一般的でした。「白天目茶碗」(はくてんもくちゃわん、しろてんもくちゃわん)は、灰釉(かいゆう)系の釉薬を施した白い天目茶碗で、伝世品は極めて少なく、中でも千利休の師である武野紹鴎(たけのじょうおう)(1502生、1555没)が所持した三碗(尾張徳川家、加賀前田家、肥後細川家などに伝世。このうち2点は重要文化財。)は特に名高いものです。室町時代から安土桃山時代の「茶会記」にも白天目茶碗に関する記載が散見され、天正元年(1573)11月の織田信長が催した茶会でも使用されたという記録が残ります(『信長(しんちょう)公記』)。生産地は長らくはっきりしていませんでしたが、平成7年(1995)、多治見市の小名田窯下古窯から初めて白天目茶碗が出土し大きな話題となりました。発掘されたのは16世紀代の大窯3基と17世紀から18世紀代の連房式登り窯2基で、白天目茶碗は、このうち16世紀前半に操業した6号窯で焼かれたものと推定されています。
今回紹介するのは、県内の集落遺跡(御嵩町の浦畑(うらはた)遺跡、美濃加茂市の針田(はりた)遺跡)から出土した貴重な白天目茶碗2点です。ともに体部内面から外面上半にやや透明感のある灰白色の釉を施しています。口縁部は殆ど括れず、体部の張りが僅かな器形をもち、削り出し輪高台の脇の切り回し面が狭いなど、大窯前期の天目茶碗の特徴を良く表しています。これらは紹鴎所持の伝世品や小名田窯下古窯出土品と同時期の製品であると考えられます。
出土遺跡
浦畑遺跡
木曽川左岸の段丘面に存在する中世から近世の集落遺跡。遺跡の南側には本能寺の変(1582)後、森長可によって攻略された上恵土城があったとされ、この城とも大きな関りをもった集落と考えられています。平成13年から15年の発掘調査では、土塁、地境溝、掘立柱建物など鎌倉時代から江戸時代に帰属する遺構が多数検出されました。白天目茶碗は、江戸時代の区画溝(G301)から出土しました。

浦畑遺跡全景
針田遺跡
飛騨川左岸の段丘面に存在する縄文時代から中世の集落遺跡。平成10年度の発掘調査では、古墳時代から平安時代の竪穴建物跡50軒や溝など多数の遺構が検出されました。また34軒の建物跡から古代の製塩土器が纏まって出土しており、海岸地域と活発な交流があったことが判りました。白天目茶碗は中世から近世に掘られたと考えられる小穴(Pit780)から出土しました。

針田遺跡全景

