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一人乗り人力車改造献白書
32.一人乗り人力車改造献白書
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資料名:一人乗り人力車改造献白書
資料名(ふりがな):ひとりのりじんりきしゃかいぞうけんぱくしょ
年代:明治10年(1877)
資料番号:明治期岐阜県庁事務文書3・39‐40
解説:
中島郡狐穴村並行学校(現羽島市立中央小学校)教員武山倹から岐阜県への献白書。
これによると、当時一人乗り人力車は雨天時、油紙で覆い走っていた。しかし、これでは車内の換気が悪化するため、武山は車の両側に雨よけを施した窓を付けるなど具体的な対策を述べる。
人力車運用の実態と共に、人力車は東京での営業許可からわずか7年にして、岐阜県下においても広く普及していたことがうかがえる。