本文
徴兵告諭弁解
22.徴兵告諭弁解
<こちらをクリックすると大きな画像を見ることができます [その他のファイル/788KB]>
資料名:徴兵告諭弁解
資料名(ふりがな):ちょうへいこくゆべんかい
年代:明治6年(1873)
資料番号:大前家文書A80-(5)-9
解説:
大前久郎ら筑摩県飛驒三郡の大区長が作成した徴兵令の解説文。
政府が出した徴兵令の説明文は難解であったため、大前ら大区長は徴兵令の内容を研究し、わかりやすい言葉で記した。徴兵の言葉の意味から始め、徴兵中の経費は政府支給であることなどを説き、人々の不安を取り除こうとしている。
【徴兵制度】
明治新政府は当初、直属の軍事力を持たず、全国支配のためには直轄軍の育成・強化が重要課題であった。明治5年(1872)、国民皆兵を原則として、全国の満20歳の男性を徴兵対象とし、徴兵検査合格者から抽選で3年間兵役に服させた。
しかし、徴兵制度に対する民衆の拒否感は強かった。江戸時代、農工商の民衆は年貢等の負担はあったが、兵役の義務はなかった。明治時代、新たに兵役という負担が民衆に加わった。また新政府が出した「徴兵告諭」の中には、「血税」という言葉があったため、強い反発を引き起こし、西日本を中心に徴兵に反対する「血税一揆」が勃発した。
大前久郎らが作成した「徴兵告諭弁解」には徴兵中の経費は支給されること、すぐに戦争に行くわけでないことなどが記されている。そこには、飛驒の人々の徴兵制度に対する強い不安を解消しようとする意図を読み取ることができる。