ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

本文

第45集諸家(3)7野原家

岐阜県歴史資料館 所在史料目録

第45集 諸家文書目録(3)

沓井村 野原正人家文書

年月日 文書名(作成・受取) 文書番号
第1部 近代文書 公文書
80 社会
明治30年6月1日 (明治二十七八年戦役軍資金献納ノ褒状)(原本)岐阜県知事 正五位 湯本義憲から揖斐郡養基村大字沓井 野原仙三郎宛 1枚 80-1
明治38年7月31日 (陸軍補充兵ニ編入通知証書)(原本)鯖江連隊区 司令官 中村巨訓から岐阜県揖斐郡養基村 庄作弟 乙種歩兵第七番 野原吾一宛(裏に入営についての心得が印刷してある) 1通 80-2
明治39年4月23日 (故陸軍砲兵壱等卒野原杉弥ヘノ弔辞)(原本)揖斐郡八幡村 義勇会長 清水義雄 1通 80-3止
90 社寺・教育
明治23年8月 (神社用地として)御料地拝借願(控)池田郡沓井村 川嶋太郎左衛門・保証人 窪田伝三郎から御料局木曽支庁 御料局理事 小寺成蔵宛(別紙絵図面あり) 1通 90-1-1
明治24年2月21日 (御料竹林貸下之義出願之趣聞届通知書)(原本)御料局木曽支庁長 御料局知事 小寺成蔵から池田郡沓井村 川島太郎左衛門宛 1通 90-1-2
明治31年2月18日 (御料地継続貸下之義出願之趣聞届通知書)(原本)御料局木曽支庁長 御料局理事 松本収から揖斐郡沓井村大字沓井 素盞雄神社氏子惣代 川島太郎左衛門外3人宛 1通 90-1-3
明治31年7月5日 (御料地年期貸下三十二年分納付スベキに付通知書)(原本) 御料局木曽支庁長 御料局理事 種田邁から揖斐郡沓井村沓井 川村太郎左衛門宛 1通 90-1-4
明治34年2月 (当神社ノ土地ニ付)御料地払下願(下書)揖斐郡池田村大字六之井 素盞雄神社神官 多賀幸雄・同郡養基村大字沓井 同氏子惣代 川島太郎左衛門・同 川島利右衛門・同 久保田(藤弥)伝三郎から御料局長 男爵 岩村通俊宛 1通 90-1-5
明治34年2月 御料地払下願(下書)揖斐郡池田村大字六之井 素盞雄神社神官 多賀幸雄・同郡養基村沓井 同社氏子惣代 川島太郎左衛門・同 川島利右衛門・同 久保田藤弥から御料局長 子爵 岩村通俊宛 1通 90-1-6
明治37年3月 (1)社地境内立竹伐採願(控)信徒総代 川島太郎左衛門受持社掌 多賀幸雄から揖斐郡長 高橋俊益宛 (1)(2)1綴 90-1-7
明治37年3月 (2)石灯明建築願(控)信徒総代 川島太郎左衛門受持社掌 多賀幸雄から揖斐郡長 高橋俊益宛 (1)(2)1綴 90-1-7
明治37年12月28日 御料地貸下願(下書)揖斐郡養基村大字沓井 素盞鳴社総代 川嶋太郎左衛門・久保田多四郎・川嶋和右衛門・受持社掌 多賀幸雄・奥印 揖斐郡養基村長代理 駒月重郎兵衛から御料局長 子爵 岩村通俊宛 1綴 90-1-8
明治39年5月24日 (境内障害枝篠刈取ノ件聞届ク)(原本)揖斐郡長 高橋俊益から揖斐郡養基村大字沓井 無格社素盞鳴神社宛 1通 90-1-9
明治39年12月14日 (御料地払下願之趣聞届依テ請書可差出に付通知書)(原本) 御料局名古屋支庁長 御料局理事 松本収から池田郡沓井村 川島太郎左衛門宛 1通 90-1-10
(明治41年2月10日) (御料竹林貸下之義許可ニ付別紙請書提出相成度に付申達書)(原本) 増田哲平から素盞御神社氏子総代 川嶋太郎左衛門外3人宛 1通 90-1-11-1
明治41年1月30日 (御料地貸下之義出願之趣聞届候条速ニ請書提出ス可シ)(原本) 帝室林野管理局名古屋支庁 愛知主張所 大久保光儀から揖斐郡養基村大字沓井 素盞鳴神社氏子総代 川島太郎左衛門他3人宛 1通 90-1-11-2止
○1-11-1〜2止は、かんぜよりで一括してあった。
明治42年6月15日 所有権移転登記嘱托申請書(控)揖斐郡養基村大字沓井 無格社素盞鳴社社掌・登記権利者 後藤嘉多治・同郡豊木村大字野 同社氏子惣代 登記権利者 川嶋太郎左衛門・同郡養基村大字沓井 同上 川嶋和右衛門・同村大字同 同上 久保田藤弥・同村大字 同から帝室林野管理 1通 90-1-12
明治43年1月5日 社地境外樹木伐採願(控)揖斐郡養基村大字沓井無格 社素盞鳴社社掌 松原祐馬・同大字 信徒惣代 川島太郎左衛門・同 川島和右衛門・同 久保田多四郎から岐阜県知事薄定基宛(払下許可証・収支計算表他添付しあり) 1通 90-1-13
明治43年6月21日 (素盞鳴社境内碑建設ノ如キハ到底詮議ノ限リニ無之候条書面返戻之通知)(原本) 揖斐郡役所 第一課長から養基村長宛 1通 90-1-14
大正2年6月4日 (本殿屋根修繕之件聞届ク)(原本)岐阜県揖斐郡長 斉藤実直から揖斐郡養基村沓井 無格社素盞鳴社社掌 松原祐馬外3人宛 1通 90-1-15
年未詳・3月 (御料竹林貸下願書再提出候条御郵送相成度に付依頼状)(控) 素盞鳴社氏子総代 川島太郎左衛門から増田技手補宛 1通 90-1-16
年月日未詳 (御料地略図・竹木本数勘定記録書)(下書) 1綴 90-1-17止
○1-1〜17止は、かんぜよりで一括してあった。
明治29年9月20日 (池田郡修道尋常小学校備品費寄付ノ褒状)(原本)岐阜県知事 従四位勳四等 樺山資雄から池田郡沓井村 野原仙三郎宛 1通 90-2止
       
第2部 近代文書 私文書
B10 家
明治34年4月1日 家督相続ニ付登記申請(下書)(野原庄作) 1通 B10-1
明治34年4月14日 家督相続ニ付登記申請書(下書)揖斐郡養基村大字沓井千五拾番地 家督相続人 野原庄作・同郡揖斐町大字三輪五百五拾四番戸 代人 児玉源十郎から大垣区裁判所揖斐出張所宛 1綴 B10-2
明治34年4月14日 家督相続ニ付所有権移転登記申請書(下書)家督相続人 野原庄作(表紙のみ) 1通 B10-3
明治34年4月16日 土地家督相続ニ付所有権移転登記申請書(原本)揖斐郡養基村大字沓井千五十番地 家督相続人 野原庄作・同郡揖斐町大字三輪五百五拾四万戸 代人 児玉源十郎から大垣区裁判所揖斐出張所宛(大垣区裁判所揖斐出張所の登記済み印あり) 1綴 B10-4
明治34年4月16日 (1)分筆ニ付登記簿変更登記申請書(控)揖斐郡養基村大字沓井千五拾番地 申請人 野原庄作・大字同村弐番戸 代人 久保田国治から大垣区裁判所揖斐出張所宛 (1)(2)2綴 B10-5
明治34年4月16日 (2)(登記申請ニ付久保田国治ヘノ代人)委任状(控)  揖斐郡養基村大字沓井千五拾番地 申請人 野原庄作((1)は同一文2綴あり)

(1)(2)2綴

B10-5
明治34年4月17日 土地変更ニ付登記申請(下書)(野原庄作) 1通 B10-6
(明治34年4月) (父野原仙三郎死去ニ付)土地台帳名義書替願(下書)  揖斐郡養基村大字沓井千五拾番地 家督相続人 野原庄作から名古屋税務局長 菊池良宛 1通 B10-7
明治34年5日 土地台帳名義書替願(下書)揖斐郡養基村大字沓井千五拾番地 家督相続人 野原庄作から名古屋税務署 菊池良局長宛 1通 B10-8
明治34年10月7日 土地所有権保存登記申請書(原本)揖斐郡養基村大字沓井千五拾番地 申請人 野原庄作から大垣区裁判所揖斐出張所宛(大垣区裁判所揖斐出張所の登記済印あり) 1通 B10-9止
日記(野原武雄日記)
昭和2年 (野原朴日記)(原本)野原朴(帝国巡洋艦「神通」乗組8月1日軍艦【常磐】機雷の装備中に爆発・8月3日昭和天皇お召艦奉迎・同月24日美保関事件起る・「神通」が駆逐艦「蕨」に衝突「蕨」は沈没・・同年12月26日「神通」艦長 水城大佐は責任をとって割腹自殺) 1冊 B10-10
○理由は不明であるが、野原朴の日記が一冊だけ残っていた。
昭和4年 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(米作・養蚕・茄子・里芋等多角的な農業に取組んでいる・3月愛草花シクラメンの苗を中瀬古の和市が持っていく・養蚕関係の記録多し・6月8日渇水のため各自耕地の3割迄水利権を放棄する事を決議) 1冊 B10-11
昭和5年 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(同上長男貢、次男豊と共に農業に尽力・この年田畑の仕事が詳しく書いてある) 1冊 B10-12
昭和6年 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(同上長男貢、次男豊と共に農業に尽力・茄子苗・薩摩芋苗を売りに行く・2月21日「北海道から祖母の姪が来る」・武雄10月から12月迄1カ月半程大工仕事に行く・6月作付の苗の品種神力、旭(早・中・奥)、三宝 1冊 B10-13
自昭和7年1月1日 至昭和7年7月18日 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(同上長男貢は大阪へ働きに行っている・2月3日「我村に動員令降下・7月12日小学校校庭で凱旋祝賀式・7月妻たかの病気・5.15事件あり) 1冊 B10-14-1
自昭和7年7月19日 至昭和7年12月31日 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(同上・8月共同西瓜の行商、不景気の為売れず・養蚕、共同大根、三つ葉、紫雲英、玉葱(苗)、渋柿(8月)、牛、甘藷、馬鈴薯・ビール麦、大豆、小豆等多角経営、販売にも努力・年間のまとめに「我国は食糧危機に見舞われ、一にも米二にも米と言わ 1冊 B10-14-2止
○5-1〜2止は、一括してあった。
昭和8年 (野原武雄日記)(原本) 野原武雄(同上・村の共同で粕川の河原の開墾・7月各地で水不足、瀬古地区総出で番水、夜叉ヶ池、氏神様へ雨乞祈願・7月14日夜叉ヶ池へ祈願、海事変の戦死者の遺骨迎え) 1冊 B10-15
自昭和9年1月1日 至昭和9年4月2日 (1)(野原武雄日記)(原本)野原武雄(1月〜4月迄の大部分は武雄は大工仕事に行く・揖斐団体事務所の畜産組合に関係する) (1)〜(3)1冊 B10-16
自昭和9年4月3日 至昭和10年11月 (2)(野原貢日記)(原本)野原貢(祖父・父・弟豊と農業に励む・青年訓練・夜学等あり) (1)〜(3)1冊 B10-16
自昭和9年10月12日 至昭和10年12月31日 (3)(野原武雄日記)(原本)野原武雄(養鶏に努力、鶏の病気多し・鑑別白200羽、三河種50、計250羽)(長男貢は帰郷して農業をしている) (1)〜(3)1冊 B10-16
自昭和10年1月1日 至昭和10年7月12日 (1)(野原貢日記)(原本)迄野原貢日記(家では養鶏、村では青年による牛の共同飼育・1月養基村産業青年連盟の結成式・6月村の更正計画による本村信用組合利用部麺業所の製麺事業開始) (1)(2)1冊 B10-17
自昭和23年8月10日 至昭和23年12月31日 (2)(野原武雄日記)(原本)野原武雄(畜産組合・牛の飼育の仕事に力を入れる・育友会・遺族会・神社の仕事・組合の役員として村内の稲の検見坪刈を行う) (1)(2)1冊 B10-17
昭和10年 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(茄子、薩摩芋の苗販売・溜り絞り・味噌作り・鶏卵を揖斐駅から出荷・妻たかの病気・武雄時々病気・養蚕に付記録多し・たかの、貢、豊等と農業を行う・武雄7月から9月迄大工仕事に行く・祖母死亡) 1冊 B10-18
昭和11年 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(同上・1月阿子田菊枝の葬儀・武雄冬季24日間大工仕事に行く・養蚕、養鶏、茄子、甘藷苗販売等をする・開墾した田も今は美田となる、組の共同井戸をポンプにする) 1冊 B10-19
昭和12年 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(同上・軍人の入営者が多い・衆議院議員三田村武夫との関係あり・農作業に親戚近所の助け合い多し・貢豊共に兵隊検査甲種合格畜産組合の子牛品評会会場作りに従事) 1冊 B10-20
昭和13年 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(軍人の入営が多い・1月貢、豊は敦賀の連隊に入営・4月貢、豊共に大陸へ出動・弟朴は軍艦「白鷹」で揚子江へ出動・甘藷苗注文覚え合計4650本とあり) 1冊 B10-21
昭和14年 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(3男正人が小学校へ入学・百年に一回の水不足で田植が遅れる・7月滋賀県竹生島、夜叉ヶ池へ、9月竹生島へ雨乞参り・引水作業) 1冊 B10-22
昭和15年 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(1月貢が戦地より帰還、武雄大いに喜ぶ・5月たかの入院・6月たかの死亡以後たかのに対する哀悼文多し) 1冊 B10-23
自昭和16年1月□ 至昭和16年6月16日 (野原貢日記)(原本)野原貢(小牛の競市、347円に売れる・3月満蒙開拓義勇軍入所者を駅まで送る・貢茄子苗作り、苗代等の農作業に努める) 1冊 B10-24
昭和16年 (野原武雄日記・「つはもの日記」)(原本)野原武雄(5月貢とし子と結婚・12月太平洋戦争勃発・「つはもの記」とある様に戦時色の強い日記帳である) 1冊 B10-25
昭和17年 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(2月シンガポ−ル占領の祝賀の旗行列・武雄揖斐の団体事務所に勤める・四月三田村武夫の選挙委員になる・5月次男豊23才で死亡・7月貢の嫁とし子長女豊子(武雄の内孫)出産・8月安八郡安次の石原伝氏等50人夜叉ヶ池へ雨乞・戦争中ではあるが 1冊 B10-26
昭和18年 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(1月北海道の叔父が遊びに来る・武雄信用組合へ勤める・3月貢2度目の出征・4月貢の長女(武雄の内孫)豊子が死亡・8月貢戦地へ出動・11月弟朴ラバウルへ出動) 1冊 B10-27
○昭和19年〜22年の日記は、見当らない。当時紙不足で日記帳が手に入らなかった為とも考えられる。(野原正人氏談)
       
自昭和23年1月1日 至昭和23年8月8日 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(武雄農業会に勤める2月養基小学校育友会の発会式・神社関係の仕事もする、大坂から弟正生が甘藷の苗を買いに来る) 1冊 B10-28
自昭和24年1月1日 至昭和24年7月6日 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(武雄時々病気・ボ−ルペン1本260円・武雄農業協同組合に勤め畜産(牛)の仕事をする) 1冊 B10-29
昭和25年 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(武雄家畜の死亡廃用共済保険、農協の水稲共催、麦の共催、馬鈴薯、こぬか、肥料の配給の世話、小牛競市の購入登録、牛の病気、出産の世話、麦の被害の検見、水稲の作付調査等で忙しい・他に神社関係、遺族会の役員をしている・3月父庄作死亡) 1冊 B10-30
昭和26年 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(武雄の仕事は前年に同じ・武雄は組合書記・牛の種付けの世話・9月薬師寺が廃寺になる最後の法要を行う) 1冊 B10-31
昭和27年 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(武雄の仕事は前年に同じ・毎日畜産組合の仕事で忙しい・1月岐阜市公会堂での岐阜県遺家族大会に参加・遺族会会長となる・4月靖国神社の大祭に参列・五月正人が豊子と結婚) 1冊 B10-32
昭和28年 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(武雄の仕事は前年に同じ・3月20日から毎日、日記に「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」と書く様になる・4月武雄は靖国神社大祭に参列・雨の多い年で稲熱病(いもち)の発生が多い、反当たり2〜5俵、供出来の完納も覚束ない、家畜の病 1冊 B10-33
昭和29年 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(武雄の仕事は前年に同じ・かちくの死廃共済保険の仕事で忙しい・神社関係、遺族会支部長、畜産組合の行事や仕事が詳しく書いてある・農業は米と麦だけをつくる・12月水道ができ、水道水で風呂を沸かす・映画をよく見に行く様になる) 1冊 B10-34
昭和30年 (野原武雄農業日誌)(原本)野原武雄(武雄の仕事は前年に同じ・1月三田村武夫が来る、三田村武夫衆議院議員に当選・4月正人高山の林業試験場に配属となる・11月武雄和子と再婚・今年は豊作である) 1冊 B10-35
昭和31年 (野原武雄農業日誌)(原本)野原武雄(武雄の仕事は前年に同じ・家畜の死廃共済保険の仕事で忙しい・神社関係、遺族会支部長、畜産組合の行事や仕事が詳しく書いてある・農業は米と麦を作っている・組合で麦の評価と水筒の細目書の作成に従事・武雄は妻の和子と揖斐の中央劇場 1冊 B10-36
昭和32年 (野原武雄農業日誌)(原本)野原武雄(武雄の仕事は前年に同じ・家畜の死廃共済保険の仕事で忙しい・神社関係、遺族会支部長、畜産組合び行事や仕事が詳しく書いてある・蒙業は米と麦を作っている・4月谷汲村での植樹祭に天皇、皇后両陛下来県奉迎・平穏な年である) 1冊 B10-37
昭和33年 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(武雄の仕事は前年に同じ・家畜の死廃共済保険の仕事で忙しい・神社関係・遺族会支部長・家畜組合の行事や仕事が詳しく書いてある・蒙業は米と麦だけを作っている・組合で麦の評価と水稲の細目書の作成に従事・5月三田村武夫衆議院議員に当選 1冊 B10-38
自昭和34年1月19日 至昭和34年9月15日 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(武雄の仕事は前年に同じ・家畜の死廃共済保険の仕事で忙しい・神社関係・遺族会支部長・畜産組合の行事や仕事が詳しく書いてある・農業は米と麦だけを作っている・組合で野麦の評価と水稲の細目書の作成に従事・1月神農会総会・揖斐の揖斐劇 1冊 B10-39
自昭和34年9月16日 至昭和35年5月10日 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(9月伊勢湾台風来襲武雄10月の中頃10日程病気・11月牛の流感多発) 1冊 B10-40
昭和34年 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(この日記は、31と32の日記をまとめて一冊にしたものである) 1冊 B10-41
昭和35年 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(武雄の仕事は前年に同じ、生活も同様・2月1日から多方向からの斜め書きの日記・5月和子病気・9月正人の長女誕生・和子その他家内に病人が多い年である・水稲不作) 1冊 B10-42
昭和36年 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(6月阿子田耕作が死亡、阿子田は野原一統の本家で、耕作は武雄の筋交い従兄弟・7月武雄は20年間勤めた組合を退職、但し畜産関係の仕事は続けている・日記末に一年間のまとめあり・本年は不作であったがまあまあの年である) 1冊 B10-43
昭和37年 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(武雄は和子と米作をする、引退後の生活に入る・祖父母、父母、妻、2人の子供の命日は毎日欠かさずお勤めをする・11月14日から斜め書き日記・映画にも行かなくなる・末尾に年間のまとめ・平凡な年である) 1冊 B10-44
昭和38年 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(武雄4月に靖国神社に参拝・11月三田村衆議院議員に当選・末尾のまとめ大した病気もせずまあまあの年であった・三田村衆議院議員の死亡について感想あり) 1冊 B10-45
昭和39年 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(武雄は遺族会、神社関係、宝光寺、畜産組合、仏教会等の仕事をしている・武雄10月から12月迄病気・全体としては老人の生活である・11月三田村武夫議員死亡・末尾にまとめ) 1冊 B10-46
昭和40年 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(武雄73才・和子は、会社に勤めている・5月1日から左縦書きの日記・5月武雄県遺族会本部から遺族会功労者表彰、靖国神社昇殿参拝・岐阜国体あり・天皇皇后両陛下の濃飛護国神社御親拝を大垣迄奉迎・末尾にまとめあり) 1冊 B10-47
昭和41年 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(武雄遺族会長をやめる・武雄は大病ではないがよく病気をする様になる・和子は毎日会社へ行く、お寺、お宮、法事等盛大に努めている・何事もない老人の生活である) 1冊 B10-48
昭和42年 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(和子が7月6日から揖斐病院へ約半年間入院・5月12日〜6月26日迄降雨がない・末尾にまとめあり) 1冊 B10-49
昭和43年 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(9月2日からの日記は1行分に2行ずつ細かい字で書いてある・何事もない老人の生活である・和子は毎日会社へ勤めている・末尾にまとめあり) 1冊 B10-50
昭和44年 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(1行分に2行ずつ、ぎっしりと細かい字で書いてある・武雄は喜寿を迎える・末尾のまとめで長生きした事を喜ぶ) 1冊 B10-51
昭和45年 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(1行分に2行ずつ、ぎっしりと細かい字で書いてある・武雄は家、和子は会社へ勤めるという生活である) 1冊 B10-52
昭和46年 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(1月23日豊子の姉で白樫から北海道へ行った人が来る・武雄と和子の生活は前年と同様・豊作の年である) 1冊 B10-53
昭和47年 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(武雄と和子の生活は前年と同様・まあまあの年である) 1冊 B10-54
自昭和48年1月1日 至昭和48年8月19日 (野原武雄日記)(原本)野原武雄(武雄と和子の生活は前年と同様・日記は8月19日迄、昭和49年7月23日に武雄死亡82才・既に、自分の死を予期していた様である・死の直前まで頭脳明晰であった・体の余り丈夫でなかった人だが長生きをした) 1冊 B10-55止
       
B20 家産
明治15年2月1日 字下村前東九百十五番田三畝六歩地所売渡証書(写)売渡主 野村太平治・親族請人 野村□右衛門・保証人 野原仙三郎・奥印 用掛 野原光三 1通 B20-1
明治20年1月25 年賦金借用証券(原本)借主 野原仙三郎・保証人 野原光三・奥印 池田郡中村外三ヶ村戸長 岡崎朝之助から島村受念寺講取締 沓井村 野原喜惣治・遠藤政太郎宛(明治廿六年十二月廿三日大垣区裁判所判事代理裁判所書記立木弥八郎の証印あり) 1綴 B20-2
明治22年12月15日 地所売渡証券(原本)池田郡沓井村 売渡人 野原九内・同村 保証人 野原七十郎から野原仙三郎宛(池田郡沓井村他所登記印あり) 1通 B20-3
明治24年4月7日 地所売渡証書(登記済)(原本)池田郡沓井村八十六番戸 遠藤忠兵衛・保証人 同郡同村八十四番戸 遠藤清三郎から池田郡沓井村百三十七番戸 野原伊作宛 1通 B20-4
明治30年1月 沓井村粕ケ原村反別地価地租帳(原本)野原仙三郎 1綴 B20-5
明治34年10月14日 小作証券(原本)借地受作人 野原市松・右保証人 岡崎甚三郎から野原庄作宛 1通 B20-6
明治35年2月 (借地請作仕度候ニ付)請書(下書) 1通 B20-7
明治35年2月 (五月三十日限返地可仕候ニ付)請書(下書) 1通 B20-8
明治35年 (1)(養基村大字沓井)合筆届(原本)揖斐郡養基村大字沓井 野原庄作から名古屋税務管理局長 菊池良宛 (1)
1(2)綴
B20-9
明治34年11月25日 (2)(所有者異ナルヲ以テ合筆ナリ難ク返却)(原本)  揖斐税務署((2)は(1)に貼ってあった) (1)
1(2)綴
B20-9
自明治36年1月24日 至明治41年1月24日 頼母子講金借用証券(下書)(野原庄作) 1通 B20-10
明治37年2月6日 (田)売渡証書(控)揖斐郡養基村大字沓井千五拾番地 野原庄作から同所 野原治太郎宛 1通 B20-11
(明治37年12月25日) (金百円也借用申金子証券)(破損)(下書)(野原庄作)(日付は返却期限である) 1通 B20-12

(明治38年1月24日)

(金百円也)借用申金子証券(下書)(日付は返却期限である) 1通 B20-13
明治30年代 小作証券(原本)(未使用) 9通 B20-14
明治41年2月25日 所有権保存登記申請書(登記済)(原本)揖斐郡養基村大字沓井千五拾番地 所有者 野原庄作から大垣区裁判所揖斐主張所宛 1通 B20-15-1
明治34年10月5日 売渡証書(登記済)(原本)揖斐郡養基村大字沓井六十三番 売主 岡崎謹から揖斐郡養基村大字沓井 野原庄作宛 1綴 B20-15-2止
○15-1〜2止は、かんぜよりで一括してあった。
(明治41年12月25日) (金六拾五円五十銭)借用証券(控)(野原庄作)(左後ろの部分は破れて無くなっている。日付は返却期限である) 1通 B20-16
明治43年2月22日 所有権保存登記申請書(原本)揖斐郡養基村大字沓井九百弐拾六番地ノ参 所有者 野原治太郎・同所壱千五拾番地 右代理人 野原庄作から大垣区裁判所揖斐出張所宛(大垣区裁判所揖斐出張所の登記済印あり) 1通 B20-17
(明治43年7月25日) (金四拾円也)借用証書(控)(野原庄作)(左後半部分は破れて無くなっている) 1通 B20-18
明治43年9月1日 万染物御通(原本)揖斐下新町 栗田屋から沓井 野原庄作宛 1冊 B20-19
明治44年8月30 (鍬直し代領収書)記(原本)鍛冶兼から沓井 野原庄作宛 1通 B20-20
明治44年11月 (精米、こぬか代他弐円六十三銭引合書)(原本)揖斐郡養基村粕ヶ原 水車精米所 小川重松から野原庄作宛 1通 B20-21
大正元・11年1月 保険料領収証(原本)日本生命保険株式会社揖斐代理店 松岡元助から野原庄作宛 1通 B20-22
(大正元頃か) 日本生命保険会社揖斐代理店契約者並ニ被保険者人名表(原本) 揖斐代理店 松岡元助 1冊 B20-23
大正6年10月8日 (共有土地名義人表示更正)登記申請書(登記済)(原本) 岡崎市六名町字南郷中九拾弐番地 登記申請人 筒井秀雄・揖斐郡久瀬村大字外津汲四拾八番戸 右代理人 河合定治郎から大垣区裁判所揖斐出張所宛(大垣区裁判所揖斐出張所宛の登記済印あり) 1綴 B20-24
大正7年2月14日 (金四千五百円ヲ尾三農工銀行ヨリ借受タルニ付)支払金ニ関スル契約公正証書正本(控) 愛知県岡崎市康生町拾五番地 名古屋地方裁判所属公証人 江藤良弾・愛知県碧海郡桜井村大字野寺参拾弐番戸 農契約者 野原庄作(野原庄作が妻の死亡で力を落とし高岡村(現豊田市)の開墾か 1綴 B20-25
戌・8 (トフ他代金六拾弐銭五厘受取)記(原本)養基村字沓井 岡崎辰治米辰店から野原庄作宛 1通 B20-26
亥・8 (縮絣他代金三円九拾弐銭八厘受取)(原本)池田郡池野村 関野屋から野原庄作宛 1通 B20-27
年未詳・7月30 (御厚情への御礼並に岐阜市洋服店へ就業の報告・沓井へ参り兼る心中に付手紙)(原本) 野原左市から野原庄作宛 1通 B20-28
年未詳・8月 (なまず・うり他代金〆六十八銭引合書)(原本)関店から野原庄作宛 1通 B20-29
年月日未詳 売上帳(部分)(原本)(夫々の項を抹消してある) 3枚 B20-30
年月日未詳 土地台帳(原本)野原庄作 1冊 B20-31
年月日未詳 地所売渡書(原本)売渡主 田中勇治郎・親族請人 田中祐右衛門・保証人 田中喜十郎 1通 B20-32止
B30 生活と文化
明治45年4月5日 宗祖大師六百五十回大御遠忌記念基金部志受取証(原本) 本山受納所から美濃国西組 宝光寺モント 野原庄作宛 1通 B30-1
大正3年1月14日 (法名釈道尚永代経修行通知状)(原本)本山執行所 岐阜西組宝光寺門徒 野原庄作宛 1通 B30-2
年月日未詳 熊野神社御社寄付(原本)野原庄作他20人 1通 B30-3止

戻る

<外部リンク>