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第44集棚橋健二家(6)4_6_4

岐阜県歴史資料館所在史料目録

第44集棚橋健二家文書目録(6)(近代史料の部(4))

第一部近世文書公文書

4村政
(6)村方帳簿(4/4)
年月日 文書名 作成 受取 文書番号
午(安政5年)2月17日 (御膳籾代残金受取申候に付)覚(原本) 惣代南波村儀左衛門 楡俣村御庄屋中 1通 4-(6)2388-72
午(安政5年)2月18日 (去巳御城米御三軒之分過米取調之)覚(原本) 新田藤兵衛 棚橋逸策 1通 4-(6)2388-73
午(安政5年)2月 (御膳籾代残金来ル十七日限り拙宅へ向ケ御出金可被下に付)覚(原本) 惣代南波村儀左衛門 楡俣村御庄屋中 1通 4-(6)2388-74
(安政5年)3月7日 (くす切・大こん等代受取申候に付)覚(原本) 藤本や彦兵衛 1通 4-(6)2388-75
(安政5年)3月20日 (紫代銀差引残り銭御算当可被下候に付)覚(原本) 木屋文左衛門 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2388-76
(安政5年)3月25日 (五郎右衛門・半左衛門・新右衛門・竜次・政右衛門・富三郎)安政五午とし内納入米之覚(下書)     1通 4-(6)2388-77
(安政5年)3月26日 (油代等引合兼受取)覚(原本)(受取日は4月6日) 堀津油屋庄兵衛   1通 4-(6)2388-78
(安政5年)3月26日 (小作米代金之内御越被下候金請取申候に付)覚(原本) 民弥 逸策 1通 4-(6)2388-79
(安政5年)3月28日 (助郷臨時入用・籾代残金・縮緬切代〆金より圦割差引過金差上申候に付)覚(原本) 権兵衛 逸策 1通 4-(6)2388-80
(安政5年)3月29日 (助郷臨時入用西条当り金請取申候に付)覚(原本) 権兵衛 逸策 1通 4-(6)2388-81
(安政5年)3月29日 (多良御講差引不足銀受取申候に付)覚(原本) 南波村加納儀左衛門 楡俣村棚橋逸策 1通 4-(6)2388-82
午(安政5年)4月6日 (酒いせ塩代請取之)覚(原本) 堀津油屋庄兵衛 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2388-83
午(安政5年)4月13日 (えんと豆等代銀引合之)覚(原本) 藤助 棚橋御隠居 1通 4-(6)2388-84
(安政5年)4月24日 (去巳御城米小前方ヨリ引入米何卒御一諸ニ貴公様之御勘定支度奉願上に付)覚(原本) 大薮村勘四郎 五郎右衛門 1通 4-(6)2388-85
午(安政5年).卯.26 (巴へ御膳・義経様・たいこう様代銀之)覚(原本) 大垣□町あさのやキ七 1通 4-(6)2388-86
午(安政5年)5月5日 (西組・北束組引入米代金差上申候に付)覚(原本) 勘四郎 五郎右衛門 1通 4-(6)2388-87
(安政5年)6月7日 (竹の子ゆり他諸買物代銭請取に付)覚(原本) □木屋又右衛門 1通 4-(6)2388-88
午(安政5年)7月13日 (去巳御城米北束組差入再書之)覚(原本) 勘四郎 逸策 1通 4-(6)2388-89
午(安政5年)7月 (去巳年御城米差引勘定之)覚(原本) 大薮村勘四郎 逸策 1通 4-(6)2388-90
(安政5年) (四ヶ村分午三月古講懸金差引之)覚(下書)     1通 4-(6)2388-91
(安政5年) (閏五月十九日福束澪急破囲人足之)覚(下書)     1通 4-(6)2388-92止
○2388-1~92止は、「安政四年巳十一月諸書付入」とある紙袋に入っていた。
自安政4.11.晦
日至安政4.(12).大晦日
巳年御年貢米金請取帳(原本) 棚橋五郎右衛門   1冊 4-(6)2389
安政4年11月 巳年御城米納所量帳(原本) 庄屋逸策   1冊 4-(6)2390
安政4年11月 巳年御城米留帳(原本) 棚橋五郎右衛門   1冊 4-(6)2391
安政4年11月 巳歳田畑控え米留帳(原本) 棚橋五郎右衛門   1冊 4-(6)2392
安政4年12月15日 巳年三組立割賦帳(原本) 割本逸策   1冊 4-(6)2393
天文2年12月 銀三ふん札(原本) 大垣銀札所   1枚 4-(6)2394-1
天文2年12月 銀三ふん札(原本) 大垣銀札所   1枚 4-(6)2394-2
天文2年12月 銀三ふん札(原本) 大垣銀札所   3枚 4-(6)2394-3
巳(安政4年)11月29日 (郡中十月割組当り金御惣代之御渡可被下候様に付)覚(控) 五郎右衛門 西松権兵衛 1通 4-(6)2394-4-1
(安政4).11.晦 (木くらけ他代金引合之)覚(原本) 藤本屋彦兵衛 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2394-4-2
(安政4年).極.4 (三河みそ他代銀受取申に付)覚(原本) 藤本屋彦兵衛 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2394-4-3
(安政4年)12月7日 (金子勘定之)覚(原本) 半左衛門 逸策 1通 4-(6)2394-4-4止
○2394-4-1~4止は、かんぜよりで一括してあった。
(安政4年)12月3日 (束ル六日御輪中請割御苦労被成下度御出席可被下に付)廻文(原本) 楡俣村逸策 大薮村17ヶ村御庄屋衆中 1通 4-(6)2394-5
(安政4年)12月4日 (溜り他代銀之)覚(原本) 尾張屋徳兵衛 五郎右衛門 1通 4-(6)2394-6
(安政4年)12月4日 (大ノ味噌等代銭勘定之)覚(原本) 濃州堀津油屋庄兵衛 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2394-7
(安政4年)12月5日 (しろかき他代銀受取申に付)覚(原本) (大垣中町)万麩物類割菱屋弥兵 1通 4-(6)2394-8
(安政4年)12月5日 (そかけ代銀割合之)覚(原本) 庄兵衛 上五郎右衛門 1通 4-(6)2394-9
(安政4年)12月5日 (当輪中御割合早朝より御苦労可被下此度ハ只定式輪中割入之物計に付回章)(原本) 楡俣村逸策 大薮村外4ヶ村御庄屋中 1通 4-(6)2394-10
(安政4年).極.5 (御注文之養老酒手切ニ候故五合差上残五合明日遣シ申に付書状)(原本) おけや猶右衛門 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2394-11
(安政4年)12月6日 巳歳輪中諸入用割賦帳(原本) 割本楡俣村   1冊 4-(6)2394-12
(安政4年)12月6日 巳年輪中諸入用附出帳(原本) 割本楡俣村   1冊 4-(6)2394-13
(安政4年)12月6日 (代銀勘定之)覚(原本) 弥兵衛 五郎右衛門 1通 4-(6)2394-14
(安政4年)12月6日 (溜り他代銀之)覚(原本) 尾張屋徳兵衛 市作 1通 4-(6)2394-15
(安政4年)12月9日 (御割合御村毎配賦差上申に付回章)(原本) 楡俣村逸策 大薮村外17ヶ村庄屋中 1通 4-(6)2394-16
(安政4年)12月 巳年輪中請割諸入用并小人足覚帳(原本) 楡俣村   1冊 4-(6)2394-17
(安政4年)12月 (せんへい等代銭引合之)覚(原本) 尾張や徳兵衛 逸策 1通 4-(6)2394-18
(安政4年).月未詳.9日 七日献立(之覚)(下書)     1通 4-(6)2394-19
(安政4年).月日未詳 (御奉以下上下供数之覚)(写)     1通 4-(6)2394-20
(安政4年) (村別人足之覚)(下書)     1通 4-(6)2394-21
(安政4年) (小島御見計御極可被下に付)覚(原本) 五郎右衛門 半左衛門 1通 4-(6)2394-22止
○2394-1~22止は、「安政四年十二月輪中請割帳入楡俣村逸策」とある紙袋に入っていた。
安政4年12月 巳年御年貢米割賦帳(原本) 庄屋逸策   1冊 4-(6)2395
安政4年12月 巳年御年貢金割賦帳(原本) 庄屋逸策   1冊 4-(6)2396
安政4年12月 小役撰出并仲満差引覚帳(原本) 庄屋逸策   1冊 4-(6)2397
安政4年12月 巳年御城米引入帳(原本) 庄屋逸策   1冊 4-(6)2398
安政4年12月 巳辰年御口米并諸金納仕訳帳(原本) 庄屋逸策   1冊 4-(6)2399
安政4年 盆前払方覚(下書)     1冊 4-(6)2400
(安政4年) (村入用立替覚帳)(下書)     1冊 4-(6)2401
安政5年12月 去巳年御年貢江戸買納代金四組仕訳帳(原本) 庄屋逸策   1冊 4-(6)2402-1
(安政5年12月) (巳年四組高并御取米之覚)(下書)     1通 4-(6)2402-2止
○2402-2止は、2402-1にしばってあった。□2367~2402-2止は、「安政四巳年諸帳面」とある木箱に入っていた。
文政8年12月 奉公人御請状之事(原本) 安八郡須賀村奉公人吉助・同親祐蔵・同請人由口衛門 楡俣村五郎右衛門 1通 4-(6)2403
安政5.正.吉 金銀出入帳(原本) 棚橋五郎右衛門   1冊 4-(6)2404
安政5.正.吉 午年当座帳(原本) 棚橋五郎右衛門   1冊 4-(6)2405
安政5.正.吉 万覚帳(原本) 棚橋五郎右衛門   1冊 4-(6)2406
安政5年.正 午年御用人馬并村用留帳(原本) 庄屋逸策   1冊 4-(6)2407
午(安政5年)3月11日 (買物代金)覚(原本) 御肴屋出店勝助 棚橋五良右衛門 1綴 4-(6)2408-1
午(安政5年)3月 (御公役様上下等御昼支度代銀)覚(原本) 重五郎・与助 楡俣村棚橋逸作 1通 4-(6)2408-2
午(安政5年)4月29日 (鳥・丸麩他代銀受取)覚(原本) 十五郎 棚橋逸策 1通 4-(6)2408-3
(安政5年) (諸入用割符)覚(下書)     1通 4-(6)2408-4止
○2408-1~4止は、「安政五年村用諸書付入」とある紙袋に入っていた。
安政5年11月11日 諸雑記(原本) 棚橋吉重   1冊 4-(6)2409
安政5.11.吉 午歳田畑掟帳(原本) 棚橋五郎右衛門   1冊 4-(6)2410
安政5年11月 午年御年貢米金請取帳(原本) 棚橋五郎右衛門   1冊 4-(6)2411
安政5年11月 午年御城米留帳(原本) 棚橋五郎右衛門   1冊 4-(6)2412
安政5年12月2日 巳歳御廻米四組差引帳(原本) 割本民弥   1冊 4-(6)2413
午(安政5年)12月27日 (大垣御宿勝助方筆工料并人足賃に付書状)(原本) 里村川瀬彦内 棚逸策 1通 4-(6)2414-1
午(安政5年)12月 (諸掛代銀請取)覚(原本) 御肴や勝助 輪中御用御庄屋衆中 1通 4-(6)2414-2
未(安政6年)7月 (諸掛代銀請取)覚(原本) 御肴屋勝助 四安八輪中御用庄屋衆中 1通 4-(6)2414-3止
○2414-1~3止は、「輪中割圦割諸書付入」とある紙袋に入っていた。
安政5年12月 小役銀其外組合并仲満差引帳(原本) 棚橋逸策   1冊 4-(6)2415
安政5年 午年仲間地仕訳帳(原本) 半右衛門 五郎右衛門 1冊 4-(6)2416
(安政5年) (年貢割符帳)(下書)     1冊 4-(6)2417
自安政6年12月4日
至安政6年12月17日
岡崎行諸入用留(原本) 楡俣村棚橋五郎太夫   1冊 4-(6)2418-1
自未(安政6年)12月4日
至未(安政6年)12月18日
御吟味役御上リニ付為御案内両度岡崎行諸入用留(原本)     1冊 4-(6)2418-2
自(安政6年)12月4日
至(安政7年).正.8
(岡崎行諸入用下書)(下書)     1冊 4-(6)2418-3
(安政6年)12月5日 (酒肴代受取)覚(原本) 白木や 御客 1通 4-(6)2418-4
(安政6年)12月15日 (御酒他代銭受取)覚(原本) 三州岡崎伝馬沢屋 1通 4-(6)2418-5
未(安政6年)12月19日 (酒肴他代銭請取)覚(原本) 岡崎宿桔梗や半三郎 棚橋 1通 4-(6)2418-6
自安政7年.正.2
至安政7年.正.7
岡崎行諸事留(原本) 棚橋五郎太夫   1冊 4-(6)2418-7
(安政7年).正.7 (御酒御肴代頂戴)覚(原本) 尾州東海道宮宿桔梗屋喜七 1通 4-(6)2418-8
(万延元年)2月10日 (書付類不残持参今夕御来臨被下候様致度に付書状)(原本)     1通 4-(6)2418-9
申(万延元).3.朔 (岡崎行諸入用)覚(写) 楡俣村五郎太夫   1通 4-(6)2418-10止
○2418-1~10止は、「御用ニ付岡崎行諸書付入」とある紙袋に入っていた。□2403~2418-10止は、「安政五午年諸帳入棚橋」とある木箱に入っていた。
嘉永6年.正 丑歳当座帳(原本) 棚橋五郎右衛門   1冊 4-(6)2419
午(安政5年).極 預り地所覚(原本) 忠八 棚橋 1通 4-(6)2420-1
午(安政5年).冬 (米勘定之)覚(原本) おけや猶右衛門 にレ又棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2420-2
(安政6年).正.16 (杉小呂他代金受取)覚(原本) 材木屋与右衛門 にれ又村棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2420-3
(安政6年).正.17 (縮緬代受取)覚(原本) 備後屋重三郎 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2420-4
未(安政6年).正.18 (杉板御受取被成下度に付)覚(原本) 材木屋与右衛門 にれ又村棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2420-5
(安政6年).正.19 (種油代受取)覚(原本) 坂本屋彦兵衛 1通 4-(6)2420-6
(安政6年).正.23 (別紙御米仕切書付御請取可被下候并に御過米之内大藪村ニ渡候米拝借仕度に付書状)(原本) 民弥 五郎右衛門 1通 4-(6)2420-7-1
未(安政6年).正 (高米勘定)北東組分(他)覚(原本) 勘四郎 五郎右衛門 1通 4-(6)2420-7-2止
○2420-7-1~2止は、一括してあった。
(安政6年).正.26 (納麦代金御かし被下候に付書状)(原本) 長左衛門 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2420-8
(安政6).正.晦 (御預り田地の策午年の分別紙之通り御年貢并夫銀差引書付指上申に付書状)(原本) 日比与左衛門 たなばし 1通 4-(6)2420-9-1
未(安政6).正.晦 (預田地昨午年分御年貢并夫銀指引之)覚(原本) 日比与左衛門 にれまた棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2420-9-2止
○2420-9-1~2止は、一括してあった。
(安政6).正.晦 (御年玉之粗菓差上候并政右衛門様御講出席御断に付書状)(原本) 小薮村宮田又十郎 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2420-10
未(安政6年).正 (高米勘定)覚(原本) 八左衛門 五郎右衛門 1通 4-(6)2420-11
未(安政6年).正 (高当米勘定)覚(原本) 民弥 逸策 1通 4-(6)2420-12
(安政6年)2月18日 (高米勘定)覚(原本) 楡俣新田藤兵衛 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2420-13
未(安政6年)2月26日 (内入米勘定之)覚(下書)     1通 4-(6)2420-14
(安政6年)2月28日 (御本丸八俵勘定)覚(原本) 竹ヶ鼻若森甚七 一色村水谷忠也 1通 4-(6)2420-15
(安政6年)3月6日 (逸作様御越之一条、此度ハ極内々御示談申上候積に付書状)(原本)     1通 4-(6)2420-16
(安政6年)3月14日 (種油・上酒代請取)覚(原本) 堀津油屋庄兵衛 1通 4-(6)2420-17
未(安政6年)3月21日 (御注文書受取)覚(原本) 材木屋与右衛門 にれ又棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2420-18
未(安政6年)3月25日 (慶正寺方御大会入用他持ニ遣申に付御請取可被下に付書状)(原本) 民弥 逸策 1通 4-(6)2420-19
未(安政6年)3月26日 (御米仕切勘定)覚(原本) 民弥 逸策 1通 4-(6)2420-20
未(安政6年)3月 (去午下米代)覚(原本) 安三郎 逸策 1通 4-(6)2420-21
未(安政6年)3月 午年仲満作徳米仕訳覚(原本) 民弥 逸策 1通 4-(6)2420-22
(安政6年)3月 (五郎服羽折他代金)覚(原本) 直助 棚橋 1通 4-(6)2420-23
(安政6年)4月9日 (御城米勘定に付)口上(原本) 金森藤兵衛 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2420-24
(安政6年)4月17日 (人足賃銀)覚(原本) 徳兵衛 五郎右衛門 1通 4-(6)2420-25
(安政6年)4月29日 (金拾五両之請取差上に付)覚(原本) 新右衛門 逸策 1通 4-(6)2420-26
(安政6).5.朔 (井戸惣代之義被成下候様猶又米代金請取申候に付書状)(原本) 民弥 逸策 1通 4-(6)2420-27
未(安政6年)6月7日 (先達て之過米より差引残御覧可有に付)覚(原本) 民弥 逸策 1通 4-(6)2420-28
(安政6年)7月2日 (三ツ柳村庄兵衛母死去葬式は明日三日に付書状)(原本) 一色村水谷忠八 楡俣村棚橋逸策 1通 4-(6)2420-29
(安政6年)7月2日 (去午年御城米端米之分差上に付)覚(原本) 楡俣新田藤兵衛 棚橋逸策 1通 4-(6)2420-30
(安政6年)7月5日 (鉄砲持参仕、帝輔様之願上置候間、右○今日御拝借仕度に付書状)(原本) 浅野弥左衛門 棚橋逸策 1通 4-(6)2420-31
(安政6年)7月6日 (金子百金慥落手并に内納米残り分に付書状)(原本) 西松権兵衛 棚橋逸策 1通 4-(6)2420-32
(安政6年)7月6日 (当年は御城米之儀彼是間違之筋ニ相成何共申上兼候に付)口演(原本) 新田金森藤兵衛 棚橋逸策 1通 4-(6)2420-33
(安政6年)11月29日 (生酒壱樽他代銭受取)覚(原本) 堀津油屋庄兵衛 五郎右衛門 1通 4-(6)2420-34
未(安政6).12.朔 (新田過米差引違ニて不足ニ相成奉恐入候に付書状)(原本) 西松権兵衛 棚五郎太夫 1通 4-(6)2420-35
(安政6年).月未詳.6日 (只今竹ヶ鼻より俄ニ能連中押寄、囃子始候に付)舌代(原本) 春水 楡村 1通 4-(6)2420-36
(安政6年).月未詳.28日 (昨日藤兵衛取調方申参候右取調書并金子差上申候に付書状)(原本) 権兵衛 五郎太夫 1通 4-(6)2420-37
(安政6年) 内納米(覚)(下書)     1通 4-(6)2420-38
(安政6年) (小作米割付)覚(原本)     1通 4-(6)2420-39
(安政6年) (代銀)覚(原本) 利助 楡俣村棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2420-40
(安政6年) (御米勘定)覚(下書)     1通 4-(6)2420-41
(安政6年) (日次記)(断簡)(下書)     1通 4-(6)2420-42止
○2420-1~42止は、「安政六年未正月より諸書付入」とある紙袋に入っていた。
安政6.正.吉 金銀出入帳(原本) 棚橋五郎右衛門   1冊 4-(6)2421
安政6.正.吉 万覚帳(原本) 棚橋五郎右衛門   1冊 4-(6)2422-1
未(安政6年).正 (米代書面之通勘定延引之段御放免奉願上候に付書状)(原本) 権兵衛 棚逸策 1通 4-(6)2422-2
未(安政6年)3月7日 (門樋入用并去々巳年圦仮割)覚(原本) 民弥 逸策 1通 4-(6)2422-3
(安政6年)3月11日 (差引勘定仕候間御こし被下候様奉願上候に付書状)(原本) 福束村高橋九郎右衛門 楡俣村棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2422-4
未(安政6年)4月24日 (時炭六俵勘定)覚(原本) 休太夫・九郎左衛門・助右衛門 楡俣村五郎右衛門 1通 4-(6)2422-5
未(安政6年)5月19日 (元利勘定仕過銀為持遣し候に付書状)(原本) 高橋九郎左衛門 棚橋逸策 1通 4-(6)2422-6
未(安政6年)7月17日 (六百回忌諸入用)覚(原本) 民弥 逸策 1通 4-(6)2422-7
安政6年12月20日 (銀子勘定)覚(原本) 福束村水谷五兵衛 棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2422-8
安政6年12月21日 (過金取扱方御返書奉願上に付書状)(原本) 福束村五兵衛 五郎右衛門 1通 4-(6)2422-9
申(安政7年).春 (去々年午之米代より諸差引取調候間御控帳と御引合セ可被下に付書状)(原本) 権兵衛 棚五郎右衛門 1通 4-(6)2422-10
年月日未詳 (借用金品)覚(原本) 片野 棚橋 1通 4-(6)2422-11
年月日未詳 巳年自普請諸入用請割(覚)(下書)     1通 4-(6)2422-12止
○2422-1~12止は、一括してあった。
安政6.正.吉 未年当座帳(原本) 棚橋五郎右衛門   1冊 4-(6)2423
安政6年.正 金太米并内納米売払勘定帳(原本) 棚橋五郎右衛門   1通 4-(6)2424-1
安政6年3月 改内納米売払代金仕訳帳(原本) 棚橋五郎右衛門   1通 4-(6)2424-2止
○2424-1~2止は、かんぜよりで一括してあった。
安政6年4月 金太米売払仲満勘定覚帳(原本)     1冊 4-(6)2425
(安政6年)6月10日 (為虫除御祈祷或ハ湯立歟いたし度に付書状)(原本) 大藪村庄屋 楡俣村御庄屋中 1通 4-(6)2426-1
(安政6年)7月12日 (村方高当り米割符)覚(原本) 竜二 五郎太夫 1通 4-(6)2426-2
(安政6年)12月22日 (御高懸り夫銀御借用金元利に付書状)(原本) 新田金森藤兵衛 楡俣村棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2426-3
未(安政6年)12月23日 (東北分西組分銀勘定)覚(原本) 勘四郎 五郎右衛門 1通 4-(6)2426-4
未(安政6年)12月23日 (高米未夫銀割符)覚(原本) 大藪西組 楡俣村五郎右衛門 1通 4-(6)2426-5
未(安政6年)12月23日 (銀子勘定)覚(原本) 八左衛門 五郎右衛門 1通 4-(6)2426-6
未(安政6年)12月23日 (高米夫銀割符)覚(原本) 大藪北東組 楡俣村五郎右衛門 1通 4-(6)2426-7
(安政6年)12月23日 (御高懸り夫銀御勘定拝借金御差引に付書状)(原本) 新田金森藤兵衛 楡俣村棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2426-8
未(安政6年)12月28日 (高当夫銀差引覚)(原本) 民弥 五郎太夫 1通 4-(6)2426-9
(安政6年)12月28日 (夫銀勘定返金)覚(原本) 民弥 五郎太夫 1通 4-(6)2426-10
未(安政6年)12月29日 (内入米御差引可被下に付)覚(原本) 民弥 五郎太夫 1通 4-(6)2426-11
未(安政6年)12月 (年貢米銀勘定)覚(原本) 与左衛門 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2426-12
安政6年 未年仲間地仕訳帳(原本) 半左衛門 五郎太夫 1通 4-(6)2426-13
(安政6年) (政右衛門分高当米勘定)覚(原本)     1通 4-(6)2426-14
(安政6年) (政右衛門分村高当米)覚(原本)     1通 4-(6)2426-15
(安政6年) (白ミそ・ひりうず他代引合)覚(原本)     1通 4-(6)2426-16
(安政6年) (民弥分損毛俵過米覚)(下書)     1通 4-(6)2426-17
(安政6年) (俵数勘定覚)(下書)     1通 4-(6)2426-18
(安政6年) (御蔵鼠喰)覚(下書)     1通 4-(6)2426-19
(安政6年) (五郎太夫米勘定覚)(下書)     1通 4-(6)2426-20
(安政6年) (米勘定)覚(下書)     1通 4-(6)2426-21
(安政6年) 御年玉進上御風呂敷(原本) 御肴屋勝助 棚橋五良右衛門 1通 4-(6)2426-22
安政7年.正 内納米売払勘定并仲満差引帳(控) 棚橋五郎太夫   1冊 4-(6)2426-23
安政7.正.吉 金太米売払仲満勘定覚帳(控)     1冊 4-(6)2426-24
(安政7年).閏3月5日 (半俵勘定)覚(原本) 民弥 五郎太夫 1通 4-(6)2426-25
(安政7).3.晦 (御米上・中・下蔵請取)覚(原本) 民弥 五郎太夫 1通 4-(6)2426-26
(万延元年).正.9 (此酒壱壺年玉之印迄ニ進上仕度に付書状)(原本) 日比 たなばし人々 1通 4-(6)2426-27
申(万延元年).正.13 (西組高米勘定)覚(原本) 勘四郎事改名八郎 五郎太夫 1通 4-(6)2426-28
申(万延元年).正.13 (北東組高米勘定)覚(原本) 勘四郎事改名八郎 五郎太夫 1通 4-(6)2426-29
申(万延元年).正.13 (役米過米旧冬代銀に付)覚(原本) 新田金森藤兵衛 棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2426-30
申(万延元年).正 (掟米勘定)覚(原本) 楡俣新田藤兵衛 棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2426-31
申(万延元年).正 (高当米人別勘定)覚(原本) 民弥 五郎太夫 1通 4-(6)2426-32
申(万延元年)3月19日 (仲間地去未掟米代銀)覚(原本) 半左衛門 五郎太夫 1通 4-(6)2426-33
(万延元年)3月27日 (新田過米)覚(原本) 竜治 五郎太夫 1通 4-(6)2426-34
(万延元年).閏3 (高当り米勘定)覚(原本) 民弥 五郎太夫 1通 4-(6)2426-35
(万延元年).閏3 (過不足米勘定)覚(原本) 楡俣新田藤兵衛 楡俣村五良太夫 1冊 4-(6)2426-36
年月未詳.23日 (御城米銀割付覚)(原本) 薮村八左衛門 楡俣五右衛門 1通 4-(6)2426-37止
○2426-1~37止は、「安政六未冬より同七春庚申へ向諸方地所高懸り書付、同御米差し売払米諸書付、徳米書付」とある紙袋に入っていた。
安政6.11.吉 未年田畑掟帳(原本) 棚橋五郎右衛門   1冊 4-(6)2427
安政6年12月 小役銀其外組合并仲満差引帳(原本) 棚橋五郎太夫   1冊 4-(6)2428
安政6年 未盆前払方(覚帳)(下書)     1冊 4-(6)2429
安政6年 午之過金太米売払仲間勘定覚帳(原本)     1通 4-(6)2430
□2419~2430止は、「安政六未年諸帳入」とある木箱に入っていた。       4-
天保7年7月 (金百両)借用申金子之事(原本) 楡俣村金子借用主五郎右衞門・証人竜治・右同断一色村忠八 大沢文助 1通 4-(6)2431-1
申(天保7年)9月27日 (百両分之利足請取申に付)覚(原本) 大沢文助 水谷右衛門御取継 1通 4-(6)2431-2
嘉永4年2月 (要用ニ付金之拾両)借用申金子証文之事(原本) 金子借用主楡俣村五郎右衞門 勝村喜兵衛 1通 4-(6)2431-3
安政2年12月 (無拠要用ニ付金五拾両)借用申金子証文之事(原本) 金子借用主楡俣村逸策 福束村九郎左衞門 1通 4-(6)2431-4
安政3年12月 (小作米百五拾両借用申に付)覚(写) 楡俣新田仙右衛門 楡俣村逸策 1通 4-(6)2431-5
安政3年12月 (要用ニ付金拾五両)借用申証文之事(下書) 借用主栄蔵・証人安右衛門 逸策 1通 4-(6)2431-6
安政5年4月 (無拠要用ニ付金弐拾両)借用申金子証文之事(原本) 金子借用主楡俣村五郎右衞門・証人同村竜次 福束村五兵衛 1通 4-(6)2431-7
安政5年11月 (無拠要用ニ付金百両)借用申金子証文之事(原本) 楡俣村金子借用主逸策代五郎右衞門・証人竜次 一色村忠八郎 1通 4-(6)2431-8
午(安政5年)11月 (去巳一二月御調達仕置候金子五拾両也)乍恐以書付奉願上候(写) 楡俣村庄屋逸策 大垣御預御役所 1通 4-(6)2431-9
安政6年3月 (輪中御普請入用金として金五拾両)借用金証文之事(原本) 福束輪中惣代楡俣村逸策・同権兵衛 下宿村嘉平次 1通 4-(6)2431-10
安政6.8.朔 (無拠要用ニ付金五拾両)借用申金子証文之事(原本) 金子借用主楡俣村逸策代 福束村九郎右衛門 1通 4-(6)2431-11
安政6年12月 (福束輪中拾八ヶ村組合悪水吐門樋普請入用ニ差詰、金弐百両)奉拝借金子証文之事(控) 福束輪中樋惣代里村庄屋彦内・楡俣村庄屋五郎太夫・福束村庄屋本次郎・海松新田庄屋鉄九郎 大垣御預御役所 1通 4-(6)2431-12
未(安政6年)12月 (福束輪中門樋普請諸入用金として金五拾両)拝借金証文之事(原本) 福束輪中惣代楡俣村庄屋権兵衛・五郎太夫・大薮村庄屋勘四郎 大垣御預御役所 1通 4-(6)2431-13
申(万延元).11.晦 (申八月元金百拾九両金利足受取申に付)覚(原本) 御預役所 福束輪中門樋惣代 1通 4-(6)2431-14
申(万延元年)11月 (当申年御廻米籾納入用壱番触に付)覚(写) 四番安八組惣代楡俣村棚橋五郎太夫   1通 4-(6)2431-15
巳.6月29日 (金壱歩御拝借之)舌代(原本) 立成・玄了 棚橋逸作 1通 4-(6)2431-16止
○2431-1~16止は、「証文不用」と朱筆のある封紙と、かんぜよりで一括してあった。
天保12年8月7日 今般御役所様より御取締書写(写)(天保の改革関係申触書の写) (大垣御預役所)楡俣村(控)   1冊 4-(6)2432
嘉永元年11月 (楡俣村富右衛門方跡敷き取締書)(控) 楡俣村富三郎外5人 大垣御預御役所 1通 4-(6)2433
嘉永元年11月 (私儀締方不行届に付)乍恐以書付御請申上候(控) 楡俣村本人富三郎外4人・奥印猪右衛門外4人 大垣御預御役所 1通 4-(6)2434-1
嘉永5年.閏2 (西条組西福寺住恵教義、僧分不似合之所行種々有之一件に付)差出申内済証文之事(原本) 西条小前惣代栄蔵外8人 御取扱人楡俣村慶正寺・同断同村逸策 1通 4-(6)2434-2
嘉永5年3月 (楡俣村庄屋彦三郎義病身ニ付退役、跡役同人弟富三郎之為相勤申度に付)奉差上御請書之事(控) 高持百姓助蔵外8人 大垣御預御役所 1通 4-(6)2434-3
安政2年7月 (楡俣村栄蔵より直江村惣左衛門え相懸り候藍代滞り金一件に付)差出申済口証文之事(控) 楡俣村栄蔵・直江村惣左衞門 御取人西結村御庄屋武左衞門・右同断寺内村新五右衛門 1通 4-(6)2434-4止
○2434-1~4止は、かんぜよりで一括してあった。
嘉永6年11月 (中村川通西条村地内より用水引入可申旨新田六ヶ村始輪中村々之及談)熟談取極一札之事(原本)(下書) 楡俣村庄屋半左衞門外2人・奥印右嘉平次・彦内 下宿村御庄屋嘉平治・里村御庄屋彦内 2通 4-(6)2435-1
嘉永6年11月 (水千両難凌方之仕法に付)熟談取極一札之事(原本) 上大榑村庄屋忠左衞門外16ヶ村庄屋30人   1通 4-(6)2435-2
年月日未詳 (圦并江模様替絵図)(原本) 楡俣村庄屋半左衞門外3ヶ村庄屋8人   1冊 4-(6)2435-3止
○2435-1~3止は、かんぜよりで一括してあった。
安政2年12月 (当卯極月より来辰十二月十五日迄)奉公人御請状之事(原本) 奉公人庄次郎・親代佐蔵・請人勇吉 五郎右衛門 1通 4-(6)2436
安政2年12月 (当卯極月より来辰十二月十五日迄)奉公人御請状之事(原本) 里村奉公人領太郎・親儀平・請人文吉 楡俣村五郎右衛門 1通 4-(6)2437
(安政2年) (楡亦村栄蔵より送り呉候藍代残金滞候に付)乍恐以書付再歎願奉申上候(写)     1通 4-(6)2438-1
丑(慶応元年)2月 (直江村惣左衞門方へ世話いたし取次置候藍代金為差滞一件に付)乍恐以書付奉再願候(下書) 楡俣村百姓栄蔵外1人 大垣御預御役所 1通 4-(6)2438-2
丑(慶応元年)3月 (直江村惣左衞門之相懸り、去子十月藍代金差滞之儀に付)乍恐以書付再々奉歎願候(写) 楡俣村願主栄蔵・親類権右衛門 大(垣御預御役所) 1通 4-(6)2438-3
年未詳.11月21日 (其村々御廻米為納所、明後廿三日より出郷に付回状写)(写) 中村孫平・丸井兼太夫 楡俣村御庄屋中 1通 4-(6)2438-4
年月日未詳 (当村地内長良川通外畑川欠ニ相成一件に付)乍恐以書付御礼奉申上候(下書)     1通 4-(6)2438-5止
○2438-1~5止は、かんぜよりで一括してあった。
安政4年.閏5 御用状留帳(原本) 庄屋逸策   1冊 4-(6)2439
安政4年12月 (当巳極月より来午一二月一五日迄)奉公人御請状之事(原本) 福束村奉公人甚助・親類喜右衛門・請人仲治 楡俣村五郎右衛門 1通 4-(6)2440
安政4年12月 (当巳極月より来午一二月一五日迄)奉公人御請状之事(原本) 福束村奉公人伝七・親類甚太郎・請人祐八 楡俣村五郎右衛門 1通 4-(6)2441
自安政4年
至安政6年
助郷土人足輪中五ヶ村三ヶ年之内取調帳助郷村々高附其外写書とも(写) 棚橋五郎太夫   1冊 4-(6)2442
年月日未詳 安政四巳年より同六年未年迄三ヶ年請負中より仕出目録写(写) 楡俣村棚橋五郎太夫   1冊 4-(6)2443
安政5年2月 (私共方之若キ者五、七人宛寄合夜分深更迄遊居候不行跡に付)御詫頼一札之事(原本) 楡俣村本人仙助外3人 御村役衆中 1通 4-(6)2444-1
午(安政5年)2月 (村人両人若キ者寄合夜分深更迄遊び居候一件に付)乍恐以書付御詫願奉申上候(控) 楡俣村百姓代太郎左衞門外3人 大垣御預御役所 1通 4-(6)2444-2止
○2444-1~2止は、かんぜよりで一括してあった。
安政5年12月 (当午極月より来未一二月一五日迄)奉公人御請状之事(原本) 福束村奉公人千五郎・請人常蔵 楡俣村五郎右衛門 1通 4-(6)2445
安政5年12月 (当午極月より来未一二月一五日迄)奉公人御請状之事(原本) 福束村奉公人松助・請人常蔵 楡俣村五郎右衛門 1通 4-(6)2446
未(安政6).3.朔 (材木代内金受取に付)覚(原本) 材木屋与三右衛門 棚橋五郎兵衛 1通 4-(6)2447-1
申(万延元年)5月13日 (材木代金勘定之)覚(原本) 材木屋与三右衛門 楡俣村棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2447-2
申(万延元年)7月23日 (檜・樅板)送状之事(原本) 材木屋与三右衛門 楡俣村棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2447-3
申(万延元年)11月5日 (材木直段等に付)覚(原本) 材木屋与三右衛門 楡俣村棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2447-4止
○2447-1~4止は、かんぜよりで一括してあった。
未(安政6).3.晦 (材木代金受取に付)覚(原本) 材木や与三右衛門 棚橋五郎兵衛 1通 4-(6)2448
未(安政6年)4月11日 (材木改御受取被成、運ちん弐貫文御払可被下に付)覚(原本) 材木屋与三右衛門 楡俣村棚橋五郎兵衛 1通 4-(6)2449
未(安政6年)4月16日 (材木改御受取被成、運ちん五百文御払可被下に付)覚(原本) 材木屋与三右衛門 楡俣棚橋五郎兵衛 1通 4-(6)2450
未(安政6年)4月17日 (材木改御受取被成、運ちん弐貫文御払可被下并材木代金請取申に付)覚(原本) 材木屋与三右衛門 楡俣棚橋五郎兵衛 1通 4-(6)2451
未(安政6年)4月27日 (材木御受取被成、運ちん四百文御払可被下に付)覚(原本) 材木屋与三右衛門 楡俣棚橋五郎兵衛 1通 4-(6)2452
未(安政6年)5月9日 (材木改御受取被成、運ちん御払被下に付)覚(原本) 材木屋与三右衛門 楡俣村棚橋五郎兵衛 1通 4-(6)2453
未(安政6年)6月5日 (材木御受取被成下之)覚(原本) 材木屋与三右衛門 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2454
安政6年12月4日 未歳御預組合諸入用附出張(原本) 割本楡俣村   1冊 4-(6)2455
安政6年12月 (当末極月より来申十二月十五日迄)奉公人御請状之事(原本) 福束村奉公人吉助・請人常蔵 楡俣村五郎右衛門 1通 4-(6)2456
万延元年12月 (当申極月より来酉十二月十五日迄)奉公人御請状之事(原本) 福束村奉公人千五郎・請人常蔵 楡俣村五郎太夫 1通 4-(6)2457
嘉永4年 (堤修復見積書)(写)(「本紙五反郷村民右衛門方ニ有之写」とあり) 楡俣村西条共   1冊 4-(6)2458-1
安政6年4月9日 未年福束村・南波村・本戸村・下大榑新田御堤通自普請勘定割賦帳(原本) 割本福束村   1冊 4-(6)2458-2
安政7年.正 自普請ヶ所覚帳(原本) 楡俣村   1冊 4-(6)2458-3
安政7年3月 申歳自普請下目論見ヶ所帳(原本) 楡俣村   1冊 4-(6)2458-4
万延元年5月 長良川通伊尾川通御堤急破ヶ所書上帳(原本) 安八郡楡俣村   1冊 4-(6)2458-5
万延元年7月 当申年御堤自普請ヶ所書上帳(写) 福束輪中拾八ヶ村組合   1冊 4-(6)2458-6
万延元年7月 長良川通御堤丈夫附普請ヶ所書上帳(原本) 安八郡楡俣村   1冊 4-(6)2458-7
万延元年10月 御堤通丈夫付自普請請所下築ヶ所書上帳(原本) 楡俣村   1冊 4-(6)2458-8
(万延元年)10月29日 (当村西条御堤自普請請所出来分、来月五日御清見ニ預り度に付)廻文(原本) 楡俣村西条 大薮村外8ヶ村御庄屋中 1通 4-(6)2458-9
申(万延元年)12月13日 (自普請割銀請取申に付)覚(下書) 楡俣村棚橋五郎太夫 下大榑村御庄屋渡辺林右衛門 1通 4-(6)2458-10
申(万延元年)12月22日 (当申年楡俣村西条村・本戸村自普請諸入用請割持セ差上申に付)覚(原本) 上大榑新田川瀬孫兵衛 楡俣村棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2458-11-1
万延元年12月23日 (当申夫銀助郷割金請取申に付)覚(原本) 渡辺八郎 棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2458-11-2
申(万延元年)12月23日 (当春自普請請金差上候に付)覚(原本) 五反郷村片野民右衛門 楡俣村御庄屋中 1通 4-(6)2458-11-3
申(万延元年)12月23日 (当申自普請割に付)覚(原本) 五反郷新田藩右衞門 楡俣村五郎右衞門 1通 4-(6)2458-11-4
申(万延元年)12月24日 (自普請請割金為持差上申に付)覚(原本) 大薮村渡辺八郎 棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2458-11-5
(万延元年)12月24日 (当申自普請請割為持差上候に付)覚(原本) 上下大榑村中嶋忠佐衞門 棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2458-11-6
申(万延元年)12月25日 (当申自普請諸入用請割に付)覚(原本) 中郷新田国枝小左衞門 楡俣村棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2458-11-7
(万延元年)12月25日 (当申御村方外弐ヶ村御堤自普請諸入用請割に付)覚(原本) 下大榑村林右衞門 楡俣村棚橋伍郎太夫 1通 4-(6)2458-11-8
申(万延元年)12月26日 (当申楡俣村西条・本戸村三ヶ村自普請請割銀為持遣シ申に付)覚(原本) 里村甚三郎 楡俣村棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2458-11-9
申(万延元年)12月26日 (当申自普請請割金為持差上申に付)覚(原本) 下大榑新田金右衞門 楡俣村御庄屋中 1通 4-(6)2458-11-10
(万延元年) (輪中入用等勘定之覚)(下書)     1通 4-(6)2458-11-11止
○2458-11-1~11止は、かんぜよりで一括してあった。
申(万延元年)12月23日 (自普請割銀請取申に付)覚(下書) 楡俣村棚橋五郎太夫 中郷新田御庄屋 1通 4-(6)2458-12
申(万延元年)12月27日 (弥右衞門計御米御引入可被下に付)覚(原本) 富右衛門 棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2458-13
申(万延元年)12月27日 (杢右衞門計御米引入可被下に付)覚(原本) 富右衛門 棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2458-14
万延元.12.吉 申歳自普請諸入用附出并割賦帳(原本) 割本楡俣村西条   1冊 4-(6)2458-15
申(万延元年)12月 (自普請割銀請取申に付)覚(下書) 楡俣村棚橋五郎太夫 楡俣新田御庄屋西脇仙右衞門 1通 4-(6)2458-16
(万延元年) (村内道筋規定に付)差出し申一札之事(下書)     1通 4-(6)2458-17
(万延元年) (自普請ヶ所代銀之)留札(下書)     1通 4-(6)2458-18止
○2458-1~18止は、「万延元年申年三月より自普請諸書類入楡俣村」とある袋に入っていた。
万延元年5月 申年五月十一日より十七日迄出水ニ付水番諸色覚帳(原本)     1冊 4-(6)2459
万延元年6月 海松新田三間門樋壱艘弐間門樋弐艘弁金組当り割賦帳(原本) 庄屋五郎太夫   1冊 4-(6)2460
万延元年6月 海松新田三間門樋壱艘、弐間門樋弐艘弁金村当り三組割帳(原本) 半左衞門   1冊 4-(6)2461
万延元年6月 御役所御手当苗仕訳覚帳(原本) 楡俣村   1冊 4-(6)2462
申(万延元年)6月 (御役所御手当苗仕訳帳)(原本) 十五条村庄屋共 楡俣村御庄屋衆中 1冊 4-(6)2463
万延元年7月 (輪中御堤通一円笠上丈附御普請并海松新田残樋本樋二重都合四艘共御入用を以掘上ケ方)乍恐以書付奉願上候(下書) 福束村庄屋本次郎外17か村18人 大垣御預御役所 1通 4-(6)2464
万延元年8月 (村内道筋取直しに付)差出申一札之事(原本) 楡俣村槌平外83人   1通 4-(6)2465
万延元年8月 (自普請丈夫附入用、無利拾五ヶ年済拝借)乍恐以書付奉願上候(下書) 楡俣村庄屋九郎右衞門外17ヶ村23人 大垣御預御役所 1通 4-(6)2466
万延元年9月 (私儀養子仕候所、不思敷罷帰懸り居、今回養子聞合之上在村附方可然段御申聞に付)差出し申一札之事(原本) 本人禎介外3人 兄棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2467
万延元年9月 (去未御廻米納名主之儀室原村忠左衞門・上穂積村四郎右衞門請負に付)差入申証文之事(原本) 上穂積村南組納名主四郎右衞門外親類領平外4人 郡中御惣代衆中 1通 4-(6)2468
万延元年9月 申年立毛田方内見合附帳(原本) 安八郡楡俣村   1冊 4-(6)2469-1
万延元年9月 御検見一件諸事留(原本) 棚橋吉重   1冊 4-(6)2469-2-1
(万延元年)10月3日 (小鮒他代銭之)覚(原本) 嘉兵衛 棚橋五郎右衞門 1通 4-(6)2469-2-2
(万延元年)10月5日 (いろいろ廿品代銀受取に付)覚(原本) 大垣竹島藤本屋余五兵衛 棚橋宅治 1通 4-(6)2469-2-3
(万延元年)10月5日 (万買物代銭之)覚(原本) 藤本屋予五兵衛 棚橋宅治 1通 4-(6)2469-2-4
(万延元年)10月5日 (代銀受取申に付)覚(原本) 吉田与五兵衛   1通 4-(6)2469-2-5
(万延元年)10月5日 (金山寺みそ他代銀御請取申上候に付)覚(原本) 大垣小川屋勘兵衛 棚橋五郎右衞門 1通 4-(6)2469-2-6
(万延元年)10月5日 (代銀受取申に付)覚(原本) 藤本屋甚助 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2469-2-7
(万延元年)10月5日 (代銀受取申に付)覚(原本) 今津屋久右衞門 1通 4-(6)2469-2-8
万延元年10月6日 申歳御検見方御泊諸入用調帳(原本) 楡俣村   1冊 4-(6)2469-2-9
申(万延元年)10月6日 (赤ミそ等差上申に付)覚(原本) 棚橋五郎太夫 御肴屋又一兵衛 1通 4-(6)2469-2-10
(万延元年)10月6日 (御大目附様御膳分に付)口上(原本) 高橋助右衞門 西松権兵衛・棚橋民弥 1通 4-(6)2469-2-11
申(万延元年)10月10日 (代銭受取申に付)覚(原本) 中野屋与右衛門 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2469-2-12
(万延元年)10月10日 (御廻状雛形之通り相認為持遣し申に付書状)(原本) 里村甚三郎 御惣代棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2469-2-13
(万延元年).菊.25日 (諸役一条何時ニても御世話可仕由被申候に付書状)(原本) 松村庵逸遊 楡俣村棚橋五郎太夫 2通 4-(6)2469-2-14
さる(万延元年)12月 (代銭之)覚(原本) 升屋善兵衛 ぬれ又五郎右衛門 1通 4-(6)2469-2-15
(万延元年) (賄諸入用之覚)(原本)     1通 4-(6)2469-2-16
(万延元年) (米・溜り外遣ひ分之)覚(下書) 竜二   1通 4-(6)2469-2-17止
○2469-2-1~17止は、「申年御検見御泊入用書類入」とある紙袋に入っていた。
(万延元年9月) (申年田方立毛内見合附帳下書)(下書) (楡俣村)   1冊 4-(6)2469-3
万延元年10月 安八郡楡俣村当申田方毛揃帳(下書) 楡俣村庄屋西松権兵衛外庄屋・年寄・百姓代9人 御預御役所 1冊 4-(6)2469-4
寅(慶応2年)10月3日 (長防御討入一先引払に付御役所へ御恐悦之段宣敷御取計ひ奉希)覚(原本) 西松権兵衛 棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2469-5止
○2469-1~5止は、「御検見合附帳毛揃帳村控帳入」とある紙袋に入っていた。
万延元年11月 大垣御殿様より被下置候御酒御肴小前渡覚帳(控) 楡俣村庄屋・年寄・百姓代 大垣御預御役所 1冊 4-(6)2470
万延元年12月23日 申年自普請入用割当村へ入銀書出し覚帳(原本) 楡俣村   1冊 4-(6)2471
万延元年12月 申年自普請人足賃土代作はのい渡し方覚帳(原本) 楡俣村   1冊 4-(6)2472
万延元年 万延元申年自普請人足賃土代作はのい代渡し方差引覚(下書)     1冊 4-(6)2473
万延2年3月 去申年自普請割・村当り土代・作はのい代・夜番小屋掛料其外落物割賦取立帳(原本) 庄屋棚橋五郎太夫   1冊 4-(6)2474
(寛文年) 楡俣村先年より之高水帳之覚(下書)     1通 4-(6)2475-1
元禄年未詳.正 (伊勢領之御年貢之儀ハ御公儀様御免定之通松尾太夫方へ上納仕候に付)差上ケ申一札之事(下書) 楡俣村庄屋五郎右衛門外2人 笠松御奉公所 1通 4-(6)2475-2
文政13年.閏3 (御領所村々御松領渡ニ相成候て差支無之哉有無可申上旨被仰渡之に付是迄之通御料所ニて被御差置候様)乍恐以書付奉願上候(写)(端裏に「御私領渡御糺ニ付嘆願書写」とある) 福束村庄屋九郎右衛門外9か村36人 大垣御預御役所 1通 4-(6)2475-3
天保13年.正 (其村々永御領被成置段相願候ニ付私領私御引替等ハ容易ニ割合不相成段為心得申聞置候に付)申渡(写)(端裏に「大薮村渡辺勘四郎扣」とあり) 大垣御預御役所   2通 4-(6)2475-4
(万延2年).正.11 万延二酉年正月十一日柳営之御会薄河(発句写)(写)(碌翁の筆跡なり)     1通 4-(6)2475-5-1
(文久元年).卯.21 (廿一日弥書面を以テ願入へく相談ニ相極り候・彼連血判も不仕其上金子野子へ御渡シニ相成候・金子之義ハ帰国早々御返納可仕候に付)口述(原本) 応仙 故楽 1通 4-(6)2475-5-2-1
文久元.卯.吉 (俳諧秘訣相伝之義は猥に他言違変致間敷に付血判)神文(原本) 応仙・故楽・枝青・西涯・亀泉   1通 4-(6)2475-5-2-2止
○2475-5-2-1~2止は、江戸より応仙から西条故楽宛の包紙に一括してあった。
(文久元).4.晦 (応仙子より旅宿へ御越被下度様言伝五座候ゆへ申上候に付書状)(原本) 関谷西涯 棚橋楡村 1通 4-(6)2475-5-3
(文久元).5.朔 (先便申上候鍋茂内縁之印喰村渡辺源内へ手懸り無御座候哉尋候他5件に付書状)(原本) 楡俣村棚橋策馬 棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2475-5-4-1
年月日未詳 (断申候得共致方なく貰受候に付)留主見舞貰分(人名覚)(原本)     1通 4-(6)2475-5-4-2止
○2475-5-4-1~2止は、包紙に一括してあった。
(文久元年)5月18日 (御心配一条に付御模様様御伺旁御見舞書状)(原本) 御肴屋弥一右衛門 棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2475-5-5
(文久元年)5月23日 (御駕籠訴等被成る候処御慈悲之御取扱之由被仰下候他3件に付書状)(原本) 楡俣村棚橋策馬 江戸ニて棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2475-5-6
(文久元年)5月23日 (応仙師一条可然御取計可被下候・何分東通りに替りニ出府仕候人物無御座御察被成下御両人さま御勤被成下候様伏て奉願上候に付書状)(原本) 西松権兵衛(故楽) 棚橋五郎太夫(楡邨) 1通 4-(6)2475-5-7
(文久元年)5月 (御心配一条昼夜御噂のミ罷過申候御帰国之程乍蔭奉祈候に付御伺書状)(原本) 郷宿徳助 棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2475-5-8
(文久元年) (佳静子より貴雅様へ御願之書状ハ定て拙者共之去ル巳年右琴老相預候巻にも御座候ハヽ為御登可被下候に付書状)(原本) 富沢丁玉久文左 楡村 1通 4-(6)2475-5-9止
○2475-5-1~9止は、かんぜよりで一括してあった。
(文久元年).如(2).9 (貞助様御縁談先方格別御急キニ御座候故厚御勘考上火急ニ御返事可被下に付書状)(原本) 西松権兵衛 棚橋策馬・棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2475-6-1
(文久元年).卯.9 (此度極密応仙子出府相願参候ニ付直々御聞取被成下度一大事ニ付組合之方々ニも御咄無之候様御願上候并ニ小前之者共明六ツ頃より写鐘ツキ立八幡野ニ集り候件に付書状)(原本)(封紙あり) 西松権兵衛 棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2475-6-2
(文久元年).卯.11 (私共成就之上御冥加差出候事宅平訓外二人へ段合候・九日組合村々小前不残恩城下小橋門際迄参り候云々に付あらあら書状)(原本)(渡部八郎・西松権兵衛から棚橋五郎太夫・川瀬彦内宛の封紙に包んであった) 渡部八郎外5人 棚橋五郎太夫外4人 1通 4-(6)2475-6-3
酉(文久元年)4月17日 (あやにしき・頭陀物語・朱むらさき代受取)覚(原本)(この文書宛所を欠く) 川越や松次郎   1通 4-(6)2475-6-4
(文久元年).卯.21 (御城下罷出小前騒立ル八幡野迄組合一同集り候段御届候に付書状)(原本)(西松権兵衛から棚橋五郎太夫宛の封筒に入っていた) 故楽 楡邨帯経園 1通 4-(6)2475-6-5
(文久元年)4月22日 (御賢固御到着之由大慶至極奉存候に付御請書状)(原本) 棚橋民弥 棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2475-6-6
(文久元年).卯.22 (御相談申度事御座候間貴雅と不退子と御越ル被成下候に付書状)(原本) 応仙 みの楡村 1通 4-(6)2475-6-7
(文久元年).卯.22 (堀津村茂三郎殿相見え咄し合仕一件・定助一件・半左衛門一件に付申上度に付書状)(原本) 大垣ニて棚橋策馬 江戸ニて棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2475-6-8
(文久元年)4月24日 (本治郎殿只今当着被致候間昨日之次第委細御相談申上度に付書状)(原本) 関谷宅平・上松直市 川瀬彦市・高橋助右衛門 1通 4-(6)2475-6-9
(文久元年)5月2日 (天々聞合罷存候処水印御働被下候始末ハ渡部氏より御同苗様え御細書被申上候次第外七件申渡に付書状)(原本)(渡部八郎・西松権兵衛から川瀬彦内・棚橋五郎太夫宛の封筒に入っていた) 六ヶ村組合中 棚橋五郎太夫・川瀬彦内外4人 1通 4-(6)2475-6-10
(文久元年)5月2日 (極内応仙師ハ幾日着府御面談仕候哉御伺申上候に付書状)(原本)(故楽から楡俣邨宛の封筒に入っていた) 故楽 帯経園 1通 4-(6)2475-6-11
(文久元年)5月9日 (明日御出立之由御苦労奉存候・団扇三本書状壱通中嶋村迄御届方相願い申度に付)口上(原本) 藤井以左衛門 上松直市・関谷宅平・御苗・本二郎 1通 4-(6)2475-6-12
(文久元年)6月2日 (今般御組合之御頼申上置候兼て御相談被下候私共帰国ニ付引代御出府御苦労御方様早速御出立被成下候様御取計奉願上候に付書状)(原本) 渡部勘四郎・高橋助右衛門 棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2475-6-13
(文久元年) (拙僧国元朋友之もの共此度嗚呼・安藤様ニおゐて村替被仰出候趣御一大事之儀ニ付御為筋之心付迄)乍恐以口上申上候(写) (応仙)   1通 4-(6)2475-6-14
(文久元年).月未詳.18日、19日 (老中・若年寄之駕籠訴分担之覚)(原本)     1通 4-(6)2475-6-15
(文久2年)2月 (大垣一条殊之外差急ニ相談致呉候様別紙之通大垣より申越候に付書状)(原本)(楡俣村同策馬から加納宿ニて棚橋複助宛の包紙に包んであった) 棚橋鶴洲 鶴亭 1通 4-(6)2475-6-16
年月日未詳 地本にしきゑ(広告)(原本)(木版) 東都南伝馬町地本草紙問屋萬屋吉蔵   1通 4-(6)2475-6-17止
○2475-6-1~17止は、かんぜよりで一括してあった。
(文久元年)3月7日 (酒代受取)覚(原本) 庄兵衛 1通 4-(6)2475-7-1
(文久元年)4月26日 (御酒・肴代受取)覚(原本) 京橋町信濃屋宇兵衛 1通 4-(6)2475-7-2
酉(文久元年)4月 (宿代受取)覚(原本) いせ屋伝ニ郎 楡俣五郎太夫 1通 4-(6)2475-7-3
酉(文久元年)5月4日 (竹次郎様分宿代受取)覚(原本) いセ屋伝ニ郎 五郎太夫 1通 4-(6)2475-7-4
(文久元年)5月7日 (御酒・肴代受取)覚(原本) 京平 1通 4-(6)2475-7-5
酉(文久元年)5月20日 (宿代受取)覚(原本) 伊勢屋伝次郎 楡俣村五郎太夫 1通 4-(6)2475-7-6
(文久元年)5月20日 (五人様宿料受取)覚(原本) かじまや清七 濃州御客 1通 4-(6)2475-7-7
(文久元年)5月27日 (酒・玉子・きうり外代請取)覚(原本) うづら湯 御客 1通 4-(6)2475-7-8
酉(文久元年)6月2日 (従鵜沼宿南町川渡シ御定賃銭軽尻壱疋分請取)覚(原本) 鵜沼宿問屋 1通 4-(6)2475-7-9
酉(文久元年)6月2日 (御用状外直様御役所え被納仕候に付)覚(原本) 御用宿木屋伝七郎 下大榑村勝哉 1通 4-(6)2475-7-10
(文久元年) (木戸札)(原本) 壱丁目多吉   1通 4-(6)2475-7-11止
○2475-7-1~11止は、かんぜよりで一括してあった。
文久元.4.朔 東武記行(原本) 棚橋五郎太夫吉重   1冊 4-(6)2475-8
文久元.4.朔 道中諸入用帳(原本) 渡部勘四郎・棚橋五郎太夫   1冊 4-(6)2475-9
(文久元年).卯.13 (当月九日輪中内之六ヶ村小前一同御城下之願出一同心配仕候一件等に付書状)(原本) 濃州楡俣村棚橋策馬 江戸ニて棚橋五郎太夫 1冊 4-(6)2475-10
(文久元年)4月17日 (代金請取)覚(原本) 相河や十兵衛代啓助 神田小柳町壱町目いセ屋伝治郎様ニて棚橋五郎太夫 1冊 4-(6)2475-11-1
(文久元年)4月24日 (飲食代金受取)覚(原本) 久松町東町越前屋八 1冊 4-(6)2475-11-2
(文久元年)5月6日 (四分一きせる外代受取)覚(原本)     1冊 4-(6)2475-11-3
(文久元年)5月6日 (買物代銀受取申に付)覚(原本) 江戸和泉橋通平河町中長長兵衛代達次 棚橋五郎太夫 1冊 4-(6)2475-11-4
(文久元年)5月7日 (風呂しき代受取)覚(原本) 石川や松五郎 1冊 4-(6)2475-11-5
(文久元年)5月8日 (代金受取)覚(原本) 横浜弁天通五橘屋儀兵衛 1冊 4-(6)2475-11-6
(文久元年)5月17日 (品物奉為持指上候に付)覚(原本) 次右衛門[]長七・正吉 十六番座敷川瀬彦内・小柳町壱町目伊勢屋伝次郎 1冊 4-(6)2475-11-7
とり(文久元年)5月18日 (唐水牛御箱印代請合申に付)覚(原本) 江戸橋四日市角御印判師高松勘四郎 棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2475-11-8
(文久元年)5月18日 (すだれ代請取)覚(原本) 江戸橋四日市広小路北側中程角宝玉堂御眼鏡師 1通 4-(6)2475-11-9
(文久元年)5月18日 (越後紺外代請取)おほえ(原本) 江戸和泉橋通平河町中長長兵衛代辰次郎 伊勢屋方にて棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2475-11-10
(文久元年)5月18日 (蔵人・紫羽かけ外代金受取)覚(原本) 小天馬上町関谷や七兵衛 御客 1通 4-(6)2475-11-11
(文久元年)5月18日 (代銀受取申に付)覚(原本) 糸や甚兵衛 1通 4-(6)2475-11-12
(文久元年)5月18日 (ツケ八分惣点書彫仕切判代受取)覚(原本) 隣子堂外神田和泉橋通藤堂様表御門前御印判師広井清吉 五郎太夫 1通 4-(6)2475-11-13
(文久元年)5月24日 (太物代銀被下に付)覚(原本) 信州上田原町万屋金右衛門 1通 4-(6)2475-11-14止
○2475-11-1~14止は、かんぜよりで一括してあった。
(文久元).卯.21 (御談示申度事御座候間御壱人御来駕願上候に付)口述(原本) 三河屋にて王銭 伊セや方にて美濃大薮渡辺不退雅兄 1通 4-(6)2475-12
(文久元年)4月 (今般御替地御私領渡り御組込ニ相成候是迄之通り御料所ニて御差置被下置候様に付)御替地被仰出候ニ付歎願書候(下書) 戸田采女正御預所濃州安八郡御寿新田福束村外5か村惣代大薮村庄屋渡辺勘四郎   1冊 4-(6)2475-13
(文久元年)4月 (此度安藤対馬守様御替地被仰付是迄之通御料所ニて御支配奉請度に付)乍恐以書付再三奉歎上候(写) 福束村外5か村小前惣代・年寄・庄屋 大垣御預御役所 1冊 4-(6)2475-14
(文久元年)5月19日 (七分鼻緒外代受取申に付)覚(原本) 渡辺 棚橋 1通 4-(6)2475-15-1
(文久元年)5月26日 (書状相認メ其文面極秘風聞之次第申上候・本次郎様并御三人様御帰国之砌御代り人出立ニて御引替被成下候様御取計之程奉願上候に付書状)(原本) 渡辺勘四郎・高橋助右衛門 西松権兵衛外6人 1通 4-(6)2475-15-2
(文久元年)5月26日 (棚橋川瀬三浦御三公様方当廿日江府御発足御帰国ニ相成候間当方之振合委細御聞取被成下に付書状)(原本) 渡辺勘四郎・高橋助右衛門 岡崎休太夫外6人 1通 4-(6)2475-15-3
(文久元).6.朔 (尊公様方最暫御滞府御苦労に預り度旨を以別段早飛脚御差立ニ相成に付書状)(原本) 渡辺勘四郎 棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2475-15-4
(文久元年).月未詳.10日 (須原積物之儀失倉仕奉恐入候乍序差上申に付口上)(原本) 三浦寅之丞 棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2475-15-5止
○2475-15-1~5止は、封紙で一括してあった。
酉(文久元年)5月20日 道中日記(原本) 川瀬彦内・棚橋五郎太夫・三浦寅之丞   1冊 4-(6)2475-16
酉(文久元年)5月 (私共儀御老中様方兵江御駕訴いたし竹内下野様へ御引渡相成候処御取場ケ無之帰村被仰付に付)奉差上御請書之覚(写) 近島村勘左衛門外25ヶ村26人 溜池御預御役所 1冊 4-(6)2475-17
酉(文久元年)5月 旅籠帳(原本) 竹川金四郎内・川瀬彦内・三浦寛之丞   1冊 4-(6)2475-18
(文久元年)6月2日 (昨日御機嫌克御帰国被為在候由承之候に付)使口上(原本)     1通 4-(6)2475-19
文久元年6月 御私領渡差障有無御糺ニ付書上帳(写) 濃州安八郡御寿新田福束村外九か村 大垣御預御役所 1冊 4-(6)2475-20
(文久元年) (安藤様御替地御勘定所ニ支配被仰渡候之覚)(写)     1冊 4-(6)2475-21
(文久元年) (今尾城主市橋下総守様高須城主徳永法印様慶長五子八月十二日福束之城主丸毛三郎兵衛ニ御勝利ニ相成候由緒覚)(写)     1冊 4-(6)2475-22
(文久元年) (安藤対馬守様御領分之内御替地被仰立御私領渡候等ニ不被為仰付候様)乍恐以書付奉歎願候(写) 壱番西組長屋村庄屋喜藤次外6か村7人   1枚 4-(6)2475-23
亥.3 (御私領渡并分郷等ニ相成差障之有無往古私領御料之訳相糺加申上段被仰渡候間是迄之通御料所ニて被為御差置候様)乍恐書付を以奉願上候(下書) 安八郡福束村庄屋助右衛門外7か村25人 大垣御預御役所 1通 4-(6)2475-24
年月日未詳 (棚橋吉重印影)(原本) 版木師江戸橋四日市角御印判師高松勘四郎 (棚橋吉重) 1通 4-(6)2475-25止
○2475-1~25止は、「江戸往来書状諸帳諸書付入」とある紙袋に入っていた。
(文久元年)9月3日 (浅野方縁談一件御咄合仕置候に付書状)(原本)(封筒に入っていた) 伊藤伝右衛門 棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2476-1
(文久元年)9月4日 (御公儀様献金之内金五十両)借用申金子一札之事(下書)     1通 4-(6)2476-2
(文久元年)9月4日 (宿方諸入用金等に付垂井宿より願出候条に付)覚(原本)(封紙あり) 中村孫平・酒井元右衛門 嶋田村柏渕藤太夫 1通 4-(6)2476-3
(文久元年)9月6日 (私手口ニて五拾両取賄候間、其余之分は何卒貴君様御手口ニて御調金被下候様奉頼上候に付書状)(原本)(封筒に入っていた) 高田柏渕藤太夫 楡俣村棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2476-4
酉(文久元年)9月7日 (当酉献金之内金百弐拾両受取に付)覚(原本) 大垣御預役所 楡俣村棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2476-5
酉(文久元年)9月7日 (上金之内金弐拾両也差上申候間宜敷御取計可被下に付)覚(原本) 渡辺勘四郎 棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2476-6
(文久元年)9月7日 (今日弐拾金差上跡拾金両三日之内取調差上可申旨被仰下に付追啓)(原本) 勘四郎 五郎太夫 1通 4-(6)2476-7
(文久元年)9月7日 (今日御役所へ罷出候処中村様御儀貴君様ニ御用被為有候由に付書状)(原本) 大垣ニて柏渕藤太夫 楡俣村棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2476-8
(文久元年)9月9日 (宿方家並・座敷・坪数取調書酒井様へ差上可被下に付)口上(下書)(紙面を抹消してある)     1通 4-(6)2476-9
(文久元年)9月15日 (昨日午後より美江寺宿へ立越右宿惣代衆倶々大沢様・中村様より伺申上に付書状)(原本)(包紙あり) 美江寺宿より松井市郎左衛門・柏渕藤太夫 大垣ニて棚橋五郎太夫・川瀬内 1通 4-(6)2476-10
(文久元年)9月23日 (下拙儀、今日垂井宿之罷出可申筈ニ御引合申上置候処野子儀々風気殊ニ家内病人有之に付書状)(原本) 里村川瀬彦内 楡俣村棚橋五郎 1通 4-(6)2476-11
(文久元年)9月23日 (三宿諸道具向打合セ之儀ニ付昨日より御出垣被成下候に付書状)(原本) 大垣ニて松井市郎左衛門 楡俣村棚橋五郎太夫・里村川瀬彦内 1通 4-(6)2476-12
(文久元年)9月23日 (今夕か又は明朝なれハ極々未明ニ垂井宿へ御出張可被下に付)口上(原本) 川瀬彦内 棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2476-13
酉(文久元年)9月 (下宿取繕之外宿方入用之内之拝借奉願度に付)覚(原本) 宿役人 御惣代衆中 1通 4-(6)2476-14
酉(文久元年)9月 (垂井宿家並び明細之)覚(写) 垂井宿掛り惣代 御出役 1通 4-(6)2476-15
(文久元).10.朔 (向日飽美藩中落合敬助と申老人貴家之も御訪訊ね申上度由に付書状)(原本) 竹田徹助 棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2476-16
(文久元年)10月2日 (来ル五日頃御本陣御見分被在依之明三日迄ニ皆出来可致旨被仰度に付書状)(原本) 垂井ニて川瀬彦内 棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2476-17
(文久元年)10月20日 (昨夜御役所様より下拙へ向御渡しニ相成り候御紋付法皮都合廿四今須宿之御貸渡しに付書状)(前欠)(原本)     1通 4-(6)2476-18
(文久元年)10月 和宮様御通輿書類(入袋)(原本)     1通 4-(6)2476-19
(文久元年).霜 (万賄代銭之)覚(原本) 高嶋屋伊兵衛 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2476-20
(文久元年)12月28日 (今般御下句ニ付当宿方御加勢御苦労被成下候由に付書状)(原本) 細井金四郎・今村庄助 楡俣村棚橋五郎太夫(帯経園) 1通 4-(6)2476-21
(文久元年) (御紋附御幕・同桃灯受取申に付)覚(原本) 宮代村庄屋三五右衛門 垂井宿御惣代衆中 1通 4-(6)2476-22
(文久元年) (御通行に付)番人下座之事(写)     1通 4-(6)2476-23
(文久元年) (御酒肴御供方御支度金申受に付)おほへ(原本)   各様 1通 4-(6)2476-24
(文久元年) (秋夜之漢詩)(写)     1通 4-(6)2476-25止
○2476-1~25止は、かんぜよりで一括してあった。
(文久元年)9月17日 (昨日高木様御通行之義相済候得共御荷物一同御乗船ニ付別紙之通人足其外用意之分不用ニ相成迷惑に付書状)(原本) 民弥 策馬 1通 4-(6)2477-1
(文久元年)9月 多良修理様御家督相済御順見(人足之覚)(写)     1通 4-(6)2477-2
酉(文久元年)10月6日 (御普請諸入用并自普請諸入用共組当り金御請取可被下に付)覚(原本) 半左衛門 策馬 1通 4-(6)2477-3
(文久元年)10月6日 (和宮様御下向ニ付夜具等他領之村々え決て貸渡し間敷に付被仰渡請書)(原本) 福束村惣代九郎左衛門   1通 4-(6)2477-4
(文久元年)10月7日 (助郷割西条当り人足賃之儀只今出垣仕ニ付上納致候に付)覚(原本) 権兵衛 棚橋策馬 1通 4-(6)2477-5
(文久元年)10月17日 (今般加助郷一条ニ付人馬之義被仰聞候に付書状)(原本) 楡俣西条西松権兵衛 棚橋五郎太夫・策馬 1通 4-(6)2477-6
(文久元年)10月20日 (和宮様御下向助郷一件ニ付人足勤方之)覚(原本) 今須助郷会所鉄九郎   1通 4-(6)2477-7
(文久元年)10月21日 (里村外三ヶ村之桐油差上申に付)覚(回状)(原本) 大薮村庄屋 右御村庄屋中 1通 4-(6)2477-8
(文久元年)10月21日 (助郷宰領方に付万)覚(原本) 西松権兵衛 棚橋策馬 1通 4-(6)2477-9
(文久元年)10月21日 (宮様御返事愈廿日御出立一両日大津ニて御滞留ニて御通行之由に付書状)(原本) 垂井出張先より棚橋五郎太夫 楡俣村棚橋策馬 1通 4-(6)2477-10
(文久元年)10月21日 (昨廿日御発輿大津宿ニて二日御逗留之由早々御出張被成下候様仕度に付書状)(原本) 垂井ニて川瀬彦内 楡俣村棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2477-11
(文久元年)10月22日 (此方馬士ハ壱疋三人懸り参候ニ付不足仕候に付書状)(原本) にし条権兵衛 楡俣御庄屋中 1通 4-(6)2477-12
(文久元年)10月22日 (人足請負賃銭払方請負四人之ものえ渡金差支候振合ニ推察仕候に付書状)(原本) にし条西松権兵衛 楡俣御庄屋中 1通 4-(6)2477-13
(文久元年)10月22日 (廿日ハ御発輿之趣ニて廿四日夕柏原宿御泊之趣廿四日四ツ時迄ニ人足柏原宿可致旨に付書状)(原本) 片野茂右衛門 渡辺勘四郎 1通 4-(6)2477-14
(文久元年)10月22日 (明晩七ツ福束村揃ニて出入足御固所差出書ハ福束村ニて相認メ置被下候由委敷被仰下に付書状)(原本) 西松権兵衛 棚橋策馬 1通 4-(6)2477-15
(文久元年)10月23日 (今夜月の出揃人馬之儀只今より弁当其外用意次第出かけ可申候段御地一同被申候に付書状)(原本) 西松権兵衛 棚橋策馬 1通 4-(6)2477-16
酉(文久元年)10月 和宮様御下向ニ付御仰立御用通り之節人馬仰継立方積り入之備(写) 今須宿助郷請負人三郎兵衛 福束村御組合右村御庄屋御役人中 1通 4-(6)2477-17
(文久元年10月) (柏原宿御旅館ニ相詰候組合人足ニ付御固定之所御通シ可被下に付)差上申一札之事(雛形)(原本)   何様御固所御役人衆中 1通 4-(6)2477-18
(文久元年10月) 雇馬之分覚(控)     1通 4-(6)2477-19
(文久元年10月) (今須宿臨時助郷一件只今東太郎今須より帰村ニ相成候に付始末書)(原本) (楡俣村西条西) (今須宿助郷福束輪中何村) 1通 4-(6)2477-20
(文久元年) (四寛五百文ハ壱駄弐ツ割五十六疋不足ハ弐疋ニ壱疋添馬之覚)(下書)     1通 4-(6)2477-21
(文久元年) (人足)廿二日出覚(下書)     1通 4-(6)2477-22
(文久元年) 弁当代賃渡シ分(下書)     1通 4-(6)2477-23
(文久元年) (各組人足割符之覚)(下書)     1通 4-(6)2477-24
(文久元年) 人足組合之覚馬方馬附之覚(下書)     1通 4-(6)2477-25
(文久元年) (人足之覚)(下書)     1通 4-(6)2477-26止
○2477-1~26止は、一括してあった。
酉(文久元年)10月3日~5日 (今般御下向ニ付)口上書・(和宮様御下向に付)御請印帳・(和宮様御下向に付)村高書上帳(原本) 楡俣村庄屋民弥・年寄竜次   1冊 4-(6)2478
未(安政6年)11月 (金弐拾両)借用申金子証文之事(原本) 金子借用主竜次・証人太郎左衛門 団平 2通 4-(6)2479-1
酉(文久元年)12月15日 (竜次方田地金之内へ金弐拾壱両余受取申に付)覚(原本) 五郎太夫 七左衛門 1通 4-(6)2479-2-1
(文久元年) (七左衛門之証文金之覚)(原本)     1通 4-(6)2479-2-2止
○2479-2-1~2止は、一括してあった。
(文久元年12月)15日 (竜次様御講会御断に付掛金差上申に付書状)(原本) 渡辺勘左衛門 棚禎介(鶴亭) 1通 4-(6)2479-3
(文久元年)12月16日 (昨日は御講開之処失敬仕に付書状)(原本)(封紙あり) 呂久村馬渕治郎右衛門 楡俣村棚橋竜次 1通 4-(6)2479-4
(文久元年)12月16日 (昨日は竜次様方御講ニ失敬に付書状)(原本) 福束村高橋九郎左衛門 棚橋太郎左衛門・同政右衛門 1通 4-(6)2479-5
酉(文久元年)12月17日 (元利金之)覚(原本) 周平 太郎左衛門 1通 4-(6)2479-6
(文久元年)12月17 (金子受取申に付)覚(原本) 富右衛門 龍治 1通 4-(6)2479-7
酉(文久元年)12月18日 (金子元利として御請取相済申に付)覚(原本) 西脇仙右衛門 棚橋竜次 1通 4-(6)2479-8
酉(文久元年)12月25日 (金七両也受取相済申に付)覚(原本) 慶正寺   1通 4-(6)2479-9
酉(文久元年)12月26日 (金弐両余受取申に付)覚(原本) 善吉 柳治 1通 4-(6)2479-10
文治元年12月 竜次方借財請払覚帳(原本)     1冊 4-(6)2479-11
(文久元年12月) (田畑書入地勘定帳)(原本)     1冊 4-(6)2479-12
(文久元年) (借金人別之)覚(原本)     1冊 4-(6)2479-13止
○2479-1~13止は、「文久元年酉十二月竜次方借財塼済諸書類入」とある紙袋に入っていた。
寅.12月24日 (割銀指引之)覚(原本) 太右衛門 五郎右衛門 1通 4-(6)2480-1
寅.極.24 (寅夫銀指引相済申に付)覚(原本) 楡俣新田与右衛門 楡又村五郎右衛門 1通 4-(6)2480-2
寅.12.大晦 (塩代等取かへ之)覚(原本) 新右衛門 五郎右衛門 1通 4-(6)2480-3
(松治郎手形寅年五郎右衛門控)小前書覚(下書) 五郎右衛門   1通 4-(6)2480-4
(高拾壱石余之年貢諸役勘定相済申に付)覚(原本) 楡俣新田庄屋与右衛門 楡俣村五郎右衛門 1通 4-(6)2480-5
(寅年御年貢御口米夫銀役銀共高掛入用銀内訳之)覚(原本) 申右衛門 五郎右衛門 1通 4-(6)2480-6
卯.3月22日 (寅年分小物成物高・夫銀不足之)覚(原本) 新右衛門 五郎右衛門 1通 4-(6)2480-7
卯.9 (江堀人足・舟役外高懸り)覚(原本) 庄屋新右衛門 五郎右衛門 1通 4-(6)2480-8
年未詳.9月7日 (金銀御請取被可申に付)覚(原本) 庄屋与右衛門 五郎右衛門 1通 4-(6)2480-9止
○2480-1~9止は、「寅年諸書附入棚橋五郎右衛門」とある紙袋に入っていた。
嘉永8年12月 (当寅極月十五日より来卯十二月十五日迄)奉公人御請状之事(原本) 奉公人重助・証人吉助 楡俣村五郎右衞門 1通 4-(6)2481
申.11 (富右衛門方相続に付)乍恐以書付奉申上候(下書) 楡俣村本人富三郎外4人・奥印半左衛門外2人 大垣御預御役所 1通 4-(6)2482
酉.極 (御賄代銀受取申に付)覚(原本) 大垣魚屋町御肴屋又一兵衛 輪中助郷御入用 1通 4-(6)2483
酉.極 (御賄之)覚(原本) 肴屋又一兵衛 四番安八棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2484
酉.極 (御賄之)覚(原本) 肴屋又一兵衛 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2485
酉.極 御用状継送り請取帳(原本) 楡俣村庄屋   1通 4-(6)2486
年未詳.11.晦 (明後二日四ツ時過迄ニ役所え可罷出之差紙)(原本) 大垣御預役所 楡俣村逸策 1通 4-(6)2487
年月日未詳 (諸入用掛之覚)(下書)     1通 4-(6)2488
年月日未詳 (此度当村村上沢田地内へ御堤築流等に付)乍恐以書付奉申上候(下書)     1冊 4-(6)2489
年月日未詳 (当輪中上郷西通千損ニ付仮堀貫井戸納得仕候様下郷へ被為仰付候様)乍恐以書付奉願上候(下書)     1冊 4-(6)2490
年月日未詳 村高家数人別書上帳(写)   山口蔵次郎・梅沢九十郎 1冊 4-(6)2491
□2431~2491は、「安政万延文久間村公用書」とある木箱に入っていた。       4-
寅(安政元年)7月 (買物代銀受取)覚(原本) 御肴屋又一兵衛 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2492-1
寅(安政元年)9月5日 (講掛金)覚(原本) 上大くれ村受法寺講 楡俣村五郎右衛門 1通 4-(6)2492-2
安政元年9月6日 (昨日受法寺講掛銀之内金壱両御預申置に付書状)(原本) 民弥 逸策 1通 4-(6)2492-3
(安政元年)10月15日 (藤の井酒代金勘定)覚(原本) 半左衛門 逸策 1通 4-(6)2492-4
寅(安政元年)10月18日 (家具壱箇代銭受取)覚(原本) 濃州大榑谷松問屋谷九太夫 楡俣新田棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2492-5
(安政元年)10月22 (りん子ふくさ等買物代銀請取)覚(原本) 直助 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2492-6
寅(安政元年)11月28日 (箱銭御預)覚(原本) 同行中 五郎右衛門 1通 4-(6)2492-7
寅(安政元年)11月 (御廻状壱通下宿村より海松新田へ継立申人足銀并御役人貯穀御改御昼支度銀割入覚)(原本) 楡俣村逸策   1通 4-(6)2492-8
寅(安政元年)11月 (少サ刀さや等代銀請取)覚(原本) 田嶋屋喜兵衛 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2492-9
(安政元).12.朔 (五月之調達金元利に付書状)(原本) 西松権兵衛 棚逸策 1通 4-(6)2492-10
(安政元).極.17 (生酒代銭)覚(原本) 酒や庄蔵 五郎右衛門 1通 4-(6)2492-11
(安政元年)12月19 (糸かや等代金うけ取)覚(原本) 江州中村糸善 五郎右衛門 1通 4-(6)2492-12
(安政元年)12月21日 (しくれ小見代銭受取)覚(原本) 志賀屋九八 御客 1通 4-(6)2492-13
寅(安政元年)12月24日 (杉方氏之御戻しニ相成杓に付)覚(原本) 五反郷村片野民右衛門 棚橋逸作 1通 4-(6)2492-14
寅(安政元年)12月25日 (当夫銀之内過金返上に付)覚(原本) 民弥 逸策 1通 4-(6)2492-15
(安政元年)12月25日 (理平次一件金子弐両受取大小相渡に付)口上(原本) 行老僧 棚橋逸作 1通 4-(6)2492-16
(安政元年)12月25日 (御酒弐樽代金御勘定)覚(原本) 半左衛門 逸策 1通 4-(6)2492-17
(安政元年)12月26日 (為歳末御祝儀金五拾疋御恵投に付礼状)(原本) 飯沼龍夫 楡俣村棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2492-18
寅(安政元年)12月27日 (金拾両請取)覚(原本) 民弥 逸作 1通 4-(6)2492-19
(安政元年)12月27日 (かし等代金請取)覚(原本) 高嶋屋栄吉 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2492-20
(安政元年)12月27日 (染賃銀)覚(原本) 丁字 丈助 1通 4-(6)2492-21
(安政元年)12月27日 (弐葉為御祝儀預御恵贈忝受納に付)口演(原本) 上大榑村竹林軒 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2492-22
(安政元年)12月28日 (ふな代銭受取)覚(原本) 南条村魚屋源蔵 楡俣村棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2492-23
(安政元年)12月28日 (兼て御借用申上置候金子御返金申上に付書状)(原本) 福束村高橋九郎左衛門 棚橋逸策 1通 4-(6)2492-24
寅(安政元年)12月29日 (酒代不足之分御使へ差上候に付)覚(原本) 上大くれ村忠左衛門 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2492-25
とら(安政元年)12月30日 (とうふあけ代銭勘定)覚(原本) くわや与右衛門 五郎右衛門 1通 4-(6)2492-26
寅(安政元).12.晦 (諸買物代銭勘定)覚(原本) □□や徳兵衛 棚橋 1通 4-(6)2492-27
(安政元年).嘉平(12).30 (金子弐百疋落掌に付書状)覚(原本) 信成寺 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2492-28
(安政元年)12月.大30日 (為歳末之御祝儀金壱両并御菓子料百疋御恵贈被成下に付書状)覚(原本) 西松修安 棚五郎右衛門 1通 4-(6)2492-29
(安政元).12.大晦 (先年作右衛門善吉杢松長左衛門作相成居候見取場に付書状)(原本) 民弥 逸作 1通 4-(6)2492-30
寅(安政元.12).大晦 (歳末之為御祝儀如嘉例美酒美肴金百疋御取揃御恵贈被成下に付礼状)(原本) 西松権兵衛 棚五郎右衛門 1通 4-(6)2492-31
寅(安政元.12).大晦 (金弐分弐朱御請取可被下に付)覚(原本) 富三郎 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2492-32
寅(安政元年)12月 (買物代銀受取)覚(原本) 御肴屋又一兵衛 棚橋逸策 1通 4-(6)2492-33
寅(安政元年)12月 (買物代銀受取)覚(原本) 美濃大垣魚屋町納屋金四郎 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2492-34
寅(安政元年)12月 (栗き代銀)覚(原本) 大薮大黒屋利助 にれ又村五郎右衛門 1通 4-(6)2492-35
寅(安政元年)12月 輪中割覚(下書) 楡俣村逸策   1通 4-(6)2492-36
寅(安政元年)12月 (小倉馬乗本〆代金)覚(原本) 三輪屋嘉右衛門 棚橋五良右衛門倅 1通 4-(6)2492-37
寅(安政元年)12月 (新右衛門計御米御預申置候追て御勘定可仕に付)覚(原本) 大薮村勘四郎 五郎右衛門 1通 4-(6)2492-38
寅(安政元年)12月 (井戸割去丑附出し落物御割入可被下に付)覚(下書) 楡俣村逸策   1通 4-(6)2492-39
寅(安政元年)12月 (品物代銭)覚(原本) かじや善右衛門 ニレ又棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2492-40
寅(安政元年)12月 (諸買物代請取)覚(原本) 御肴屋又十屋 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2492-41
寅(安政元年)12月 (銀子元利勘定)覚(下書)     1通 4-(6)2492-42
寅(安政元年)12月 (去丑年自普請借入利足為持差上申に付)覚(原本) 福束村九郎左衛門 楡俣村御庄屋中 2通 4-(6)2492-43
寅(安政元).極 (昼食菓子等代銀)覚(原本) 佐見屋証八 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2492-44
寅(安政元).極 (木綿反物等代銀受取)覚(原本) 大和屋又吉 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2492-45
とら(安政元).極 (紙代銀受取)覚(原本) 仲次 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2492-46
とら(安政元年)12月 (くわ先代銭勘定)覚(原本) かじや孫九郎 にれ又五郎右衛門 1通 4-(6)2492-47
とら(安政元年)12月 (うるし代)覚(原本) 升屋忠兵衛 ぬれ又棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2492-48
とら(安政元年)12月 (材木代相済)覚(原本) 材木屋与次右衛門 楡俣棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2492-49
とら(安政元年).極 (染代銭受取)覚(原本) 紺屋栄蔵 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2492-50
(安政元年)12月 (銀子元利勘定)覚(原本) 慶正寺 棚橋 1通 4-(6)2492-51
(安政元年)12月 (買物代銀勘定)覚(原本) 若山屋茂八 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2492-52
(安政元年)12月 (御坊様行ちん等代銭受取)覚(原本) 荒尾屋直助 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2492-53
(安政元年)12月 (しま切物代銀勘定)覚(原本) 荒尾屋直助 棚橋 1通 4-(6)2492-54
(安政元年) (三臓円壱箱代金)覚(原本) 堀津村長兵衛 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2492-55
(安政元年) (先般和唐氏の御分配被成下代物に付書状)(原本) 里村松尾嘉六 楡俣村棚橋逸策 1通 4-(6)2492-56
(安政元年) 御米札(原本) 加平   1通 4-(6)2492-57
(安政元年) (子丑年)輪中割(写) 楡俣村逸策   1通 4-(6)2492-58
(安政元年) (藤井酒弐樽当春借用)覚(後欠)(原本)     1通 4-(6)2492-59
(安政元年) (西松・飯沼両氏セン茶代金覚)(下書)     1通 4-(6)2492-60
(安政元年) (夫銀)覚(下書)     1通 4-(6)2492-61
(安政元年) (内入米御城米相場覚)(原本)     1通 4-(6)2492-62
(安政元年) (出作立会引違候一件逸策殿御立入内済に付)一札(下書)     1通 4-(6)2492-63
(安政元年) (今般洗堰切所入用割符仕候ニ付其御村より差当請今般之儀は御断申候に付)差出申一札之事(下書)     1通 4-(6)2492-64
(安政元年) (金子元利勘定)覚(下書)     1通 4-(6)2492-65
(安政元年) (料理材料等)覚(下書)     1通 4-(6)2492-66
(安政元年).月未詳.24日 (御城米引入相催に付覚)(原本) 民弥 逸作 1通 4-(6)2492-67
(安政元年).月未詳.25日 (慶正寺仰之通殊之外元結之よしニ付明日不残相渡可申に付別啓)(原本)     1通 4-(6)2492-68
(安政元年).月未詳.26日 (夫銀勘定等に付書状)(原本) 民弥 逸策 1通 4-(6)2492-69
(安政元年).月未詳.28日 (鴨料等勘定に付)舌代(原本) 枝春 楡俣 1通 4-(6)2492-70
(安政2年)4月21日 去寅十二月御取替金差引写(原本) 民弥 逸作 1通 4-(6)2492-71
年月日未詳 (金子差引)覚(原本)     1通 4-(6)2492-72止
○2492-1~72止は、「寅三冬諸書付入」とある紙袋に入っていた。
自嘉永7年3月至安政2年4月 売米仕訳勘定帳(原本)     1冊 4-(6)2493-1
嘉永7年12月 寅歳田畑掟御年貢米仕訳帳(控) 半右衛門   1通 4-(6)2493-2
嘉永7年12月 御年貢夫銀定帳(控)     1通 4-(6)2493-3
寅(安政元年)7月 (小作米勘定)覚(原本) 逸策 竜次 1通 4-(6)2493-4
寅(安政元年)11月25日 (高懸り銀つり差上に付)覚(原本) 市左衛門 五郎右衛門 1通 4-(6)2493-5
寅(安政元年)12月22日 (庄八御米引入御控候に付)覚(原本) 権兵衛 五郎右衛門 1通 4-(6)2493-6
寅(安政元年).極.23 (治左衛門御米此方ニて引入に付)覚(原本) 権兵衛 五郎右衛門 1通 4-(6)2493-7
寅(安政元年).極.23 (小兵衛御米引入御座候に付)覚(原本) 権兵衛 五郎右衛門 1通 4-(6)2493-8
寅(安政元年)12月24日 (七左衛門御米引入御座候に付)覚(原本) 権兵衛 五郎右衛門 1通 4-(6)2493-9
寅(安政元年)12月25日 (年貢諸役等差勘定)覚(原本) 民弥 逸策 1通 4-(6)2493-10
寅(安政元年)12月25日 (御高懸り夫銀請取)覚(原本) 楡俣新田藤兵衛 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2493-11
寅(安政元年)12月25日 (当寅両組夫銀御過銀差上に付)覚(原本) 大薮村勘四郎 楡俣村五郎右衛門 1通 4-(6)2493-12
寅(安政元年)12月26日 (下米下拙方ニ預り量申候に付)覚(原本) 民弥 五郎右衛門 1通 4-(6)2493-13
寅(安政元).12.晦 (夫銀請取)覚(原本) 富三郎 逸策 1通 4-(6)2493-14
(安政元).12.大晦 (市五郎分御預り米差上に付)覚(原本) 竜二 逸作 1通 4-(6)2493-15
寅(安政元年)12年 (高米夫銀等覚)(原本) 大薮村西組 五郎右衛門 1通 4-(6)2493-16
寅(安政元年)12年 (当寅年御米御預に付)覚(原本) 大薮村勘四郎 楡俣村御庄屋五郎右衛門 1通 4-(6)2493-17
寅(安政元年)12年 (高米夫銀等覚)(原本) 大薮村北束組 楡俣村五郎右衛門 1通 4-(6)2493-18
(安政元年).月未詳.24日 (高米夫銀等覚)(原本) 楡俣新田 楡俣村五郎右衛門 1通 4-(6)2493-19
(安政元年) (嘉平計御米引入相済申覚)(控)     1通 4-(6)2493-20
(安政元年) (棚橋分)寅之物成(下書)     1通 4-(6)2493-21
(安政元年) 寅年御城米差引(覚)(下書)     1通 4-(6)2493-22
卯(安政2年).正.23 (米代之内金拾両也請取)覚(原本) 半左衛門代筆 逸策 1通 4-(6)2493-23
卯(安政2年).正.23 (米代之内金五両也請取)覚(原本) 民弥 逸策 1通 4-(6)2493-24
(安政2年).正.23 (内入米代之内金弐拾五両請取等)覚(原本) 西松権兵衛 棚逸策 1通 4-(6)2493-25
卯(安政2年).正 (小作米勘定)覚(原本) 民弥 竜二 1通 4-(6)2493-26
卯(安政2年).正 (小作米勘定)覚(原本) 楡俣新田藤兵衛 楡俣村竜次 1通 4-(6)2493-27
卯(安政2年).正 (高米御見取米差引)覚(原本) 北束組分勘四郎 逸策 1通 4-(6)2493-28
卯(安政2年).正 (高米勘定)覚(原本) 北束分勘四郎 竜二 1通 4-(6)2493-29
卯(安政2年).正 (小作米)覚(原本) 楡俣新田藤兵衛 楡俣村五郎右衛門 1通 4-(6)2493-30
卯(安政2年).正 (小作米差引勘定)覚(原本) 民弥 逸策 1通 4-(6)2493-31
卯(安政2年).正 (高米勘定)覚(原本) 勘四郎 逸策 1通 4-(6)2493-32
(安政2年)2月15日 (過米員数之儀此方都合三百三拾五俵有之之趣大垣表より申参り候に付書状)(原本) 西松修安 棚逸策 1通 4-(6)2493-33
(安政2年)2月15日 (過刻御廻章ニて内納米御売引合被成下候段被仰下に付書状)(原本) 西条西松権兵衛 棚逸策 1通 4-(6)2493-34
(安政2年)2月15日 (内納米之義市兵衛并久左衛門周平等段々計合候に付)廻章(原本) 五郎右衛門 権兵衛外5人 1通 4-(6)2493-35
(安政2年)2月15日 (下米御世話被成下候様御願い申上に付)覚(原本) 富三郎 逸策 1通 4-(6)2493-36
(安政2年)2月16日 (俵都合拾弐俵也御渡し可被下に付)覚(原本) 棚橋逸策 金藤兵衛 1通 4-(6)2493-37
(安政2年)2月21日 (米代之内金百両請取)覚(原本) 修安 逸策 1通 4-(6)2493-38
(安政2年)2月23日 (御米川出しニ相成申に付)覚(原本) 民弥 逸策 1通 4-(6)2493-39
(安政2年)2月25日 (津出し被成下相改慥請取申、右代金来ル廿日限御勘定可申に付)証文一札之事(原本) 米買主新田仙右衛門・右同断楡俣庄蔵 逸策 1通 4-(6)2493-40
卯(安政2年)2月25日 (金子勘定に付)覚(原本) 西松権兵衛 棚逸策 1通 4-(6)2493-41
卯(安政2年)2月 (取米夫銀等勘定)覚(原本) 九郎左衛門 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2493-42
卯(安政2年)3月 (小作米勘定)覚(原本) 民弥 竜次 1通 4-(6)2493-43
卯(安政2年)3月 (小作米等勘定)覚(下書) 民弥 竜次 1通 4-(6)2493-44
卯(安政2年)3月 (旧冬下拙御年貢下米之分御高米年々御差引ニ預り御勘定に付書状)(原本) 楡俣新田藤兵衛 棚橋逸策 1通 4-(6)2493-45
卯(安政2年)3月 (去寅仲間地徳米仕訳)覚(原本) 民弥 逸策 1通 4-(6)2493-46
卯(安政2年)4月21日 (内納米代銭として金三両余請取)覚(原本) 半左衛門 逸策 1通 4-(6)2493-47
卯(安政2年)4月21日 (小作米代請勘定等差上に付)覚(原本) 民弥 逸策 1通 4-(6)2493-48
卯(安政2年)4月21日 (内入米残金八両請取等に付書状)(原本) 西松権兵衛 棚逸策 1通 4-(6)2493-49
卯(安政2年)4月21日 (去寅ノ年政右衛門様御年貢米請取)覚(原本) 富三郎 逸策 1通 4-(6)2493-50
安政2年4月 (御年貢米夫銀等勘定仕寅年得米代銀差上に付)覚(原本) 九郎左衛門 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2493-51
卯(安政2年)6月 (小作米勘定)覚(原本) 五郎右衛門 竜次 1通 4-(6)2493-52
(安政2年).月未詳.29日 (洗堰切所入用御高懸り銀請取)覚(原本) 楡俣新田藤兵衛 棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2493-53
(安政2年) (三左衛門外免割村入用等勘定)覚(原本) 水谷忠八 楡俣村棚橋五郎右衛門 1通 4-(6)2493-54
(安政2年) (新田過米之訳等覚)(控)     1通 4-(6)2493-55
年月日未詳 (御米過分)覚(控)     1通 4-(6)2493-56
年月日未詳 (得米代銀)目録(原本)     1通 4-(6)2493-57
年月日未詳 過米之訳(下書)     1通 4-(6)2493-58
年月日未詳 下米覚(下書)     1通 4-(6)2493-59
年月日未詳 (小作米勘定)覚(下書)     1通 4-(6)2493-60止
○2493-1~60止は、「卯之歳御城米并下米徳米書類入」とある紙袋に入っていた。
万延元年9月 (御預所下五郡より上納ニ相成候膳籾仕立方之儀組合八ヶ村熟談納得治定ニ相成候に付)差出申一札之事(原本) 八ヶ村惣代伊吹村庄屋十郎兵衛外2人 御惣代棚橋五郎右衛門太夫・祝平 1通 4-(6)2494-1
元治元年12月20日 (大垣御預所当子御膳籾当支配所七ヶ村ニて引請相納候御籾代金之内七百両請取)覚(原本)   岩田鍬三郎手代福田清作・同人手付松本治三郎・同人手代平松圭助 1通 4-(6)2494-2
子(元治元年)12月20日 (当子御膳籾栗原村分別上納代米金之内三拾両請取)覚(原本) 山県郡加野村庄屋後見真右衛門外1人 御籾惣代結村古沢武左衛門・同断楡俣村棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2494-3
(元治元年) (下五群村々江御割賦御膳籾之内十五石西結村拾石芦敷村拾石上本田村引請上納仕候に付)差出申一札之事(下書) 本田村庄屋関谷源右衛門外2人 下五郡御膳籾御惣代西結村古沢武右衛門・楡俣村棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2494-4
元治2年2月22日 (大垣御預所御膳籾当支配所八ヶ村ニて引請相納候御籾代残金請取)覚(原本) 福田清作・松本三郎・平松圭助 御籾惣代・安八郡西結村古沢武右衛門代半左衛門 1通 4-(6)2494-5
元治2年3月 (御籾季継に付)為取替一札之事(原本) 御籾引請七ヶ村惣代各務郡須衛村助右衛門外2人 下五郡御惣代八幡村竹中政之丞外5人・御籾惣代西結村古沢武右衛門・楡俣村棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2494-6
丑(慶応元年)2月20日 (去子大垣御預所下五組江御割符御膳籾御上納引請)覚(原本) 七ヶ村御籾惣代山県郡加野村庄屋後見真右衛門外1人 下五郡御籾惣代庄屋棚橋五郎太夫・同断古沢武左衛門 1通 4-(6)2494-7
丑(慶応元年)2月20日 (去子大垣御預り所下五郡江御割符御膳籾私共村方江引請御上納仕候御籾代金諸勘定相済)覚(原本) 各務郡須衛村庄屋助右衛門 楡俣村御庄屋棚橋五郎太夫・結村御庄屋古沢武左衛門 1通 4-(6)2494-8
丑(慶応元年)2月21日 (去子御膳籾代残金請取)覚(原本) 西結村領八 御膳籾御惣代棚橋五郎太夫・古沢武左衛門 1通 4-(6)2494-9
丑(慶応元年)10月 (当丑年御膳籾之儀不熟故弐割五分御年延)乍恐以書付奉願上候(控) 御膳籾惣代楡俣村棚橋五郎太夫・西結村古沢武右衛門 大垣御預御役所 1通 4-(6)2494-10
(慶応元年)12月1日 (当丑御膳籾増石御融通之儀今一応御願ニ罷出申候間委細御聞取御配慮可被下候に付書状)(原本) 室原村庄屋 御籾御惣代楡俣村棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2494-11
丑(慶応元年)12月18日 (当丑御籾代金弐番御触面之通差上申候に付)覚(原本) 三番東組惣代表佐村多和田話右衛門 御籾御惣代古沢武右衛門・棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2494-12
丑(慶応元年)12月 (盆御下用〆銀引合)覚(原本) はまや貴兵 楡俣村御庄屋棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2494-13
年未詳.11月20日 (御膳籾壱番金御礼旁当冬仕立辻何程ニ御座候哉御伺書状)(原本) 納屋ニて石原嘉平治 小川屋御出張先棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2494-14
年月日未詳 御膳籾代米請取之事(に付七ヶ村と御村々引請覚)(原本)     1通 4-(6)2494-15止
○2494-1~15止は、「[]籾要書類」とある紙袋に入っていた。
自(文久2年)至(文久3年) 当用留(原本)(公用の外に八句に関する記事もあり) 棚橋正重   1冊 4-(6)2495
文久3年 惣代中遣払人足覚帳六冊之番外(原本) 四安八惣代棚橋五郎太夫   1冊 4-(6)2496-1
文久3年11月 亥年出金雑用割・御籾米割・高例臨時高割御検見人足賃割・郡中仕法講割桑名廻船方仕法割・郡中仕法講落口割(原本) 四番組安八惣代棚橋五郎太夫   1冊 4-(6)2496-2
文久3年12月 亥年郡中諸入用清勘定組限帳六冊之内三番(原本) 四番組安八惣代棚橋五郎太夫   1冊 4-(6)2496-3
元治元年6月18日 子年盆前仮割帳六冊之四番(原本) 四安八惣代楡俣村棚橋五郎太夫   1冊 4-(6)2496-4
元治元年10月 郡中諸入用組合限村別仕訳帳六冊之内六番(原本) 四番組安八割元棚橋五郎太夫   1冊 4-(6)2496-5
元治元年10月 亥年納入用割・雑用頭割・御手当籾割・御籾米割・戌年欠石間弁割定例臨時高割(原本)(帳面にかんぜよりが付けられている) 棚橋五郎太夫控   1冊 4-(6)2496-6止
○2496-1~6止は、かんぜよりで一括してあった。
慶応2年2月 丑年御膳籾代金一村限仕訳清勘定帳(原本) 惣代古沢武右衛門・棚橋五郎太夫   1冊 4-(6)2497
慶応3年1月 寅年御膳籾代金一村ヶ・切り仕訳清勘定帳(原本) 惣代楠藤三郎・棚橋五郎太夫   1冊 4-(6)2498
卯(慶応3年)7月 (下用代受取)覚(原本) ゆさや猪八 にれ又村棚橋保之進 1通 4-(6)2499-1
卯(慶応3年)7月 (酒肴代引合)覚(原本) 濃州大垣はま屋喜兵衛 棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2499-2
卯(慶応3年)7月 (御宿代引合)覚(原本) 小川屋勝兵衛 棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2499-3
卯(慶応3年)7月 (御宿代引合)覚(原本) 小川屋勝兵衛 楡俣村棚橋龍次 1通 4-(6)2499-4
卯(慶応3年)7月 (御宿代引合)覚(原本) 小川屋勝兵衛 楡俣村御庄屋衆 1通 4-(6)2499-5
卯(慶応3年)7月 (御酒肴代引用)覚(原本) 御肴屋又一兵衛 棚橋竜治 1通 4-(6)2499-6
卯(慶応3年)7月 (五月九日五郎太夫様他御泊代引合)覚(原本) 小川屋勝兵衛 棚橋富右衛門 1通 4-(6)2499-7止
○2499-1~7止は、一括してあった。
慶応3年10月 当用留(原本) 棚橋正重   1冊 4-(6)2500
慶応3年11月 卯十月出勤雑用頭割・定例臨時高割・回船方返納割・畑方入用割戻し割割賦帳(原本)(「定例・臨時高割(帳)」外綴り込みあり) 四番安八組惣代棚橋五郎太夫   1冊 4-(6)2501
丑(慶応3年)11月16日 (当卯御膳籾代中札共差上申候に付)覚(原本) 海松新田牧野治兵衛 御惣代棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2502
丑(慶応3年)11月16日 (御膳籾代金壱番触為特遣シ申候に付)覚(原本) 藻池新田利三郎 御惣代棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2503
丑(慶応3年)11月17日 (当卯御膳籾代金壱番割村当差上申候に付)覚(原本) 里村川瀬彦内 御籾御惣代棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2504
自(慶応3年)12月9日
至慶応4年11月1日
御用状継送判取帳(原本) 楡俣村庄屋棚橋五郎右衛門   1冊 4-(6)2505
卯(慶応3年)12月11日 (当卯十月割仮取立・当卯御膳籾代弐番金・当卯御廻米触に付)急廻文(原本) 惣代楡俣村棚橋五郎太夫 大薮村外8ヶ村村々御庄屋 1通 4-(6)2506
卯(慶応3年)12月19日 (当卯御膳籾代金弐番触金為持差上に付)覚(原本) 福束新田忠右衛門 楡俣村棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2507
卯(慶応3年)12月27日 (郡中十月仮割村当差上申候に付)覚(原本) 里村彦内 棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2508
卯(慶応3年)12月27日 (去寅拝借籾米代不足金為持遣申候に付)覚(原本) 藻池新田利三郎 御惣代棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2509
卯(慶応3年)12月 (当卯御膳籾代金弐番触)(原本) 御籾惣代楠藤三郎 四番安八組御惣代楡俣村棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2510
卯(慶応3年)12月 (郷宿下用帳)覚(原本) 小川屋勝衛 楡俣村棚橋安之進 1通 4-(6)2511-1
卯(慶応3年)12月 (郷宿下用帳)覚(原本) 小川屋勝衛 棚橋 1通 4-(6)2511-2
卯(慶応3年)12月 (郷宿下用帳)覚(原本) ゆさや猪八 楡俣村棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2511-3
卯(慶応3年)12月 (郷宿下用帳)覚(原本) 小川屋勝衛 楡俣村棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2511-4
卯(慶応3年)12月 (郷宿下用帳)覚(原本) 小川屋勝衛 楡俣村棚橋亀次 1通 4-(6)2511-5
卯(慶応3年)12月 (郷宿下用帳)覚(原本) 小川屋勝衛 楡俣村御庄屋衆中 1通 4-(6)2511-6
卯(慶応3年)12月 (郷宿下用帳)覚(原本) 小川屋勝衛 楡俣村棚橋富右衛門 1通 4-(6)2511-7
巳.12 (郷宿下用帳)覚(原本) 小川屋勝衛 棚橋碌翁 1通 4-(6)2511-8止
○2511-1~8止は、「慶応三年卯十二月御宿下用帳入」とある紙袋に入っていた。
(慶応4年).正.24 (去卯太餅米買納代残金可相納旨被仰渡候に付)急回状(原本) 惣代楡俣村棚橋五郎太夫 大薮村外8ヶ村村々御庄屋中 1通 4-(6)2512
慶応4年.正 当用留(原本)(維新の重要記事の外に俳諧・漢詩もあり) 棚橋吉重   1通 4-(6)2513
辰(慶応4年)2月4日 (太餅米代上納金受取)覚(原本) 金見役所 棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2514
辰(慶応4年)2月8日 (郡中惣代一同御用之義有之旨被仰付候に付)大急廻文(原本) 大垣詰合高井儀左衛門 西橋村大熊武左衛門・楡俣村棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2515
(慶応4年2月10日) (今般東山道御鎮撫御総督様御本陣役所江郡中惣代一同被召出被仰渡候御主意書)(写)(裏面に辰二月付惣年寄名の夜具千五百人前外東征軍寝具類差出し願が写されている)     1通 4-(6)2516
辰(慶応4年)2月12日 (去卯年御膳籾代金残金之分来ル十七日限御差出可被下候に付)急回状(虫損)(原本) 安八郡惣代楡俣村棚橋五郎太夫 大薮村外8か村御庄屋中 1通 4-(6)2517
慶応4年2月 卯年御膳籾代金一村限仕訳清勘定帳(原本) 惣代楠藤三郎・棚橋五郎太夫   1冊 4-(6)2518
(慶応4年)3月4日 (今度御総督より御回米之内川下残り置居米一万俵引当として調達可仕旨被仰付候間惣郡中よりハ千五百両調達御請仕候ニ付割賦金来ル八日限御差出可被下候に付)急回文(原本) 楡股村棚橋五郎太夫 大藪村外8か村御庄屋中 1通 4-(6)2519
(慶応4年3月) (此度御親征ニ付当月下旬先浪華え行幸被仰出候間)於大坂市中被仰出書付右之者共江左之通申渡ス(写)     1冊 4-(6)2520
慶応4年6月 郡中諸入用辰六月仮割(原本) 四番組安八惣代棚橋五郎太夫   1冊 4-(6)2521
辰(慶応4年)7月1日 (郡中諸入用六月仮割金村当り金差上申候に付)覚(原本) 南波村庄屋加納儀左衛門 御惣代楡俣村棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2522
辰(慶応4年)7月13日 (えひ・時雨代受取候に付)覚(原本) 御肴屋又一兵衛 棚橋五郎太夫 1綴 4-(6)2523-1
辰(慶応4年)7月 (下用代受取)覚(原本) 笹屋専次 棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2523-2
辰(慶応4年)7月 (下用代引合)覚(原本) 御肴屋又一兵衛 棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2523-3
辰(慶応4年)7月 (右之通下拙名当ニて下用帳御仕立可被下候に付)覚(下書) 棚橋五郎太夫 小川屋勝兵衛 1通 4-(6)2523-4
辰(慶応4年)7月 (下用代受取)覚(原本) 御肴屋又一兵衛 楠藤三郎 1通 4-(6)2523-5
たつ(慶応4年)7月 (下用引合)覚(原本) 小川屋勝衛 水防御用御連中 1通 4-(6)2523-6
たつ(慶応4年)7月 (下用代引合)覚(原本) 小川屋勝衛 棚橋五良太夫 1通 4-(6)2523-7
たつ(慶応4年)7月 (下用代請取)覚(原本) 小川屋勝衛 棚橋竜治 1通 4-(6)2523-8
たつ(慶応4年)7月 (下用代請取)覚(原本) 小川屋勝衛 楡俣村御庄屋衆 1通 4-(6)2523-9止
○2523-1~9止は、「助郷下用帳入慶応四歳辰七月」とある紙袋に入っていた。
辰(慶応4年)7月29日 (熱田御籾御貸下ケ諸入用残金入手仕候に付)覚(原本) 大藪村庄屋渡辺勘右衛門 御惣代楡俣村庄屋棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2524
辰(慶応4年)7月29日 (去卯御廻米籾納入用残金朔日限御出金可被下候に付)急回状(原本) 惣代楡股村棚橋五郎太夫 大藪村外8か村御庄屋中 1通 4-(6)2525
辰(慶応4年)8月3日 (村当り金為持差上申候に付)覚(原本) 福束新田平左衛門 御惣代楡俣村棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2526
辰(慶応4年)9月7日 (当辰畑方引願之儀御調印被下度に付)急回状(原本) 惣代楡股村棚橋五郎太夫 大藪村外8か村御庄屋中 1通 4-(6)2527
慶応4年9月 卯年出勤雑用頭割・手当御籾割・御籾割・定例臨時高割・兵賦給金并勘弁割・大宮御所籾入用割戻し郡々引分清勘定帳(原本) 四番組安八郡棚橋五郎太夫   1冊 4-(6)2528
慶応4年9月 卯年出勤雑用頭割・定例臨時高割・手当御籾割・兵賦給金并勘弁割御籾米割・大宮御所造営国役金割納入用割戻し・笠松御膳籾御渡入用調(原本) 四番組安八郡棚橋五郎太夫   1冊 4-(6)2529
(明治元年)10月8日 (当辰年五人組御仕置帳小前印形取調置前文御沙汰次第相認メ可差出旨被仰渡候に付)急回状(原本) 惣代棚橋五郎太夫 大藪村外8か村御庄屋中 1冊 4-(6)2530
明治元年11月 郡中諸入用組合限村別仕訳帳(原本) 四番組安八割元棚橋五郎太夫   1通 4-(6)2531
(明治元年)12月19日 (郷宿下用之儀壱飯銀三匁七分五厘之定ニ候間御案内・御生産局より被仰出候御領分残米ノ書下写御通達に付)急回章(原本) 惣代楡俣村棚橋五郎太夫 大藪村外9か村御庄屋中 1通 4-(6)2532
明治3年.正 (役向)当用備忘(虫損)(原本)(碌翁の漢詩・俳句・岐阜県官員録・花火等多岐にわたる) 棚橋吉重   1冊 4-(6)2533
自明治4年.正.23日
至明治5年5月13日
(笠松県庁・太政官・岐阜県庁よりの)御用帖留記(原本) 楡俣村庄屋棚橋五郎右衛門   1冊 4-(6)2534
年未詳.7月24日 (安藤三之丞殿より宗門帳之儀ニ付廻章壱通受取申候に付)覚(原本) 直江村杉野休三郎 楡俣村棚橋五郎太夫 1通 4-(6)2535
年未詳.10月12日 (村々宿助郷取調帳来ル廿日迄ニ可差出旨被仰出候に付)急回状(原本) 惣代楡俣村棚橋五郎太夫 本戸村外8か村御庄屋中 1通 4-(6)2536
年未詳.10月18日 (御郡中清勘定ニ付御出垣被成下度に付)大垣より古田来状(原本) 古田市左衛門 棚五郎太夫 1通 4-(6)2537
年月日未詳 (金千両上納ニ付引当米南波村外五か村割符)覚(下書)     1通 4-(6)2538止

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