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第弐拾番中学区飛驒国小学校受持区画図

14.第弐拾番中学区飛驒国小学校受持区画図

学区取締受持図
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資料名:第弐拾番中学区飛驒国小学校受持区画図
資料名(ふりがな):だいにじゅうばんちゅうがっくひだのくにしょうがっこううけもちくかくず
年代:明治7-10年(1874-77)
資料番号:飛騨郡代高山陣屋文書1・87-44-14

解説:
飛驒の学区取締の管轄地域を色分けで示している。
学制では、人口13万につき、一つの中学区が設けられた。筑摩県であった飛驒には、中学区(第20番中学区)が一つ設けられ、6名の学区取締が県から任命された。
学区取締は、広大な管轄地域を自ら回り、学校設立の推進や就学の督促などに従事した。

学区制-教育行政の単位-:
文部省は、フランスを模範に、学区制を導入した。全国を8大学区(のち7大学区)に分け、さらに1大学区を32中学区、1中学区を210の小学区に区分した。そして、各区に小学校を1所ずつ置く、すなわち全国に合計5万3,760の小学校を設置するという壮大な計画を打ち出した。また1中学区あたりの標準の人口を約13万とし、一般行政区画とは別に、教育行政のための独立した区画設置を目指したのである。
岐阜県(美濃)では、文部省の示す標準人口に従い、5中学区、1,054小学区が置かれた。
学制発布当時、筑摩県の管轄下にあった飛驒の人口は、10万人足らずであったため、文部省の示す基準に達しなかったが、飛驒地域だけで1中学区となった。

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