本文
19女子挺身隊
岐阜県歴史資料館授業にも使える当館所蔵史料
No.19女子挺身隊
「女子挺身隊(ていしんたい)入隊式」【林氏文書90−163号】
・・・戦争の長期化で女子が工場へ動員された!
解説
昭和16(1941)年、日本は太平洋戦争に突入した。この戦争は長期化し、資金・資材・労働力が払底していった。このため軍部は戦争遂行のため軍需生産増強を図った。しかし、生産活動に従事すべき男子は戦場へ駆り出されていた。
そこで、これに代わる労働力として女子や学生が検討された。その結果、昭和18(1943)年から女子挺身隊の組織化が進められ、翌年、「女子挺身隊勤労令」が発せられた。これは、事実上の強制徴用で、14歳から25歳までの未婚女子が工場へ動員されたのである。しかし、熟練の技術には程遠く、生産性の向上にはつながらなかった。
掲載の史料は、女子挺身隊の入隊式の写真である。撮影された日付はわからないが、おそらく昭和18年から19年に撮影されたものであろうか。写真中央左に一列に並んでいる14名がその該当者であろう。これは、現在の大垣市三塚町にある大垣市立東小学校で行われたもので、同校のラッパ隊が彼女たちの入隊を祝って演奏したようである。
昭和19(1944)年2月、法令の改正により、12歳以上が労働力とみなされるようになった。この段階での挺身隊は全国で約16万人であったという。軍部は労働力を確保するために年齢層を下げたことがわかる。
戦争末期の日本は、多くの女子や学生が軍需工場に動員され労働にあたった。
用語について
女子挺身隊(じょしていしんたい)
太平洋戦争中における女子勤労動員組織。14歳から25歳未満の女子を居住地・職域で組織した。
昭和18(1943)年の閣議決定で実施、翌年の女子挺身勤労令により一年間の勤労奉仕を義務づけた。
史料の授業等への利用について
申請書(様式 [Wordファイル/19KB])を歴史資料館へお送り下さい。