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茶商製造芽商茶園主取調名簿

34.茶商製造芽商茶園主取調名簿

茶商製造芽商茶園主取調名簿(本文)本文(9行目に吉安勘左衛門の名前) 茶商製造芽商茶園主取調名簿(表紙)表紙
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資料名:茶商製造芽商茶園主取調名簿
資料名(ふりがな):ちゃしょうせいぞうめしょうちゃえんしゅとりしらべめいぼ
年代:明治18年(1885)
資料番号:吉安千鶴子家文書60-5-7

解説:
明治18年時点の池田郡池野村他22ヶ村における製茶業に関わる人々の名簿。
水田の乏しい池野村周辺では江戸時代から茶園が開かれ、品質の良いことで知られていた。この資料には、茶商・製造・生芽商・製造・茶園主のべ669人が記され、同地域において製茶業が盛んであったことがわかる。
また掲載している本文写真の9行目には、茶園主として吉安勘左衛門の名前がある。

【池野市街化の背景―池田郡における製茶業の発展―】
池田郡の六之井、池田野新田(池野)などの各村は水田に乏しく、江戸時代から茶園が開かれ、製茶業が盛んに営まれていた。
生産された茶は品質の良いことで知られ、開国後は横浜、四日市、桑名の茶商により海外へ輸出されていた。
明治時代も池田郡の製茶業は発展を続け、製茶を行う地域は、上記村々を含めた同郡7か村に広がっていった。こうした生産地域の広がりにより、製茶地域の人口は増加していった。
明治17年(1884)、池野村戸長・吉安勘左衛門が開設した市場が、繁盛し、継続した背景にはこうした、製茶による地域の経済発展があったと考えられる。

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