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25.亥年濃州江渡・美江寺・呂久船橋道具割帳

亥年濃州江渡・美江寺・呂久船橋道具割帳美江寺に架設された船橋の資材負担領主・代官(一部)
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資料名:亥年濃州江渡・美江寺・呂久船橋道具割帳
資料名(ふりがな):いどしのうしゅうごうど・みえじ・ろくふなばしどうぐわりちょう
年代:慶長16年(1611)
資料番号:美濃郡代笠松陣屋堤方役所文書2・08-14-3

解説:
大御所徳川家康が上洛した際、美濃の江渡(河渡、岐阜市)、美江寺・呂久(瑞穂市)に船橋を架けるための資材割り当て記録。
この船橋のため、美濃国内の領主・代官が資材を負担し、船は尾張・伊勢からも集められた。
徳川家臣だけでなく、美濃に領地を持つ豊臣家臣も船橋の資材を負担した。
表 慶長16年、美江寺に架設された船橋の資材負担領主・代官 [PDFファイル/272KB]

関ヶ原合戦後の美濃の豊臣家臣領
関ヶ原合戦後、美濃の西軍方大名の大半は改易された。しかし、江戸幕府が開かれた後も、美濃には豊臣家臣の領地が残存した。
慶長16年(1611)時点で美濃に領地を持つ豊臣家臣は13名で、彼らは豊臣秀頼の旗本や直轄軍の隊長であった。その中には、豊臣氏の領地である摂津・和泉の国絵図作成担当や豊国神社(秀吉を祀る神社)の祭礼の奉行を務めるなど、行政実務に携わる者もいた。
豊臣家臣の領地は、西濃で4郡(不破・大野・池田・山県)、中濃で1郡(加茂)に所在した。領地の規模は、13名合わせて1万2,000石余りと大きくはない。しかし、池田郡の領地が郡の南部に集まっているように、西濃・中濃でまとまりを持って存在していた。
図 慶長16年(1611)時点の美濃における豊臣家臣領所在地 [PDFファイル/32.15MB] 
※この図に記載されている他、加茂郡内には9ヶ村、豊臣家臣領が存在していた。

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