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第45集諸家(3)6五井家

岐阜県歴史資料館 所在史料目録

第45集 諸家文書目録(3)

牧田村五井家文書

年月日 文書名(作成・受取) 文書番号
元禄10年8月 (鉄砲改に付)差上申一札之事(写) 牧田村庄や 吉右衛門外1人・多良村庄や 多右衛門外1人・白石村庄や 彦兵衛外1人から御代官宛 1通 1
宝暦4年11月 (猪鹿威鉄砲五挺所持仕候に付)指上申一札之事(反故) 濃州石津郡牧田村庄屋 吉右衛門外6人から御代官宛 1通 2
享保3年10月12日 (猟師鉄砲六挺致所持候に付)指上申一札之事(下書) 庄や 市右衛門外11人から岩崎御役所(伊藤喜右衛門・嶋田十浪左衛門)宛 1通 3
享保3年10月12日 指上申威鉄砲昌文之事(写) 美濃国石津郡牧田村庄ヤ 吉右衛門外10人から岩崎御役所宛 1通 4
享保3年10月12日 (今度村々鉄砲御改被成別紙連判証文指上申候に付)差上申一札之事(写) 石津郡牧田村庄ヤ 吉右衛門外5人から岩崎御役所宛 1通 5
享保5年8月 (猟師鉄砲所持候に付)指上申一札之事(控) 石津郡牧田村庄屋 吉右衛門外3人から笠松御郡代所宛 1通 6
享保5年8月 (猟師鉄砲所持候に付)指上申一札之事(控) 石津郡牧田村庄屋 吉右衛門外3人から笠松御郡代所宛 1通 7
享保5年12月 (猟師鉄砲自今も前々之通被仰付候様奉願候に付)差上申一札之事(案)(原本) 小野久米五郎宛 1通 8
享保5年12月 (猟師鉄砲自今も前々之通被仰付候様奉願候に付)差上申一札之事(写) 石津郡牧田村庄屋 吉右衛門外32人から小野久米五郎宛 1通 9
宝暦6年11月 差上申威鉄砲証文之事(写) 石津郡牧田村庄屋 吉右衛門外6人から本田御役所宛 1通 10
宝暦6年11月 差上申(猟師)鉄砲証文之事(写) 石津郡牧田村庄屋 吉右衛門外7人から本田御役所宛 1通 11
宝暦6年11月 (猟師鉄砲・威鉄砲御尋に付)乍恐以書付奉上候(下書) 牧田村庄屋 吉右衛門外2人から本田御役所宛 1通 12
享和2年5月 奉指上(威・猟師)鉄砲書付(控) 牧田村庄屋 七郎右衛門・五兵衛外6人から信楽御役所宛 1綴 13
寛延3年3月 田方地押水帳 九冊之内一色(原本) 1冊 14
寛延3年3月 田方地押水帳 上野六冊之内多良道・かま土戸・六反田(原本) 1冊 15
寛延3年4月 畑方地押水帳 上野六冊之内井口・高畑・さんまい口・居屋敷(原本) 1冊 16
寛延3年4月 畑方地押水帳 弐冊之内平居(原本) 1冊 17
寛延3年4月 畑方地押水帳 一色九冊之内宮まへ他9か所(原本) 1冊 18
寛延3年4月 畑方地押水帳 三冊之内平居(原本) 1冊 19
寛延3年4月 畑方地押水帳 一色九冊之内上屋ひこ他3か所(原本) 1冊 20
宝暦8年10月 美濃国石津郡牧田村(見取場)検地帳(原本) 多羅尾 四郎右衛門・手代 辻繁右衛門外1人・案内 吉右衛門外1人 1冊 21
寛文4年10月25日 定免(原本) 脇屋金左衛門・竹内六之丞・武井伊兵衛から牧田村庄屋・百姓中宛 1通 22
寛文7年10月15日 定免(原本) 脇屋金左衛門・竹内六之丞・武井伊兵衛から牧田村庄屋・百姓中宛 1通 23
寛文8年11月25日 (牧田村・平井村)定免(原本) 脇屋金左衛門・武井伊兵衛から牧田村庄ヤ・百姓中宛 1通 24
慶長15年12月27日 (牧田村九郎兵衛むすめ二人永代譜代に遣置候に付請状)(下書) 牧田村 九郎兵衛外1人から今坂喜六宛 1通 25
安永10年2月 (六助娘とよ)縁付送手形之事(原本) 石原清左衛門様御代官所石津郡沢田村庄屋 八左衛門外2人から石津郡牧田村御庄屋衆宛 1通 26
安永10年2月 (善八妹とめ)縁付送手形之事(原本) 尾州領石津郡市之瀬村庄屋 桑原佐右衛門から石津郡牧田村御庄屋衆宛 1通 27
寛政9年5月 (山本春隆倅亥三郎)古郷送り一札之事(原本) 石津郡太里村名主 兵治郎から石津郡牧田村御庄屋 五兵衛・七郎右衛門宛 1通 28
享和4年2月 (留八娘りん)縁付送一札(原本) 石津郡市之瀬村庄屋 惣治外1人から石津郡牧田村御役人中宛 1通 29
文化4年3月 (善吉娘いよ縁付に付送り証文)一札(原本) 同国同郡市之瀬村庄屋 周助外1人から濃州石津郡牧田村御料所 御庄屋衆中宛 1通 30
文化6年4月 (孫八倅三次郎)養子送手形事(原本) 不破郡今須村庄屋 彦次郎外1人から石津郡牧田村御庄屋・御年寄衆中宛 1通 31
文化8年1月 (林蔵弟久七)養子送手形一札之事(反故) 濃州石津郡牧田村庄屋 右衛門外1人から江州坂田郡春近村御役人衆宛 1通 32
文化9年1月 (金次倅久弥)古郷送り状之事(原本) 美濃国不破郡松尾村庄屋弥左衛門・善四郎外2人から牧田村御庄屋衆・御年寄衆中宛 1通 33
文化11年3月 (忠八倅金弥)養子送り手形之事(原本) 不破郡玉村庄屋 伊三郎外1人から石津郡牧田村御役人衆宛 1通 34
文化12年1月 (為八娘すみ)縁付古郷送り手形之事(原本) 尾張様御領分石津郡牧田村庄屋 氏家新吉外1人から御料所御庄屋・御年寄衆中宛 1通 35
文政5年12月 (久右衛門娘たの)縁付送り手形之事(原本) 戸田采女正御預所濃州多芸郡直江邑庄屋 常右衛門外1人から多羅尾石津郡牧田御役人衆宛 1通 36
文政7年2月 (久助娘ため)縁付送り一札之事(原本) 不破郡関ヶ原村庄屋 源次外1人から多羅尾靫負様御代官所石津郡牧田村御役人衆中宛 1通 37
文政8年1月 (浅七妹とめ)縁付送り一札(下書) 多羅尾靫負御代官所濃州石津郡牧田村庄屋 美濃蔵外1人から江州坂田郡池之下村御役人衆中宛 1通 38
文政9年2月 (五市姉のふ)縁付送り一札(原本) 尾州御領濃州石津郡市之瀬村庄屋 孫之右衛門外1人から多羅尾靫負様御代官所濃州石津郡牧田村御庄屋衆中宛 1通 39
文政11年1月 (四郎左衛門娘のゑ)縁付送り一札之事(下書) 多羅尾靫負御代官所濃州石津郡牧田村庄屋 五兵衛外1人から戸田采女正様御預所濃州不破郡今須村御役人衆中宛 1通 40
文政11年1月 (四郎左衛門娘のへ)請取手形之事(原本) 戸田采女正様御預所濃州不破郡今須村庄屋 河地兵内・三輪治部左衛門から多羅尾靫負様御代官所濃州石津郡牧田村御役人衆中宛 1通 41
文政11年1月 (四郎左衛門娘のゑ)請取手形之事(下書) 多羅尾靫負様御代官所濃州石津郡牧田村御役人衆中宛 1通 42
文政11年1月 (元八弟乙吉)古郷送り証文之事(下書) 多羅尾靫負御代官所濃州石津郡牧田村庄屋 五兵衛外4人から濃州不破郡今須村御役人衆中宛 1通 43
文政12年1月 (吉右衛門倅金五郎)養子送り手形之事(原本) 尾州様御領分同村庄屋 五井順吉外1人から多羅尾靫負様御支配所牧田村御役人衆中宛 1通 44
文政12年1月 (和介娘なを)縁付送り手形之事(写) 濃州石津郡牧田村庄屋 五兵衛から江州坂田郡柏原宿御役人衆・西来寺宛 1通 45
文政12年2月 (与重郎姉すゑ)縁付送り一札(原本) 稲葉丹後守様御領分近江国伊香郡柏原村庄屋 彦助外1人から多羅尾靫負様御代官所濃州石津郡牧田村御役人衆中宛 1通 46
文政12年3月 (牧田村吉右衛門倅金五郎、養父孫右衛門儀御法度之宗門ニては無御座候)覚(原本) 多羅尾靫負御代官所濃州石津郡牧田村庄屋 五兵衛外1人から尾州様御領分石津郡牧田村御庄屋衆中宛 1通 47
文政12年3月 (五郎右衛門娘くみ)古郷送り証文之事(反故) 美濃国石津郡牧田村庄屋 五兵衛外1人から美濃国多芸郡龍泉寺村御名主太一郎外1人宛 1通 48
文政13年7月 (忠左衛門弟儀介)人別送り一札(写) 多羅尾靫負御代官所濃州石津郡牧田村庄屋 五兵衛から大坂内本町橋詰町御年寄 小橋屋長兵衛宛 1通 49
天保2年2月 (銀之介妹いく)縁付送り手形之事(写) 美濃国石津郡牧田村庄屋 五兵衛外2人から江州坂田郡柏原宿御役人衆・同宿 宝城寺宛 1通 50
天保14年3月 (南光院弟子正順一家四人)養子送り手形之事(原本) 美濃国安八郡大垣 皆光院から多羅尾久右衛門様御代官所濃州石津郡牧田村御役人衆中宛 1通 51
(文政12年3月) (牧田村吉右衛門倅金五郎養父ハ御法度之切支丹宗門ニ而無御座候に付)覚(下書) 尾州様御領分石津郡牧田村御庄屋衆中宛 1通 52
正徳2年1月 (牧田村江去冬笠松より被仰付候朝鮮人御入用金尾州様御領分入作之百姓三人之者出シ不申候間、委細御尋被遊候に付)(下書) 牧田村庄屋 吉右衛門外4人から御代官宛 1通 53
正徳2年1月 (朝鮮人御入用金尾州御領出作之百姓三人出シ申様ニ被仰付被下度)[ ]口上書之事(下書) 石津郡牧田村庄屋 吉右衛門外4人・惣百姓中宛 1通 54
正徳2年1月 (朝鮮人来聘諸色入用・牧田村之儀半高掛御取立トナリ去卯上納金御戻シ請取に付)(写) 石津郡牧田村庄屋 吉右衛門外3人から陸忠次右衛門・足立丈右衛門宛 1通 55
享保2年6月28日 (琉球人諸入用此度も半分ニ被為仰付被下度)乍恐以書付奉願候御事(控) 濃州石津郡牧田村庄屋 吉右衛門外1人から笠松御郡代所宛 1通 56
享保2年8月 (今度被為仰付候琉球人諸入用此度も御赦免被為遊被下候様)乍恐以書付奉願候御事(控) 平岡三郎右衛門御代官所石津郡牧田村庄屋 吉右衛門外3人から笠松御郡代所宛 1通 57
享保2年8月 (今度被為仰付候琉球人諸入用此度も御赦免被為遊被下候様)乍恐以書付奉願候御事(下書) 平岡三郎右衛門御代官所石津郡牧田村庄屋 吉右衛門外3人 1通 58
享保4年6月21日 (今度朝鮮人来朝佐渡川舟橋御入用人足天和年中之通りニ被仰付被下度)乍恐以書付奉願候御事(下書) 石津郡牧田村庄屋 吉右衛門外4人から笠松御郡代所宛 1通 59
享保6年3月 (去亥年朝鮮人来朝諸入用半高掛りニ被仰付被下度)乍恐以書付奉願候御事(下書) 石津郡牧田村庄ヤ 吉右衛門外5人から笠松御郡代所宛 1通 60
享保6年3月 (去亥年朝鮮人来朝諸入用半高掛りニ被仰付被下度)乍恐以書付奉願候御事(湿損)(控) 石津郡牧田村庄屋 吉右衛門外5人から笠松御郡代所宛 1通 61
○3-62は、欠番である。
       
享保6年3月 (去ル亥年朝鮮人来朝舟橋御用御役人様より賃銀相渡候様ニと御廻状被下候に付)乍恐以書付申上候御事(地欠)(下書) 牧田村庄ヤ 吉右衛門外4人から岩崎御役所宛 1通 63
寛延2年12月 (今度朝鮮人御用馬諸入用被為仰付候得共先規之通り御用捨被為仰付被下置佐路様)乍恐以書付奉願候(控) 石津郡牧田宿庄屋 吉右衛門外1人から川崎平右衛門様御役所宛 1通 64
文化5年8月 (去卯上納仕候去々琉球人御入用御割賦金御下ケ被下置候様)乍恐書付を以御願奉申上候御事(控) 濃州石津郡牧田村庄屋右衛門外2人から信楽御役所宛 1通 65
天明2年4月 (牧田村頭百姓議定書之儀ニ付、御山廻杉田尉右衛門・同新之右衛門、去丑十一月書付を以御役所江奉願候ニ付、私返答申上旨去月被仰と候ニ付左ニ奉申上候)(写) 牧田村 五井患門から御代官役所宛 1通 66
元亀2年11月28日 麦房大明神棟(札)[ ]奉建立(之覚)(地欠)(写) 牧[ ] 1通 67
寛永6年11月18日 (今度七左衛門殿と官山出入ニ月両方年寄預り状)(写) 三宅久兵衛外11人から五井勘右衛門宛 1通 68
(延宝4年11月) (麦房大明神社頭再興棟札)(写) 願主 五井勘右衛門・本願現住仙寿院宥恵(この写は享保(86号)以降のものなり) 1通 69
元禄6年2月・吉 麦房御社上葺奉加帳(原本) 1冊 70
元禄6年2月・吉 麦房御社上葺奉加帳(原本) 二又村 1冊 71
元禄6年2月・吉 麦房御社上葺奉加帳(原本) 和田村 1冊 72
元禄6年2月・吉 麦房御社上葺奉加帳(原本) 一色村 1冊 73
元禄6年2月・吉 麦房御社上葺奉加帳(原本) 山村 1冊 74
元禄6年2月・吉 麦房御社上葺奉加帳(原本) 門前村 1冊 75
(元禄6年4月15日) (麦房大明神社頭再興棟札)(原本) 勧進施主 牧田郷僧俗 男女中・五井勘右衛門至道(この写は享保5年(86号)以降のものである) 1枚 76

申(宝永元)・9月13日

(牧田村庄屋治左衛門并組頭六人より麦房大明神宮付御年貢地ニ付訴状指上ケ候間返答書指出し可申候に付達書)(写) 河村加左から牧田村 勘右衛門宛 1通 77
宝永元・11年 乍恐返答書以申上御事(写) 2通 78
宝永2年2月 (麦房大明神修復之儀ニ付我等と惣氏子中と出入ニ罷清候処義談安申候に付)(写) 勘右衛門から善性寺・琳光寺宛 1通 79
宝永2年2月 (拙僧共麦房大明神出入申請、双方納得ニて相済申候に付)手形之事(写) 善性寺・琳光寺から五井勘右衛門宛 1通 80
宝永2年2月 (麦房大明神訴状并勘右衛門差上候返答書共ニ請取書)(写) 牧田村庄屋 治左衛門・勘右衛門・善性寺・琳光寺から河村嘉左衛門宛 1通 29587
宝永2年2月 (麦房大明神訴状并勘右衛門差上候返答書共ニ請取書)(前欠)(写) 牧田村 善性寺・琳光寺・庄屋 治左衛門・同村 勘右衛門から河村嘉左衛門宛(河村嘉左の裏判あり) 1通 81-2止
宝暦4年2月 (麦房大明神修復之儀惣氏子中儀談安申候に付)(地欠)(写) 御本丸庄屋 吉右衛門・尾州御領庄屋 治左衛門から善性寺・琳光寺宛 1通 82
宝永2年2月 (麦房大明神修復之儀惣氏子中儀談安申候)手形之事(写) 御本丸庄屋 吉右衛門・尾州御領庄屋 治左衛門から善性寺・琳光寺宛 1通 83
宝永7年2月 (麦房大明神之儀村支配ニ御帳面御直シ可被下候に付)(写) 濃州石津郡牧田村 麦房大明神社僧 真言宗浄泉院から柴山百助宛 1通 84
宝永7年2月 (麦房大明神如元建直シ申度)奉願御事(写) 濃州石津郡牧田村 麦房大明神社僧 浄泉院外庄屋2人から柴山百助宛 1通 85
(享保5年6月28日) (麦房大明神社頭再興棟札)(写) 導師浄泉院法印任重 願主 五井勘右衛門直樹 高持并惣氏子中 1通 31413
享保10年8月 (麦房大明神様御祭礼之趣願成仕候御返礼ニ相勤申候義ニ有之候へハ村双中相守可申と相談相究メ連判一札)(下書)  1通 86-2止
享保11年12月28日 先祖より預り来ル宮高田(畑)[ ](頼母子)取立之連中相談之上戻シ申[ ](地欠)(写) 田畑戻シ主頼母[ ]外3人から麦房大明神宛 1通 87
宝暦4年2月 (御料之者共不得心故延引仕候間、何卒惣氏子中打潤麦房大明神修復仕度)乍恐口上之覚(下書) 五井勘右衛門 1通 32143
宝暦4年・閏2月 (麦房大明神修覆御支配所御百姓中被同心諸事古例之通申合候様被為仰付被下候様に付願書)(前欠)(写) 尾州御領分牧田宿問屋 五井勘右衛門外5人から本田御役所宛 1通 88-2止
宝暦4年3月 (御料之衆難渋被致麦房大明神大破ニ成候間村中諸事納得ニて往古棟札之通ニ取扱被呉候様仕度)乍恐書付を以奉願上候御事(下書) 濃州牧田村 五井勘右衛門外5人から伊佐地政右衛門・青木嘉右衛門宛 1通 89
宝暦4年3月 (御料之衆難渋被致麦房大明神大破ニ成候間村中諸事納得ニて往古棟札之通ニ取扱被呉候様仕度)乍恐書付を以奉願上候御事(控)(反故) 濃州牧田村 五井勘右衛門外5人から伊佐地政右衛門・青木嘉右衛門宛 1通 90
明和8年11月・吉 宮之谷山神改帳 牧田上野村中(原本) 浄泉院法秀代 1通 91
安永2年10月 (拙僧儀麦房大明神別当浄泉院住職望ニ付)一札(原本) 尾州蜂須賀村 蓮華寺弟子 遵敬から浄泉院檀頭 五井勘右衛門宛 1通 92
安永7年2月 (麦房大明神社席論に付)(写) 訴訟方 牧田村御料 多賀之進外4人・相手方 同村尾州御料 五井勘右衛門外1人・村役人10人・立入人4人 1通 93
寛政10年8月 寺社御改ニ付書上帳(写) 牧田村庄屋七郎右衛門・五兵衛外6人から信楽御役所宛 1通 94
(宝暦4年)・閏2月 (麦房大明神社大破仕候に付)(下書) 牧田村庄ヤ 十左衛門外3人から伊佐地政右衛門・青木加門宛 1通 95
年月未詳・4月11日 (麦房大明神旧記之写之為持進申候・浄泉院当住隠居不承知・何卒修覆仕様ニ仕度に付手紙)(原本) 実聚院画伝から伊藤さん太夫宛 1通 96
(安永7年か)7月15日 (御惣社各方出入之儀内済相調ニ付御使被下忝奉存候に付御礼手紙)(原本) 土山金兵衛安□から五井勘右衛門・五井五兵衛・五井小心庵宛 1通 97
丑・7 (御惣社出入ニ付拙者取替金に付)覚(原本) 久兵衛(午十二月の笠松行に法印・勘右衛門・一郎兵衛・五兵衛の名あり) 1通 98
丑・7月9日 (御惣社で入用金為持上候に付)(原本) 五井一郎兵衛・氏家久兵衛から五井勘右衛門宛 1通 99
○3-97〜99は、土山宿 土山金兵衛から五井勘右衛門・五井五兵衛・五井小心庵宛の包紙に包んであった。
       
申・3月28日 (平尾願証寺住持乗道儀隠居被申付無住ニ相成候に付)(原本)平尾御坊納所から牧田村御庄屋中宛 1通 100
年月日未詳 (勘右衛門分宮分御年貢細間)覚(写) 1通 101
年月日未詳 (麦房大明神神事年中行事入用)覚(下書) 1通 102
(宝暦4年) (古例之通ニ早速麦房大明神修覆仕候様ニ乍恐書付を以奉願上候御事)(下書) 牧田村 五井勘右衛門・同断庄ヤ 当右衛門外3人から本田御役所宛 1通 103
享保9年8月・吉 千文唐音(原本) 冠山岡島著 武江城玄賞斎発行 1通 104止

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