本文
高山県村々沸騰につき書状
16.高山県村々沸騰につき書状
21
<上の写真をクリックすると大きな画像を見ることができます>
※翻刻はこちら[PDFファイル/87KB]!
資料名:高山県村々沸騰につき書状
資料名(ふりがな):たかやまけんむらむらふっとうにつきしょじょう
年代:明治2年(1869)
資料番号:明治期岐阜県庁事務文書3・48‐25
解説:
名古屋藩大参事田宮如雲(たみやじょうん)から笠松県あての書状。
「飛騨国高山県村々沸騰」(梅村騒動)や飛騨に派遣された政府役人への対応について協議している。
梅村騒動は、明治2年2月末、高山県知事梅村速水(うめむらはやみ)の性急かつ強引な政策推進への反発から起きた一揆。飛騨一国数千人の人々が参加し、その結果梅村は罷免された。明治2年は、美濃でも農民一揆が多発し、藩・県の支配を動揺させた年であった。
梅村騒動の背景:
梅村速水は、「14.慶応四戊辰年御布告書五通写」にあるように高い理想を持って県政に当たった。
しかし、高山県政確立を急いだ梅村は、慣例を無視した政治を行い、人々の反発を招いた。
一例として、年貢増徴を目的とした安値での米払下げ(人別米・山方米)拒否がある。これは、米不足に悩む飛騨の人々にとって死活問題であった。そのため、払下げ実施を求め歎願が行われたが、梅村は強硬に拒否し続けた。こうして梅村県政への不満が蓄積されていき、梅村騒動が勃発した。