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11.徳川家康禁制 写
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資料名:徳川家康禁制 写
資料名(ふりがな):とくがわいえやすきんぜいうつし
年代:慶長5年(1600)
資料番号:明治期岐阜県庁事務文書3・38-36
解説:
徳川家康が安八郡の楡俣村他6ヶ村(輪之内町)における軍勢の濫妨狼藉を禁じたもの。
家康は関ヶ原合戦の翌日から同月23日にかけて同様の禁制を美濃や畿内近国に出している。合戦終了後も東軍諸将の軍勢は大坂に向けて進軍しており、それらによる暴力行為を禁止することも重要な課題であった。
徳川家康:
三河国(愛知県)の大名。織田信長と同盟し、遠江国、駿河国(いずれも静岡県)に勢力を伸ばした。信長死後は、羽柴秀吉と戦うが、のち臣従する。
天正18年(1590)には関東に転封となり、江戸を本拠とした。慶長5年(1600)、関ヶ原合戦に勝利し、その3年後に幕府を開いた。