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発掘調査が終了しました【芥見町屋遺跡(国事業)】
令和6年度芥見町屋遺跡発掘調査(国事業)の調査成果を紹介します
芥見町屋遺跡調査成果の概要
発掘調査区を東上空から望む
5月から実施してきた芥見町屋遺跡(岐阜市祇園1・2)の発掘調査が12月に終了しました。調査の結果、弥生時代後期から古墳時代前期の竪穴建物や土坑、古代の竪穴建物や土器焼成遺構、中世の掘立柱建物や土坑、近世の旧郡上街道関連遺構など多くの遺構を検出しました。また、土器、陶磁器、石器など10数万点の遺物が出土しています。
発掘作業の様子
弥生時代から古墳時代の様相
弥生時代末から古墳時代初めの竪穴建物群
焼失した竪穴建物(炭化した建築部材が床面に残る)
高坏、台付壺、台付甕などの土器を投棄した土坑
弥生時代後期から古墳時代前期(2世紀から3世紀頃)の竪穴建物が非常に高い密度で見つかりました。その総数は約100軒を数えます。この時代の建物は、今回の発掘区の北端近くでは見られなくなることから、当該地が当時の集落の北限にあたると考えられます。竪穴建物の中には火災にあったことを物語る「焼失家屋」も複数存在しました。この時期の遺構からは、壺、甕、高坏、器台といった土器が大量に出土しており、磨製石包丁、磨製石鏃など弥生時代に特有の石器類も認められます。
古代の様相
土器焼成遺構と不良品を投棄した物原
今回の発掘区からは、古代(飛鳥時代から奈良・平安時代)の竪穴建物も15軒見つかりました。この時代の建物には一方の壁にカマドを伴っています。建物の内部からは土師器、須恵器、灰釉陶器などの土器が多く出土しています。また注目すべき古代の遺構として、9基の土器焼成遺構があります。ここでは土師器の甕や鍋などを焼成していました。
中世の様相
竪穴建物(左)の一部を切る中世の方形土坑(右側の3基)
中世(平安時代末期から室町時代)の遺構には、掘立柱建物3軒の他、多数の土坑があります。これらの土坑は軸が揃っていたり、人為的に埋め戻されたものが多く、規模や形状からその殆どは墓坑であったと思われます。土坑の内部からは山茶碗や常滑窯の甕、中国陶磁などが出土しています。中世に入ると、この地は主に墓域として利用されていることが判りました。
近世の様相
旧郡上街道の道路側溝と路盤補修坑
発掘区の西側から江戸時代の旧郡上街道に関連する遺構が見つかりました。南北方向に走る路盤や道路側溝、多数の礫を埋め込んだ補修坑などがあり、江戸時代後期の陶磁器なども出土しました。
まとめ
本年度の発掘調査により、弥生時代後期から近世に至る各時代の様相や、遺跡の変遷過程が一層明らかになりました。今後も発掘調査に伴う新たな発見や知見について、随時ご報告してまいります。