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17第1回総選挙入場券

岐阜県歴史資料館授業に使える当館所蔵史料

No.17第1回総選挙入場券

「第1回総選挙入場券」【内田家文書10-36-1・2号】
・・・・誰が投票できたのか?岐阜県の選挙人総数は?


投票入場券表投票入場券裏
史料(1)表,史料(1)裏

到着順札
史料(2)

解説

 明治22(1889)年、大日本帝国憲法が発布され、同年2月11日に衆議院議員選挙法が公布された。この法律は選挙区画、選挙人(有権者)及び被選挙人の資格、議員の任期、選挙会等について規定し、議員の任期は4年、選挙人は満25歳以上の男子で直接国税15円以上を納める者、被選挙人は満30歳以上の男子で直接国税15円以上を納める者とした。衆議院議員の定数は全国で300人で、岐阜県選出議員は7区7人(各区1人)であった。
 当時の選挙区割は表の通りである。
 第1回衆議院議員選挙は明治23(1890)年7月に行われた。全国を257の選挙区に分け、約12万人に1人の割合で選出するように考えた。全国の選挙人は約45万人で、全人口の約1.1%であった。岐阜県の選挙人総数は10113人で、第1回総選挙の本県投票率は約94%(全国平均94%)で非常に高い投票率であったという。その後、投票率は低下し、第6回明治31(1898)年の投票率は約84%(全国平均80%)までに下がった。
 上記の史料(1)は、「衆議院議員選挙投票所入場券」である。この史料(1)表には、「選挙人名簿の番号」「選挙人ノ住所姓名」「投票ノ場所」「投票ノ日時」の項目があり、選挙人は全ての項目を記入し、投票していたことが分かる。また、史料(1)裏には、「選挙人ハ此券表面姓名ノ下ニ実印ヲ捺シ投票所ノ當日持参シ之ト引換ニ到着番号札ヲ受取リ投票所ニ入場スヘシ」と投票所管理名で記載してある。
 つまり、選挙人が投票所で史料(1)を差し出し、そこで到着番号札と引き替えたのである。その番号札が史料(2)である。投票所では警察官が投票を監視し、政党関係者が見守る中、名前を呼ばれた選挙人が投票したという。史料(2)も内田家に残されていることから、投票後に回収されたのであろう。
このように、各選挙区に関わる管理・運営は選挙区内の所属郡の代表に任され、わが国初の選挙は滞りなく行われたのである。

選挙エピソード1

 この選挙は、日本が国際的な仲間入りができるかどうかのテストでもあった。その理由として、当時の欧米では、議会政治や選挙は進んだ文明国家の専売特許と考えられていたからである。
この選挙後、福沢諭吉は「上出来である」と評したという。

選挙エピソード2

 島根県と鹿児島県のある選挙区では、わずか23票で当選し国会議員になった者がいた。反対に滋賀県のある選挙区では約3000票を獲得しても落選する者がいた。

選挙エピソード3

​ 県内のある地主が選挙に関わる日記を残していた。それによると、選挙の運動員からある候補者の懇親会に出席してほしいとの依頼があった。たまたま体調が悪く断ると、翌日、自宅に料理と菓子が届けられた。また、投票日一週間前になると候補者の名刺が届いた。これは投票日に候補者の名前を間違いなく書いてもらうためであった。投票後、運動員から候補者の名前を書いたかどうかの確認があった。半年後、候補者から選挙のお礼として現金50銭が届けられた(おそらく当時の選挙違反は半年で時効となったからと考えられる)。

 エピソード1〜3はNHK放送「いつなぜ日本の選挙制度」より

史料の授業等への利用について

申請書(様式[Wordファイル/30KB])を歴史資料館へお送り下さい。


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