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12.遠藤慶隆寄進状 写
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資料名:遠藤慶隆寄進状 写
資料名(ふりがな):えんどうよしたかきしんじょううつし
年代:慶長5年(1600)
資料番号:明治期岐阜県庁事務文書3・38-77-2
解説:
関ヶ原合戦後、遠藤慶隆が長瀧寺(郡上市)へ76石の土地を寄進したもの。
遠藤は豊臣秀吉により、本領郡上郡から加茂郡小原(白川町)に移され、関ヶ原合戦では東軍についた。東軍が勝利したことで遠藤は、旧領の郡上郡に復帰できた。文中「郡上郡本意仕候(ぐじょうぐんほんいつかまつりそうろう)」とは、このことを指すと考えられる。