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池田幸太郎書状
5.池田幸太郎書状
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資料名:池田幸太郎書状
資料名(ふりがな):いけだこうたろうしょじょう
年代:明治元年(1868)
資料番号:三淵家関係文書133
解説:
京都の熊本藩士からの鈴木六太夫宛書状。東京の旧旗本三淵鍵之助を説得し、新政府への仕官願いを取り下げさせるため、書状を京都の前当主縫殿助から送ること、熊本藩作成の書状原案を鈴木のもとで調整して、10月11日の午の刻(11~12時半頃)までに熊本藩側に提出するよう依頼している。
【なぜ三淵鍵之助は仕官願いを取り下げねばならなかったのか?】
旧旗本三淵氏の本領安堵交渉は、前当主縫殿助が京都で行い、当主鍵之助は病気を理由に東京に留まった。しかし鍵之助は、東京で新政府へ仕官願いを提出してしまう。そのため新政府から先の説明との違いについて質問されることとなり、京都の縫殿助や熊本藩士らを驚かせることになった。