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公平弁

24.公平弁

公平弁
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資料名:公平弁
資料名(ふりがな):こうへいべん
年代:明治8年(1875)
資料番号:大前家文書A20-(1)-114

解説:
筑摩県第27大区区長大前久郎が飛驒三郡へ提案した、地租改正に関わる田畑等級の判定法についての意見書。
背景には、県からの地価引き上げを前提とした地価等級再調査の要求があった。
大前は区内各地の総代と、収穫の多少等を加味した上で研究・討論を行い、この意見書を著した。

【地租改正】
明治時代当初、租税は旧幕府時代のままであった。明治新政府は、税制の近代化と収入安定に取り組む必要があった。
明治4年(1871)の廃藩置県により、全国を支配下に置いた新政府は、この課題解決に着手した。まず新政府は明治5年、全国の土地所有者への地券発行を目指し(壬申地券)、さらに翌年、地租改正法を施行して、土地に対する税を地租とした。具体的には課税基準を収穫高から地価に、納税方法を現物(米)納から金納に、そして納税者を土地所有者(=地券所有者)とした。
地租改正は、土地調査を前提としており、実地調査は現地の状況を熟知する農民に任せ、その結果を官が検査する方法がとられた。しかし、新政府の方針は旧来と同程度の租税収入維持であったため、農民の反発を招き、各地で地租改正反対一揆が勃発した。そのため新政府は明治10年、地租を地価に対する3%から2.5%へと引き下げた。

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