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11徳川家康書状

岐阜県歴史資料館授業にも使える当館所蔵史料

No.11徳川家康書状

「藤堂佐渡守高虎宛徳川家康書状」
【谷家3595号】
秀吉による朝鮮出兵。家康の心境は?

徳川家康書状の画像1
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内容 徳川家康書状の画像2
徳川家康花押(拡大図)

解説

これは、天正20年(文禄元年・1592)正月、秀吉の命を受けて大明国侵攻のため渡海する藤堂高虎に、家康が出した書状である。
藤堂高虎は、弘治2年(1556)、近江国犬上郡藤堂村(滋賀県犬上郡甲良町)の地侍の家に生まれ、天正4年(1576)から羽柴秀長に仕え、天正15年の九州征伐の軍功で佐渡守に任官、はじめて城主(紀州こがわ粉河2万石)となった。
高虎が直接家康と会話を交わしたのは天正14年(1586)、秀吉の懇望を受けた家康が大阪へ出てきた時である。高虎は家康の接待役をつとめ、また、作事奉行として家康の邸宅を築いたことが縁となり書簡を交わすようになった。
この書状は、内容から朝鮮侵攻前の天正20年(文禄元年・1592)の正月に出された文書である。高虎が家康に、年賀の祝いとして太刀、馬、鶴を贈ったことがわかる。また、秀吉の「大明国」侵攻について、家康は「ちんちょう珍重これに過ぎず候」と当たり障りなく言うにとどめている。そして、高虎が渡海するときに話を承ることにしようと締めくくっている。
この文書だけでは家康の真意は読み取れないが、大明国侵攻を快く思っていたのだろうか。

用語について

羽柴秀長・・・羽柴秀長。秀吉の弟
藤堂高虎・・・羽柴秀長の家老
作事奉行・・・鎌倉・室町・江戸幕府の職名。殿舎の造営・修理や土木などの工事をつかさどった。
珍重・・・・・1珍しいものとして大切にすること。
2自分を大切にすること。手紙文で自重・自愛をすすめる語。
3めでたいこと。祝うべきこと。
ここでは、3の祝うべきことの意味。

史料の授業等への利用について

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