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徳川慶喜討伐高札
1.徳川慶喜討伐高札
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資料名:徳川慶喜討伐高札
資料名(ふりがな):とくがわよしのぶとうばつこうさつ
年代:慶応4(明治元)年(1868)
資料番号:花村家文書(2)A1-(3)-1
解説:
新政府は、鳥羽・伏見の戦いで敗北した徳川慶喜を厳しく批判し、慶喜征討への協力を呼び掛けると共に、旧幕府領を天朝領とすることを宣言している。
この高札は、羽栗郡本郷村(羽島市)の庄屋の家に伝わった。末尾の「家老中」とは、本郷村を支配していた尾張藩の家老を指すと考えられる。
【新政府側についた尾張藩】
尾張藩は江戸幕府御三家の筆頭であった。
しかし同藩主徳川慶勝は、慶応4年1月、藩論を勤王に統一し、美濃の諸藩・旗本を含めた近隣諸領主に対し、新政府側に引き付ける工作(勤王誘引)を行った。その結果、新政府軍は大名・旗本らの抵抗にあうことなく、江戸に進軍できた。また新政府軍は美濃を通過すると、同域内の旧幕府領・諸藩領・旗本領の取り締まりを尾張藩に任せた。