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H27調査ファイル堅田遺跡発掘調査成果

遺跡の概要

 堅田(かただ)遺跡は、不破郡垂井町平尾地内に位置します。当遺跡は親ヶ谷(おやがだに)の尾根の南端にある段丘化した標高27m前後の扇状地上に位置し、東方は国史跡美濃国分寺跡を囲む国分寺遺跡に隣接しています。
今回の発掘調査は、平成27年度公共社会資本整備総合交付金事業に伴い、平成27年7月1日から11月30日まで行いました。その結果、堅田遺跡において奈良時代から鎌倉時代を中心とする時期の遺構や遺物が見つかりました。
堅田遺跡遠景
堅田遺跡遠景(西から)

縄文時代の土坑と縄文土器を発見

〔D地点〕上面を削平された土坑の底面に、縄文土器が残存縄文土器していました。遺物は土器の底部の破片で、中央にある小さな円形の土器片が、深鉢の底の部分になります。
今回の調査では、他に縄文時代の石鏃や凹石、打製石斧も出土しました。

古墳時代の土坑から、産地が異なる須恵器の蓋2点を発見

〔D地点〕方形の土坑と底から6世紀末から7世紀初めの須恵器の蓋2点を発見しま須恵器の蓋した。2つの蓋は同じ技法で作られ、寸法もほぼ同じでしたが、使われた粘土の特徴から東濃で生産された須恵器と、西濃産の畿内系といわれる須恵器であることが判明しました。

古代(奈良時代から平安時代)の掘立柱建物を発見

掘立柱建物〔D地点〕梁行2間(南北方向)×桁行4間(東西方向)の掘立柱建物1棟を確認しました。この建物の1間は梁行1m80cm×桁行2mで建物の主軸は真北方向から、やや東に傾いていました。
 出土した土師器や須恵器から、奈良時代から平安時代の掘立柱建物と考えられます。

平安時代の竪穴状の遺構を発見

竪穴状の遺構〔D地点〕確認できる一辺が約1m80cmの竪穴状になった遺構を発見しました。隅には柱穴と考えられる深い穴がありました。埋土中から出土した灰釉(かいゆう)陶器から、平安時代のものであると考えられます。
 遺構が発掘区外に及んでいるため全容は不明ですが、小型の竪穴建物の可能性があります。

土坑内から平安時代末から鎌倉時代の転用硯を発見

転用硯〔D地点〕土坑内の中央に川原石と周囲に柱状高台(ちゅうじょうこうだい)、小碗、山茶碗、山茶碗を硯にした転用硯(てんようけん)が出土しました。
 転用硯は、山茶碗の周縁を打ち欠いて底部のみで使用されたため破断面に墨が付着していました。

中世の溝状遺構と古代の墨書土器を発見

​〔E地点〕溝状遺構からは12世紀末から13世紀の山茶碗が出土しました。このことから、中世に使われた溝であると考えられます。
 また、下面に堆積した礫層内からは8世紀後半の坏(つき)が出土しました。この土器の底の裏面に文字(判読不明)が書かれていました。
中世のみぞ

墨書土器

堅田古墳南側で大型土坑2基を発見

〔D地点〕堅田古墳に隣接する発掘区内の西側で幅4m50cm、深さ60cmの大型土坑が、東側で幅7m70cm、深さ50cmの大型土坑を確認しました。7世紀に構築されたと考えられる堅田古墳の周溝の一部である可能性があります。

古墳東側の大型土坑
​堅田古墳東側の大型土坑

古墳西側の大型土坑
堅田古墳西側の大型土坑

調査を終えて

 岐阜県文化財保護センターでは平成26年度に堅田遺跡A・B・C地点の計1,621m2を、平成27年度に堅田遺跡D・E地点の2,058m2の計3679m2の発掘調査を実施しました。その結果、遺跡の時代は縄文時代・古墳時代・奈良時代・平安時代・中世・近世に及び、遺跡の最盛期が奈良時代から鎌倉時代であることが明らかになりました。
 主な遺構では、掘立柱建物(8~9世紀:D地点)1軒、竪穴建物1棟(8世紀:A地点)、土器製作遺構1基(8世紀:A地点)、壁面が被熱した土坑6基(7世紀:A地点、不明:C地点)、溝状遺構50条(主に平安時代から鎌倉時代:A~D地点)、竪穴状の遺構1基(11世紀:D地点)、柱穴230基(主に平安時代から鎌倉時代:A~D地点)、井戸1基(近世以降:D地点)、土坑1,199基(A~D地点)、自然流路6条(A・B・D・E地点)などを確認しました。
 主な遺物では、墨書土器(8世紀:E地点、12世紀:B地点)、転用硯(11世紀:C地点、12世紀D地点)、水瓶・ミニュチュア土器・大型の甕(8世紀:A・D・E地点)などが出土しました。
 堅田遺跡は美濃国分寺と美濃国分尼寺の間に位置します。両寺院は8世紀後半に創建され、仁和3(833)年には美濃国分寺が焼失し、その後に再建されるなどの盛衰がありました。発掘調査では、寺院創建期に掘立柱建物や竪穴建物などがあり、また墨書土器や一般の集落では出土しないミニュチュア土器や水瓶、直径120cmと想定される大型の甕などの特殊な遺物が出土しています。このことから、当遺跡では寺院に関連した特殊な施設が存在した可能性が指摘できます。また、両寺院からの影響とその関連性についての検証が今後の課題です。
 なお、当遺跡発掘区内では美濃国分寺の寺域の境界を示す土塁や柵などは確認できなかったため、寺域の境界を示す遺構は、国分寺遺跡内(大垣市)に存在する可能性があります。

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