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大榑川締切油嶋地先喰違堰御普請益村障村色分絵図
4.大榑川締切油嶋地先喰違堰御普請益村障村色分絵図
資料名:大榑川締切地先喰違堰御普請益村障村色分絵図
資料名(ふりがな):おおくれがわしめきりちさきくいちがいせきごふしんえきむらさわりむらいろわけえず
年代:宝暦5年(1755)以降
資料番号:美濃郡代笠松陣屋文書2・01‐78‐3
解説:
薩摩藩による御手伝普請(宝暦治水)後の、北は厚見郡加納(現岐阜市)から南は伊勢国桑名郡横枕新田(現三重県桑名市)までの地域を描く。
宝暦治水の一環として、長良川から揖斐川へ流れる水の勢いを緩和するため、大榑川洗堰が築かれた。
黄色に塗られた部分は、大榑川洗堰により水害が減少した村々(益村)、緑色に塗られた部分は、逆に水害が増加した村々(障村)である。