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9.織田秀信禁制 写

織田秀信禁制写
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資料名:織田秀信禁制 写
資料名(ふりがな):おだひでのぶきんぜいうつし
年代:慶長5年(1600)
資料番号:明治期岐阜県庁事務文書3・38-5

解説:
西軍の岐阜城主織田秀信が、宝林坊(岐阜市)での軍勢の乱妨狼藉を禁じたもの。東軍による岐阜城攻め直前のものと推測される。
実は、宝林坊は東軍の池田輝政からも同様の禁制を受けていた。岐阜城周辺が戦場となることが予想される中、地域の人々は東西両軍から安全の保障を得ようとしていた。

岐阜城主 織田秀信
織田信長の嫡孫。豊臣政権下では、岐阜城主として美濃国内で最大の13万3,000石を与えられ、同国内の小大名が与力に付けられた。
関ヶ原合戦では西軍につくが、慶長5年(1600)8月23日、東軍に岐阜城を攻略されて降伏する。その後高野山に移り、慶長10年に同地で没した。

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