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織田信長書状写
14.織田信長書状写
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資料名:織田信長書状写
資料名(ふりがな):おだのぶながしょじょううつし
年代(右側):16世紀後半
年代(左側):元亀2~4年(1571~73)頃
資料番号:徳山家文書A-(2)-3
解説(右側):
徳山貞兼が、北表(北陸方面)のことについて種々奔走したことを賞したもの。
徳山氏の本拠徳山には、美濃と越前を結ぶ山越えの道が通っていた。徳山氏は美濃―越前間の山間交通路を支配すると共に、美濃国の勢力と越前・加賀を中心とする北陸道諸国との連絡・交渉役を担った。
解説(左側):
徳山貞兼がたびたび北国の様子を報告したことを賞し、今後も油断なく報告するよう求めたもの。
この書状は、小谷城が近々落城すると述べているので、信長が近江浅井氏・越前朝倉氏と対立していた時期のものである。北国とは朝倉氏を指すと考えられ、徳山は信長のため朝倉氏の動向を探っていた。