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明治五年御用状留

2.明治五年御用状留

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資料名:明治五年御用状留
資料名(ふりがな):めいじごねんごようじょうどめ
年代:明治5年(1872)
資料番号:大前家文書A10-(1)-2

解説:
筑摩県益田郡中呂村(下呂市)の戸長が書写した学制布告書と筑摩県の指示書。
学制発布を受けた筑摩県は、学校設立は急務として、村々の戸長、副戸長、学校世話役らに学制を熟読し、布告書を書写するよう指示した。ただし、布告書は長文であり、実際に写されたのは4分の1程度であった。

岐阜県と筑摩県-異なる県だった飛驒と美濃-:
明治4年(1871)7月、廃藩置県により美濃国内には、それまでに設置されていた笠松県と合わせて12の県が誕生した。同年11月、美濃の諸県は統一されて岐阜県が誕生した。
同じ頃、飛驒に設置されていた高山県は廃止され、飛驒は信濃の四郡(筑摩・安曇・諏訪・伊那)と共に筑摩県に属した。
明治9年8月、筑摩県は廃止され、飛驒と美濃を県域とする新しい岐阜県が誕生する。
明治5年に学制が発布されてから筑摩県が廃止されるまでの4年間、飛驒と美濃は異なる行政区域の中で、それぞれの教育政策が展開されていた。

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