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岩田西遺跡

岩田西遺跡(いわたにし)

所在地

岐阜市岩田西(ぎふしいわたにし)
地図<外部リンク>

時代

古墳時代〜飛鳥時代、平安時代、鎌倉時代〜江戸時代
調査区近景
調査地近景(東から撮影)

発掘状況

この遺跡は、長良川により形成された河岸段丘上に位置しています。以前からこの地では須恵器(すえき)、中世陶磁器(ちゅうせいとうじき)などが採集されていました。発掘調査により古墳時代の掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)2棟や竪穴住居跡(たてあなじゅうきょあと)3軒、飛鳥時代の集石遺構、鎌倉時代〜江戸時代の水田跡などが見つかりました。水田跡からは中世の遺物が多く出土し、中でも擬漢式鏡(ぎかんしききょう)、双魚文(そうぎょもん)のある青磁鉢(せいじはち)、銅の錘(おもり)や、赤色の漆器(しっき)、刀装具(とうそうぐ)など、中世の屋敷跡からの出土例が多いものがあります。

掘立柱建物跡(古墳時代)

古墳時代掘立柱建物跡
古墳時代の集落域からは、掘立柱建物跡2棟と竪穴住居跡3軒が見つかっています。掘立柱建物跡は桁行4間、梁行2間で、規模は桁行(けたゆき)約7m、梁行(はりゆき)約4m有ります。柱の立っていた穴から須恵器(すえき)や土師器(はじき)が出土しています。集落域は溝で区画されています。

集石遺構(飛鳥時代)

飛鳥時代の集石遺構
主軸方位と幅が異なる2列の集石遺構が重なって見つかりました。集石の上からは多くの須恵器が出土し、その中の無台坏(むだいつき)と長頸瓶(ちょうけいへい)は地面に叩きつけて故意に割ったかのようです。須恵器は7世紀後葉のもので、飛鳥時代にここで祭りを行ったのではないかと考えられます。

南北方向の大畦畔(室町〜安土・桃山時代)

室町から安土・桃山時代の大畦畔
水田跡の畦畔(けいはん)には幅の狭いものと広いものがあり、写真は上端の幅が約2.9m、下端の幅が約4.3mの大畦畔で、上面には取水溝と水田に導水する暗渠(あんきょ)があります。暗渠には蓋石がのっていました。水田区画は長辺約20〜45m、短辺約10〜15mで長方形のものが多くあります。明治時代の字絵図にある水田畦畔の位置とほぼ一致しており、中世後期の水田畦畔や水田区画が近年まで継続して使用されてきたようです。

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