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7木曽長良揖斐三川改修計画書

岐阜県歴史資料館授業に使える当館所蔵史料

No.7木曽長良揖斐川三川改修計画書

「木曽長良揖斐川三川改修計画書」
ヨハネス・デ・レーケによる三川分流工事が
岐阜の水害を激減させた!

木曽長良揖斐川三川改修計画書の画像1
凡例
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木曽長良揖斐川三川改修計画書の画像2

解説

明治政府はオランダの技師ヨハネス・デ・レーケを招き、三川分流工事を計画し、明治20年(1887)4月から本格的な工事が始まった。工期を4期に分け、すべての工事が竣工するのに20年以上の年月がかかる大工事であった。
この工事では、合流していた木曽川と長良川との間に堤防を作って分流させる工事や、新しく川を作って流れを変える工事、木曽川と長良川、長良川と揖斐川をつないでいた川を締め切る工事などが行われた。当初の計画では、明治35年には終わる予定であったが、完全に工事が終わったのは明治44年のことであった。この工事にかかった費用も431万円の予算をはるかに超える974万余円を費やした。
第1期工事(明治20〜28年)は、木曽川筋にて浚渫や築堤が行われた。第2期工事(明治29〜32年)では、この工事の主要工事となる木曽川と長良川、長良川と揖斐川の背割堤の完成を目指した。明治31年(1899)、木曽川と長良川長良川と揖斐川の背割堤の工事、翌年には油島の締切工事が竣工された。第3期工事(明治33〜38年)は、三川分流とは直接に関係のない堤防や水制の築造が行われた。第4期工事(明治39〜44年)は、第3期でやり残した工事のほか、揖斐川河口の浚渫などが施工された。
「木曽長良揖斐川三川改修計画書」の凡例をみると、「既成新堤」は赤線、「未成新堤」は赤の破線で示されており、工事の進み具合からこの計画書はおそらく第3期の工事の途中に作成されたものと予想される。
この大工事のおかげで、毎年のようにこの地域をおそっていた水害がなくなり、被害も激減した。

用語について

水制(すいせい)・・・河川で、水勢を緩和したり、流れの向きを規制したりする目的で造られる工作物。沈床・コンクリートブロック・杭など。みずばね。

史料の授業等への利用について

申請書(様式[Wordファイル/30KB])を歴史資料館へお送り下さい。

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