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戦没者の慰霊について

県では、日清戦争から太平洋戦争までの間における本県出身の戦没者の方々を追悼し、平和を祈念するため、各種慰霊事業を行っています。

 1 県戦没者追悼式の挙行

 2 慰霊施設の管理

 3 海外慰霊巡拝における献花

 

お知らせ

 令和7年度慰霊巡拝について(厚生労働省主催)

 

1 県戦没者追悼式の挙行

県では、本県出身の戦没者を追悼し平和を祈念するため、戦没者追悼式を毎年挙行しています。

戦没者追悼式は戦争の悲惨な記憶を風化させず、後世に伝えていくために欠かせない式典です。

岐阜県戦没者追悼式

岐阜県戦没者追悼式

 日清戦争から太平洋戦争までの間に、戦場において又は空襲などによって亡くなられた本県出身の方々を慰霊するため、昭和31年より毎年秋(10月下旬)に岐阜県戦没者慰霊塔前にて県主催の戦没者追悼式を行っています。

 

<令和6年度実績>                                 

 日時:令和6年10月23日(水曜日)

 場所:岐阜県戦没者慰霊塔前(岐阜市鏡岩)

 参列者:約600人

 

                         報道発表資料 [PDFファイル/114KB]

                         現地周辺地図 [PDFファイル/318KB]

 

岐阜県沖縄及び南方諸地域戦没者追悼式

沖縄追悼式風景 日本最南端かつ太平洋戦争本土防衛最後の激戦地であった糸満市「摩文仁の丘」の地において、沖縄及び南方諸地域において戦没された岐阜県出身の旧軍人等の御霊を慰めるため、昭和41年度より岐阜県沖縄及び南方諸地域戦没者追悼式を毎年(11月)行っています。

 

<令和6年度実績>

 日時:令和6年11月15日(金曜日)

 場所:沖縄県糸満市摩文仁の丘「岐阜県の塔」前

 参列者:約20人

 

 

2 慰霊施設の管理

県では、下記の慰霊施設(慰霊塔)の維持管理を行っています。

岐阜県戦没者慰霊塔(岐阜市鏡岩)

岐阜県戦没者慰霊塔  碑文

 

「岐阜県戦没者慰霊塔」の由来

 日清戦役以後太平洋戦争に至る間に日本の繁栄、平和を念じ、戦陣に散華されあるいは戦禍にたおれた人々の霊を慰め、後世永くその遺芳を伝えるため、岐阜県民の総意によって建立されたものです。        

 

基本情報

 住所:岐阜県岐阜市鏡岩(岐阜市鏡岩水源地の西隣)

 建立者:戦争犠牲者慰霊塔建造委員会(岐阜県戦没者慰霊塔改修委員会により改修)

 建立年:昭和31年11月15日(平成5年6月29日改修)

 

岐阜県の塔(沖縄県糸満市摩文仁)

岐阜県の塔       岐阜県の塔碑文

 

「岐阜県の塔」の由来

 太平洋戦争において沖縄をはじめ遠く南方諸地域の激戦に、祖国日本の隆昌を願いつつ散華せられた岐阜県出身2万7000余柱の英霊の冥福を祈り、その勲功を永く後世に伝えるため、ここ摩文仁の地を選んでこの慰霊塔を建立したものです。

 

基本情報

住所:沖縄県糸満市摩文仁(平和祈念公園内)

建立者:岐阜県沖縄及び南方諸地域戦没者慰霊塔建設奉賛会

建立年:昭和41年3月25日

 

 

3 海外慰霊巡拝における献花

厚生労働省や日本遺族会が主催する海外慰霊巡拝に戦没者の遺族(岐阜県出身)が参加される際に、現地で開催される慰霊祭において献花を行っています。

 

慰霊巡拝

<令和6年度実績>

 下記の5地域で開催された慰霊祭において、献花を行いました。

 (1) ビスマーク・ソロモン諸島

 (2) 西部ニューギニア地域

 (3) フィリピン ルソン島

 (4) フィリピン レイテ島・ルソン島南部

 (5) タイ地域

 

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