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14.和田恒成書状 写
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資料名:和田恒成書状 写
資料名(ふりがな):わだつねなりしょじょううつし
年代:慶長6年(1601)頃
資料番号:明治期岐阜県庁事務文書3・27-4-2
解説:
和田恒成から真長寺への回答。和田は美濃国奉行大久保長安の配下。
和田は寺領に関する問い合わせに対し、宮之上村(岐阜市)内の同寺領と徳川領とは明確に区別されているとする。
この背景には、同村に徳川領が新たに設定されたため、真長寺が自領の支配に不安を持ったことがあったと考えられる。