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随縁寺裏B地点遺跡

随縁寺裏B地点遺跡(ずいえんじうらBちてん)

所在地

高山市上切町
地図<外部リンク>

時代

縄文時代、弥生時代、古代、中世
発掘区遠景
随縁寺裏B地点発掘区遠景(南から撮影)

発掘状況

随縁寺裏B地点遺跡は、高山盆地西部を北流する川上川に注ぎ込む、高曽洞川(こそぼらがわ)左岸の丘陵上に位置します。現状では宅地や農地として造成が進み、いくつかの平坦面をもつ階段状の地形となっています。今回の発掘調査区は北地区と南地区に分かれ、竪穴建物7軒、溝9条、土坑171基、柱穴19基、自然流路6条と縄文時代から中世までの遺物を確認しました。

自然流路を確認

北地区と南地区では、砂礫層が堆積した自然流路を確認しました。それぞれの自然流路の位置関係から北地区から南地区に流れる自然流路が推定できます。この自然流路は、出土した土器から縄文時代後期頃にはほぼ埋没し、小規模な自然流路と傾斜地になり、竪穴建物が造営される古代の頃には自然流路も埋没したと考えられます。
発掘区自然流路南地区自然流路
発掘区で確認した自然流路(青色部分)南地区で確認した自然流路(北から撮影)

竪穴建物跡を確認

南地区では、7世紀後葉から8世紀前葉頃の竪穴建物を重複した状態で確認しました。竪穴建物群の東側には砂礫層が堆積した自然流路があり、その上面で建物跡を確認できることにより、竪穴建物は谷を形成する自然流路がほぼ埋まり緩傾斜地になった後に、ほぼ同じ場所に繰り返し建てられていたことが分かりました。平安時代前期になると当遺跡の南西側に隣接して、鍛冶関連遺構や墨書土器などを伴い、官衙との関わりを示す大規模な集落である野内(のうち)遺跡が出現します。また、当遺跡の周辺では西方丘陵部の赤保木古窯跡群(あかほぎこようあとぐん)、平野古窯跡群、よしま古窯跡群で灰釉陶器(かいゆうとうき)の生産が開始されます。今回確認した竪穴建物群は、こうした古代における生産拠点が成立する直前の短期間に営まれた集落跡と考えられます。
竪穴建物跡竪穴建物跡2
古代の竪穴建物(SI1)古代の竪穴建物(SI2)

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