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重竹遺跡

重竹遺跡(しげたけ)

所在地

関市下有知(せきししもうち)
地図<外部リンク>

時代

縄文時代から近世
調査区全景写真
調査区全景

発掘状況

 奈良〜室町時代にかけての集落跡や室町〜江戸時代にかけての屋敷跡(やしきあと)が見つかりました。中でも鎌倉〜室町時代はじめの、鍛冶関連遺構(かじかんれんいこう)が注目されます。
また、土塁を伴う堀(幅約4m)に区画された屋敷地には当時の有力者が住んでいたと考えられます。
鍛冶関連遺構写真
鍛冶関連遺構
鍛冶に関わる遺物が数多く見つかりました。

地下式坑
地下式坑(ちかしきこう)
室町時代のものです。地下に築かれた墓と考えられます。

古代の住居
古代の住居跡
 奈良時代から江戸時代の集落跡を確認しました。奈良時代の遺構では竪穴住居跡(たてあなじゅうきょあと:写真赤色)・掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと:写真黄色)や溝跡、平安時代の遺構では土坑(どこう)や柱穴(ちゅうけつ)が見つかりました。

航空写真
 右側の道路が東海北陸自動車道(とうかいほくりくじどうしゃどう)です。奈良〜平安時代遺構は、この道路に隣接する場所(写真黄色)を中心にして見つかりました。

竪穴住居写真
 奈良時代の竪穴住居跡です。西側の壁のそば(写真左側)からカマドの痕跡(こんせき)、住居跡の中心には固く締しまった貼り床(粘土を貼り付けた床)が残っていました。

須恵器出土状況
 竪穴住居跡には、カマドの脇に、穴が設けられているものがあり、焼けた土によって埋まっていました。写真は、完全な形で残った須恵器(すえき)の坏身(つきみ)が出土した様子です。

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