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第45集諸家(3)5棚橋家

岐阜県歴史資料館 所在史料目録

第45集 諸家文書目録(3)

三輪村棚橋嘉明家文書

年月日 文書名(作成.受取) 文書番号
1 衡平
(文化4年2月) 文衡山先生詩鈔 巻上(原本) 原簡 序文 1通 1-1
年未詳.1月22日 (為年甫之賀詞書状披見欣然候に付折り紙)(原本) (戸田家第九代戸田)氏正から(三百五十石大小性頭)戸田藤馬宛 1通 1-2
丑(慶応1年)8月 (其許義出府被仰付、手当金三両道中入用一日金三朱ツゝ、滞府中手当金壱両被下候間、拝借金之内附立勘定可被致に付達書)(原本) 棚橋衡平宛 1通 1-3
丑(慶応1年)8月 (此度出府被仰付候処、御用相済候ニ付、勝手次第帰国可被致候、向後年始暑寒并御吉凶之節江戸表御用人衆宛ニて書状被差出候義不苦候に付申渡状)(原本) 棚橋衡平宛 1通 1-4
寅(慶応2年)4月 (此度以思召被召出御近習席被仰付、勤方之義は御代官頭取、御知行所御取締掛り、御家中向文武引立方被仰付候に付達書)(原本) 棚橋衡平宛 1通 1-5
寅(慶応2年)4月 元其方上ケ屋敷当分拝借被仰付候間勝手次第家作可被致候(原本) 棚橋衡平宛 1通 1-6
寅(慶応2年)4月 (御用済ニ付帰国被仰付候、為御手当金三両被下之に付達書)(原本) 棚橋衡平宛 1通 1-7
寅(慶応2年)1月0 (御米方御人別ニ付右取締被仰付候に付申渡状)(原本) 棚橋衡平宛 1通 1-8
卯(慶応3年)6月 (出精相勤候ニ付御手当扶持弐人分御加増、都合七人扶持被成下候に付達書)(原本) 棚橋衡平宛 1通 1-9
(明治1年)9月 自今諸向応接約被仰附候事(原本) 棚橋衡平宛 1通 1-10
(明治1年) (岡田家整理之件、御隠居倹斎殿平奸党之者共入服難相成旨補相殿下ニ三条実美も御心配被遊刑法官判事迄今日内達致置候に付手紙)(後欠)(原本) (棚橋衡平)宛 1通 1-11
巳(明治2年)6月 (今般蒙大任出濃ニ付着眼奉伺候に付)(控) 臣嘉和(棚橋衡平)から(隠居□斉)宛 1通 1-12
巳(明治2年)7月 (度々遠路往返失費不少ニ就、当年分御給米当所取越被下候に付)口達(原本) (岡田□之助)から棚橋衡平宛 1通 1-13
巳(明治2年)7月 (朝恩御感載被遊候ニ就ては其許義御感賞思召候間、為慰労御恩賜之内御分配被下之候に付感賞状)(原本) (岡田□之助)から棚橋衡平宛 1通 1-14
巳(明治2年)9月 (其方此度条公殿下御貰請被成度ニ付、任御所望御請申上候に付)御意書(原本) (岡田□之助)から棚橋衡平宛 1通 1-15-1
巳(明治2年)1月1 (其許義条公殿下え被徴候、因茲忰立雄素家名相続永召仕度に付申述書)(原本) (岡田□之助)から棚橋衡平宛(「立雄」は、夭折した衡平の長男「立也」のことか) 1通 1-15-2止
文久1年12月14日 (一兵法口伝直指秘術数条之一軸、無残処令授之畢他四条堅可相守敬白 八幡大菩薩)誓言(下書) 岡田将監内 石原政五郎正明.今村末吉種恕.後藤繁八郎信義.柴山勇元一から梅田楳太郎宛 1通 1-16-1
辰(慶応4年)4月 (公務方掛頭取兼帯被仰付候に付申付状)(原本) 棚橋衡平宛 1通 1-16-2
辰(慶応4年).閏4 (出精相勤候ニ付此度御給人席被仰付候に付申渡状)(原本) 棚橋衡平宛 1通 1-16-3
巳(明治2年)4月 (三条殿より御用向ニ付早々東京え罷下候様御達相成候に付手紙)(原本) (三条実美家令陸政一.同家扶高橋久通か)から棚橋衡平宛 1通 1-16-4
己巳(明治2年)6月 (其方儀当家え勤仕、幼弱之主人鑿之助家事大正格名実貫徹候様改て被仰付、此段屹度可申達、従殿下被仰出候に付手紙)(原本) 三条家内参謀から棚橋衡平宛(隠居の父が岡田倹斎、その子が岡田鑿之助) 1通 1-16-5-1
巳(明治2年)7月 (二等席参事申付宛行高五拾石三人扶持差遣、従(三)条公殿下被為徴差出召使候段、於我等も大慶存候に付手紙)(原本)棚橋衡平宛 1通 1-16-5-2
午(明治3年か).2月22日 (其方儀側用役兼勤申付ル、尚勤勉相勤ヨ)申渡(虫損)(原本) 棚橋衡平宛 1通 1-16-5-3
(明治).9 自今監察兼勤被仰付候事(原本) 棚橋衡平宛 1通 1-16-5-4
(明治).12 内執事被仰付是迄之応接監察被免候事(原本) 棚橋衡平宛 1通 1-16-5-5
(明治2年〜3) (家事改革之儀多数之借財も出来候間、愚考一策、第一ニ家政局之人々を免シ、入用之者ハ更ニ雇之名ヲ以テ残し、上等之者ハ賜金相停等思案猶考慮有之度に付手紙)(原本) (花押あり岡田鑿之助か) 1通 1-16-5-6止
○16-5-1〜6止は、「故三条公手簡一、同辞令親書二、故有栖宮手簡一」とある包紙に包んであった。
 
巳(明治2年)1月2 今般以格別之思召第二等席会計判事被仰付候事(原本) 棚橋衡平宛 1通 1-17
(明治3年)4月1日 (於皇居被命候海軍中佐之事、明日御召候ニ付御打合せ之事、山県少輔え示談候に付手紙)(原本) (有栖川宮)熾仁から右大臣(三条実美)宛(「棚橋衡平内覧」とある包み紙に包んであった) 1通 1-18
庚午(明治3年)5月 (任租税権大佑辞令)(原本) 民部省から棚橋衡平宛 1通 1-19
庚午(明治3年)6月 (依願職務差免に付辞令)(原本) 民部省から棚橋租税大佑宛 1通 1-20
庚午(明治3年)7月 (会計之儀ニ付此間中建策之事件委任候間、厚尽力周旋可致候事に付達書)(原本) 棚橋衡平)宛(花押あり、岡田鑿之助か) 1通 1-21
明治10年10月3日 (虎列刺病流行ニ付予防委員申付書)(原本) 京都府から六等属棚橋衡平宛 1通 1-22
明治11年1月24日 農務通信委員申付候事(原本) 京都府から二等属棚橋衡平宛 1通 1-23
明治11年8月14日 (昨十年虎列刺病流行之際予防委員として格別尽力ニ付手当金被遣候事)(原本) 京都府から二等属棚橋衡平宛 1通 1-24
明治12年3月18日 府会事務取扱申付候事(原本) 京都府から一等属棚橋衡平宛 1通 1-25
明治13年4月27日 御巡幸掛申付候事(原本) 京都府から一等属棚橋衡平宛 1通 1-26
明治14年2月3日 (任岐阜県大野池田郡長辞令)(原本) 岐阜県大書記官従六位斯波有造奉から棚橋衡平宛 1通 1-27
明治14年2月3日 月俸金五拾円給与候事(原本) 岐阜県から大野池田郡長 棚橋衡平宛 1通 1-28
明治14年2月3日 本年其郡徴兵事務官申付候事(原本) 岐阜県から大野池田郡長 棚橋衡平宛 1通 1-29
明治14年4月 (金十円本県女学校ヘ寄附ニ付其賞木盃下賜状)(原本) 岐阜県から岐阜県大野池田郡長 棚橋衡平宛 1通 1-30
明治14年10月3日 明治十五年其郡帳へ宇事務官申付候事(原本) 岐阜県から大野池田郡長 棚橋衡平宛 1通 1-31
明治15年3月 (公立揖斐学校ヘ年賦寄附に付其賞木盃下賜状)(原本) 岐阜県から棚橋衡平宛 1通 1-32
明治15年3月 (公立好逑学校年賦寄附ニ付其賞木盃下賜状)(原本) 岐阜県から棚橋衡平宛 1通 1-33
明治15年12月26日 徴兵取調方疎漏之段不都合ニ付譴責ス(原本) 岐阜県令小崎利準から岐阜県大野池田郡長 棚橋衡平宛 1通 1-34
明治16年3月5日 四等給下賜候事(原本) 岐阜県から岐阜県大野池田郡長 棚橋衡平宛 1通 1-35
明治16年12月24日 (事務特別勤勉慰労金下賜状)(原本) 岐阜県から大野池田郡長 棚橋衡平宛 1通 1-36
明治16年9月26日 教育通信委員申付候事(原本) 岐阜県から岐阜県大野池田郡長 棚橋衡平宛 1通 1-37
明治19年5月1日 (池野巡査交番所新築費寄附ニ付其賞木盃下賜状)(原本) 岐阜県令 小崎利準から岐阜県大野池田郡長 棚橋衡平宛 1通 1-38
明治19年8月25日 (任岐阜県大野池田郡長辞令)(原本) 内閣総理大臣従三位勲一等伯爵 伊藤博文から棚橋衡平宛 1通 1-39
明治19年8月25日 叙奏任官六等賜上級俸(原本) 内閣総理大臣従三位勲一等伯爵 伊藤博文から岐阜県大野池田郡長 棚橋衡平宛 1通 1-40
明治19年11月27日 叙正八位(原本) 内閣総理大臣従二位勲一等伯爵 伊藤博文から棚橋衡平宛 1通 1-41
明治21年4月23日 (三輪警察署池野分署撃剱場新築寄附に付褒状)(原本) 岐阜県知事 小崎利準から美濃国大野郡三輪村 棚橋衡平宛 1通 1-42
明治21年4月23日 (第二部学務課長ヲ命ス辞令)(原本) 岐阜県から岐阜県属 棚橋衡平宛 1通 1-43
明治21年5月23日 (兼任岐阜県属辞令)(原本) 岐阜県から岐阜県尋常師範学校長正八位 棚橋衡平宛 1通 1-44
明治21年5月23日 叙判任官二等(原本) 岐阜県から岐阜県属正八位 棚橋衡平宛 1通 1-45
明治21年5月23日 給年俸八百円(原本) 岐阜県から岐阜県尋常師範学校長正八位 棚橋衡平宛 1通 1-46
明治21年6月11日 大坂府ヘ出張ヲ命ス(原本) 岐阜県から第二部学務課長岐阜県属 棚橋衡平宛 1通 1-47
明治21年8月3日 小学校教科用図書審査委員ヲ命ス(原本) 岐阜県から岐阜県尋常師範学校長 棚橋衡平宛 1通 1-48
明治21年8月11日 岐阜県小学校教科用図書審査委員ヲ命ス(原本) 岐阜県から岐阜県小学校教科用図書審査委員 棚橋衡平宛 1通 1-49
明治21年12月27日 (大野池田郡長在職中地押調査事務勤勉ニ付賞金下賜状)(原本) 岐阜県から岐阜県師範学校長 棚橋衡平宛 1通 1-50
明治22年2月1日 出京ヲ命ス(原本) 岐阜県から岐阜県属 棚橋衡平宛 1通 1-51-1
明治22年4月9日 岐阜県小学校教科用図書審査委員ヲ免ス(原本) 岐阜県から岐阜県尋常師範学校長 棚橋衡平宛 1通 1-51-2
明治22年4月18日 (岐阜県小学校教科用図書審査委員ヲ命ス(原本) 岐阜県から岐阜県尋常師範学校長 棚橋衡平宛 1通 1-51-3
明治22年4月18日 (岐阜県小学校教科用図書審査委員会議長ヲ命ス(原本) 岐阜県から岐阜県小学校教科用図書審査委員 棚橋衡平宛 1通 1-51-4止
○51-1〜4止は一括してあった。
明治22年7月26日 (防海ノ事業ニ献納候段奇特に付褒状)(原本) 賞勳局総裁従三位勲一等伯爵 柳原前光.賞勳局副総裁従三位勲二等子爵 大給恒から岐阜県尋常師範学校長兼岐阜県属正八位棚橋衡平宛  1通 1-52
明治23年2月21日 (明治廿一年七月安八郡大垣洪水罹災者ヘ施与候段奇特に付褒状)(原本) 賞勳局総裁従三位勲一等伯爵 柳原前光.賞勳局副総裁従三位勲二等子爵 大給恒から正八位 棚橋衡平宛  1通 1-53
明治23年2月21日 (別紙之通賞賜相成に付送達状)(原本) 賞勳局から正八位棚橋衡平宛 1通 1-54
明治34年3月18日 (中学校習字科.国語漢文科)教員免許状(原本) 文部大臣正三位 松田正久から岐阜県 棚橋衡平宛 1通 1-55
明治14年2月8日 (官職)履歴書(下書) 美濃国大野郡北方村 棚橋衡平 1通 1-56
(明治40年2月17日) (棚橋衡平位階勲等并公職履歴書)(下書) 1通 1-57-1
明治40年2月17日 (棚橋衡平)履歴書(控) 1通 1-57-2止
○57-1〜2止は一括してあった。
       
(明治)年月日未詳 (棚橋)天籟写真(原本) 1枚 1-58-1
(明治)年月日未詳 棚橋天籟写真(写) 1枚 1-58-2止
○58-1〜2止は、一括してあった。
 
自明治3年11月11日
至明治12年12月
(大野郡北方村西平.林瀬古外)開拓事務こゝろおほへ(帳)(原本) (棚橋)天籟子(明治九年、土地は棚橋衡平から三条実美家へ譲渡されている) 1冊 1-59
自明治5年12月
至明治7年12月
(大野郡北方村開拓地日雇人足賃.御下金他請払諸勘定書)(鼠損)(控) 棚橋衡平宛 1綴 1-60
(明治8年)2月18日 (岡田家換金承知、君家も公私之負債多分ニ有之困難罷在候、貴境開墾之顛末如何相成候哉、寡君よりの内命も有之御東上可被成候に付手紙)(原本) (三条家家扶 高橋)久道から棚橋老第宛 1通 1-61
(明治9年か).3月9日 (開墾地券状御書替ニ相成候様御運ひ被下度、兼て被仰聞候回金ハ不日御回金可申上候、岡田家為換云々承知仕候に付返事手紙)(封筒欠)(原本) 高橋久道から棚橋衡平宛 1通 1-62
明治10年9月 (三条家え差出有之同家所有地ニ付、県庁等え願伺一切之手続悉皆甲担当に付)甲之岩間市三郎、乙之棚橋衡平今般遂約束条款如左(控) 美濃大野郡北方村甲 岩間市三郎.同村乙 棚橋衡平.保証人 林藤四郎宛 1通 1-63
明治12年12月13日 (東京三条家ヨリ売払候大野郡北方村抱地反別.地価)保証書(下書) 大野郡北方村 棚橋衡平から大野池田郡長 青山直道宛 1通 1-64
○65は、欠番である。
 
自明治10年5月
至明治11年11月
(漢詩.碑文.画賛他)(原本) (棚橋)天籟老圃 1冊 1-66
自明治15年5月13日
至明治42年
(漢詩.碑文.紀行文他諸事記録帳)(原本) 棚橋天籟(明治14年2月3日〜21年5月19日 大野池田郡長) 1冊 1-67
年月日未詳 読書録(原本) (棚橋天籟)(この内に天籟輯「独坐談余」あり。又筆跡も天籟のもの) 1冊 1-68
(明治16年1月1日) (本邦人員.輸入輸出調)(写) 1通 1-69
明治13年12月 下等小学第八級卒業候事(原本) 京都府管内上京区第三十一組 銅駝小学から京都府 棚橋つる女宛 1通 1-70-1
明治14年11月22日 略則下等小学第五級卒業候事(原本) 岐阜県管轄美濃国大野郡北方村公立 公逑小学校から棚橋衡平五女 鶴江宛 1通 1-70-2
明治15年12月23日 小学初等科第二年前期卒業候事(原本) 岐阜県管轄美濃国大野郡北方村公立 公逑小学校から棚橋衡平四女 棚橋鶴枝宛 1通 1-70-3
明治16年9月30日 小学初等科第二年後期卒業候事(原本) 岐阜県管轄美濃国大野郡北方村公立 公逑小学校から棚橋衡平四女 棚橋つるえ宛 1通 1-70-4
明治17年6月 小学中等科第六級卒業候事(原本) 京都府下京区第廿四番学区 尚徳小学校から京都府 棚橋つる江宛 1通 1-70-5止
○70-1〜5止は、一括してあった。
 
(明治16年)8月18日 (郡書記辞表候就、後任之義別紙旧三田藩士江口鉤三郎採用致遣に付手紙)(原本) 本県 小崎県令利準から大野池田郡長 棚橋衡平宛 1通 1-71
(明治16年)9月19日 (打合置候書記江口鉤三郎着県、十三等ヘ採用貴衙ヘ差向申候間、御使試ミ相成度に付手紙)(原本) 小崎利準から棚橋衡平宛 1通 1-72
(明治16年)9月20日 (新任貴郡書記江口鉤二郎に付手紙)(原本) 白洲大書記官から棚橋郡長宛 1通 1-73
(明治16年)12月21日 (郡書記江口鉤二郎義兼て書記官保証ニ任セ採用之処、案外之次第、来一月中ニハ辞表差出候様取計可申候に付手紙)(原本) 県庁 小崎利準から大野池田郡長 棚橋衡平宛 1通 1-74
(明治17年1月か) 句書幅(寿 としとしに 拾ひためたる九十円 うれしめいわく 心おかしや)(未装幀)(原本) 九十年(棚橋)小うた(棚橋小歌は嘉忠.衡平の母、夫は新吾右衛門嘉寛、91歳で死亡) 1枚 1-75
明治17年3月 今西判左衛門紀功碑(碑文原案)(原本) 棚橋公平(朱筆が入れてある) 1枚 1-76-1
明治17年4月12日 (故西判左衛門碑文反覆拝読、後半文意冗雑ニ候間改竄に付手紙)(朱書)(原本) 本県 小崎利準から大野池田郡役所棚橋衡平宛 1通 1-76-2
明治17年4月(1日2) (故西判左衛門紀功碑碑文修正案)(朱書)(原本) (小崎利準) 1通 1-76-3
明治17年4月 今西判左衛門紀功碑(碑文修正案)(原本) (棚橋衡平) 1通 1-76-4止
○76-1〜4止は、本県 小崎利準から大野池田郡役所 棚橋衡平宛の封筒に入っていた。
自明治17年5月1日
至明治19年10月12日
(明治十七年から十九年収支取調書)(下書) 1通 1-77
(明治18年)1月25日 (林藤四郎書記後任撰挙之義、大谷.山部両名ニて御撰相成度に付手紙)(原本) 岐阜県大書記官 斯波有造から大野郡三輪村郡役所 大野池田郡長 棚橋衡平宛 1通 1-78
(明治19年か).8月16日 (新道碑文添削之義、改作申候に付手紙)(原本) (小崎)利準から棚橋(大兄)宛 1通 1-79-1
(明治19年か).9月28日 (大野池田修道之碑篆額代筆之義、碑面之位置.寸法.用紙共御一報被下に付手紙)(原本) 石川才足から棚橋衡平宛 1通 1-79-2
(明治19年か).9月29日 (道路碑篆額之義、石質硬ク石工大ニ手後レ候間、本県公御帰県之上ニテ不苦候に付手紙)(下書) 棚橋衡平から石川才足宛 1通 1-79-3
(明治19年か) (揖斐街道)修道碑(原稿)(下書) 郡長 1通 1-79-4止
○79-1〜4止は、本県上局 小崎利準から棚橋衡平宛の封筒に入っていた。
 
明治20年10月30日 (1)道路沿ヒ私有地家屋建築願(控) 棚橋衡平.奥印大野郡三輪村外七ケ村戸長 山田善助から岐阜県三輪警察署長心得警部補 広長本光宛 (1)1(2)通 1-80
明治20年10月30日 (2)允許(朱書)(控) 岐阜県三輪警察署長心得 警部 広永本光 (1)1(2)通 1-80
明治20年11月26日 (高等小学科第一年修業)証書(原本) 三輪高等小学校長 守屋浅次郎から平松宇吉宛 1通 1-81
明治20年11月26日 (尋常小学科第一年修業)証書(原本) 三輪尋常小学校訓導宇野常松から棚橋孝吉宛 1通 1-82-1
明治27年7月25日 日本地図壱部学業優等ニ付賞与ス(原本) 大阪府から天王寺尋常高等小学校高等科卒業生 棚橋孝吉宛(孝吉は棚橋衡平の三男.末子、明治31年8月9日に18才で死亡) 1通 1-82-2止
○82-1〜2止は、一括してあった。
 
明治21年4月16日 (1)(衡平儀客年骨折、熱海温泉ヘ)湯治願(原本) 岐阜県大野郡池田郡長 棚橋衡平から岐阜県知事 小崎利準宛  1通 1-83
明治21年4月16日 (2)願之趣聴許ス(原本) 岐阜県知事 小崎利準 1通 1-83
明治21年5月31日 (棚橋衡平五女鶴江葬儀)祝詞(原本) 棚橋衡平源嘉和 1通 1-84
(明治21年) (岐阜県師範校長拝命、目今教頭無之、御校近年之卒業生ヲ之レニ充テ度、左様之人物御詮議相願度に付手紙)(原本)(棚橋衡平)から山川浩.野村綱宛 1通 1-85-1
(明治21年)6月.9 (岐阜県師範校長拝命、目下教頭欠員、適任之人物御心当り有之間敷哉、御詮議被成下度に付手紙)(下書) (棚橋衡平)から久保宛 1通 1-85-2
(明治21年)6月27日 (本校教頭ニ付、俸給六十円支給ニて至急周旋相願度に付手紙)(下書) 棚橋衡平から野村宛 1通 1-85-3
(明治21年)7月.2 (本校教頭未タ其人ヲ得ス、御省編集局在勤之鈴木誠三郎ナルモノ御願致度に付手紙)(下書) 棚(橋衡平)から久(保)宛 1通 1-85-4
(明治21年)7月10日 (当校教頭之儀、一片ノ履歴書ノミニテハ詳細不明、八百円ト申ス教頭ハ当校経費ノ都合も有之、事情御考慮至急御(下書)報奉願候に付手紙)(下書) 久保宛 1通 1-85-5止
○85-1〜5止は、一括してあった。
 
明治21年7月2日 (貴校教頭之儀心当有之候処、年俸八百円希望いたし居、年額僅ニ八拾円之事、一先御相談申上候に付手紙)(原本) 文部省 野村綱から岐阜県尋常師範学校長 棚橋衡平宛 1通 1-86
(明治21年)7月24日 (本校教頭之儀ニ付、野村普通学務局長及久保視学官心得ヘ別紙之通文通仕度伺)内申(控) 第二部学務課長 棚橋衡平から長官閣下宛 1通 1-87
(明治21年)7月24日 (本校教頭ノ件御手数ヲ煩ハシタル末、会計六ヶ敷、御断申上候に付手紙)(原本) 棚橋衡平から野村(普通学務局長)宛 1通 1-88
(明治21年)7月25日 (本校教頭之儀御配神何共恐縮、高等師範校在職之田中生、年俸七百円支給ニテ御取極メ被下度に付手紙)(下書) 棚橋(衡平)から久保喜景宛 1通 1-89
明治21年8月20日 (衡平儀欠勤加養)願(原本) 岐阜県二等属 棚橋衡平(聴許指令は翌日) 1通 1-90
明治21年12月13日 (田中敬一転任之儀ニ就御礼併現今師範学校費減額他に付意見陳述の手紙)(下書) 師範学校長から椿視学官宛 1通 1-91
(明治21年)12月28日 (県下小学校設備に付意見書)棚橋学務課長から椿蓁一郎宛 1通 1-92
明治22年6月8日 (地価修正ニ付大野郡北方村地租、大野郡三輪村棚橋衡平納租額)証状(原本) 大野郡上南方村戸長 後藤勘兵衛代理筆生 駒月治右衛門から(棚橋衡平)宛 1通 1-93
明治22年6月8日 (納税)証状(控) 大野郡上南方村外四ヶ村戸長 後藤勘兵衛代理 筆生 駒月治右衛門から棚橋衡平宛 1通 1-94
明治22年6月11日 (納税)証状(控.原本各1) 大野郡三輪村外七ケ村戸長 山田善助から棚橋衡平宛 2通 1-95
明治22年9月5日 (1)(岐阜県尋常師範学校長辞職)願(下書) 棚橋衡平から内閣総理大臣 黒田清隆 (1)~(3)1綴 1-96
明治22年9月5日 (2)(兼任之儀辞職)願(下書) 棚橋衡平から岐阜県知事 小崎利準宛 (1)~(3)1綴 1-96
明治22年9月5日 (3)(辞職理由)副願(下書) 棚橋衡平から岐阜県知事 小崎利準宛 (1)~(3)1綴 1-96
明治22年9月28日 (石川、後藤郡長招待費預り証)(原本) 林逸から棚橋宛 1通 1-97
(明治22年)11月2日 (本県教育振作ノ見込ヲ以テ臨時学事取調委員ヲ撰定、改良討議中ニ有之候間、小学校令御改正ノ御見込御洩シ被下度に付手紙)(下書) 棚橋衡平から椿明府閣下宛 1通 1-98
(明治22年)11月9日 (当県ニ於テ尋常中学校ハ断然廃棄、師範校費モ非常ニ減額ノ様子、知事ニ於テ之ヲ不認可セントスル事御省ニ於テ御差支有之真敷哉に付手紙)(原本) 棚橋衡平から椿明府(山県有朋)閣下宛 1通 1-99
明治22年12月5日 (衡平儀僂麻窒斯ノ為向フ五周間療養仕度に付)御願(下書) (岐阜師範学校長 棚橋衡平宛 1通 1-100
明治2年□ (男生徒用洋服調整に付ビラ)(原本) 岐阜県尋常師範学校 附属小学校 1通 1-101
明治23年4月16日 (衆議院議員選挙名簿調製致度ニ付投票区域外地照会状)揖斐町役場から棚橋衡平宛 1通 1-102
明治24年4月6日 (平松宇吉.きし寄留届)(控) 大野郡揖斐町 棚橋衡平から大野郡揖斐町長 山口久六宛 1通 1-103-1
(明治25年2月6日)以降 (戸主棚橋衡平家戸籍写)(写) 3枚 1-103-2
明治25年3月13日 (1)(大給暢吉)出寄留届(控) 大給暢吉代印棚橋衡平から大野郡揖斐町長 山口久六宛 1通 1-103-3
明治25年3月13日 (2)(棚橋新三)出寄留届(控) 棚橋衡平から町長宛 1通 1-103-3
明治25年3月14日 (棚橋衡平三男孝吉生年月日訂正)願(控) 棚橋衡平他4人から岐阜県知事 小崎利準宛 1通 1-103-4
明治25年3月23日 (棚橋衡平.妻すみ.三男孝吉)出寄留届(控) 棚橋衡平から町長宛 1通 1-103-5止
○103-1〜5止は、かんぜよりで一括してあった。
 
明治23年4月30日 (1)所得金減額御届(下書) 岐阜県大野郡揖斐町 棚橋衡平から岐阜県大野郡長 野部義範宛 1綴 1-104
年月日未詳 (2)所得金減損額取調書(下書) 1綴 1-104
明治24年10月27日 (揖斐町大字三輪棚橋衡平宅地屋敷地図)(原本) 大野郡揖斐町大字三輪負債主 棚橋衡平宛 1枚 1-105
明治24年10月27日 (金百五拾円也)建物地所書入借用金証書(原本) 美濃国大野郡揖斐町大字三輪借用主 棚橋衡平.同町保証人 山田善助から同刻同郡清水村立木弥八郎宛 1通 1-106
明治25年3月16日 (大野郡揖斐町大字三輪地内)地所売渡証書(原本) 大野郡揖斐町三輪売渡主長柄儀助.保証人 山田善助から大野郡揖斐町三輪 棚橋衡平宛 1通 1-107
明治25年9月12日 (薬価五円六拾銭受取)証(原本) 舎監から校長宛 1通 1-108
(明治25年〜27年)6月21日 所得金高御届(控) (大阪府下)東平野町北平野 棚橋衡平(大阪府立農学校々長時代) 1通 1-109
(明治25年〜27年)6月21日 (所得金高訳明細書(控) (大阪府下)東平野町北平野 棚橋衡平(大阪府立農学校々長時代) 1通 1-110
(明治25年〜27) 送籍願(下書) 平松宇吉代印 棚橋衡平から大野郡揖斐町長 若林市太郎宛 1通 1-111
(明治26年3月10日) なしのかたえ 上(原本) 1冊 1-112
(明治26年3月10日) なしのかたえ 下(原本) 編輯兼発行人 男爵高崎正風(棚橋嘉和のこの本を入手したいわれが書かれている) 1冊 1-113
明治27年1月6日 (金八拾六円)借用金証書(原本) 大野郡揖斐町大字三輪 借用主山田善助から大阪府下東成郡平野町 棚橋衡平宛 1通 1-114
明治27年4月9日 (府立農学校長辞表奉呈に当り陳状)(控) 府立農学校長 棚橋衡平から大坂府知事 山田信道宛 1通 1-115
明治27年4月27日 (農学校長辞職願撤回願)(下書) 府立農学校長 棚橋衡平から大坂府書記官 片岡直輝宛 1通 1-116
(明治28年)5月21日 (試験事務大ニ進捗一両日間ニ終之心組並に貴下御勇退ノ趣通報ニ接シ候得共、当地停車場雑喧見送可謝絶候様に付御挨拶迄の手紙)(原本) 京都府中町竹屋町上ル 片岡方 小林新一から大阪東成郡東平野町 棚橋衡平宛 1通 1-117
明治29年7月1日 (御用候条明二日午前八時出頭可有之候也に付通知書)(原本) 会計検査院官房から棚橋新三宛 1通 1-118-1
明治29年7月2日 (給仕申付辞令)(原本) 会計検査院から棚橋新三宛(新三は棚橋衡平の次女「かん」の長) 1通 1-118-2止
○118-1〜2止は、会計検査院から棚橋新三宛の封筒に入っていた。
 
(明治29年)9月11日 (洪水見舞への礼状、九月八日から十日の名古屋市内の洪水の様子にに付手紙)(原本) 名古屋市笠松町 棚橋絢子から棚橋衡平宛 1通 1-119
明治29年9月25日 (元籍岐阜県美濃国大野郡揖斐町大字三輪棚橋衡平外5人)寄留換御届(下書) (棚橋)衡平右家主から本郷区長宛 1通 1-120
明治31年8月9日 (棚橋孝吉)死亡届(控) 東京市本郷区駒込蓬莱町 棚橋衡平から岐阜県揖斐町長 上田守善宛 1通 1-121
明治34年11月 (衆議院議員撰挙補正に付具申)(下書) 天籟老隠から椿山公閣下宛 1通 1-122
明治35年12月22日 (棚橋衡平戸籍謄本)(原本) 岐阜県揖斐郡揖斐町 戸籍吏上田守善 1通 1-123
明治37年4月29日 (金五拾円)借用金証券(原本) 債務者 揖斐郡揖斐町大字三輪 棚橋衡平.連帯債務保証人 同町同字 野中善右衛門から安八郡大垣町俵 株式会社美濃商業銀行頭取 鈴木徹宛 1通 1-124
明治37年9月19日 (別紙委任ヲ受タルに付)通知書(原本) 大垣区裁判所執達吏 林宗一から揖斐郡揖斐町大字三輪 棚橋衡平宛 1通 1-125-1
明治37年9月19日 (棚橋衡平ノ債権(ヲ弾正村堀産作ニ)質入通知書(原本) 株式会社美濃商業銀行代表取締役 鈴木徹から大垣区裁判所執達吏 林宗一宛 1通 1-125-2止
○125-1〜2止は、一括してあった。
 
明治3年秋初 (字ハ心ヲ以テ書シ楷行草以前ニ遡リテ之レヲ書クベシに付)書論(下書) 美濃天籟子棚橋□ 1通 1-126
(明治36年3月) 癸卯三月衆議院議員撰挙記事(原本) (棚橋天籟) 1通 1-127
(明治38年) (1)剛而塞彊而義彰厥有常吉哉(下書) (1)1(2)綴 1-128
(明治)9月27日 (2)(揖斐川洪水ノ説に付手紙)(下書) 老叔和(棚橋衡平)から(棚橋)一郎宛 (1)1(2)綴 1-128
(明治40年)年代 竹の繁殖.病害に付)建白(下書) (坪井伊助) 1通 1-129
明治1年.17 (一件更ニ別紙御取計奉願候に付手紙)(原本) 洪から棚橋老台宛 1通 1-130
明治5年〜10年3月15日 (会員証票愛送仕候並に本会拠金一層御配慮被下度に付手紙)(原本.木版印刷) 東京下谷区上野桜木町保晃会東京出張所から岐阜県大野郡下北方村 棚橋衡平宛 1通 1-131
年未詳.8月16日 (土木事一両日中ニハ地場出来、一郎モ来濃滞在、御料林一件多分愛整可申見込他に付手紙)(下書) (棚橋)天籟から木先生宛 1通 1-132
明治9年.26 (某を師範学校又ハ中学校之下級の英語教師ニ御採用之道ハ無之候乎、当校第四年生特別卒業ハ見合すことと致候に付手紙)(前欠)(原本) 大野謙茂から棚橋宛 1通 1-133
明治 摸刻古今印選付録(写) 東都為春庵主玄登編 南紀陶斎玉置定長梓 1册 1-134
明治 天籟棚橋先生真蹟千字文(方帖)(原本) (棚橋天籟) 1通 1-135-1
昭和22年6月19日 (棚橋衡平先生千字文由来書)(原本) 若原清渓から棚橋先生(善雄) 1通 1-135-2止
○135-2止は、135-1に挟んであった。
 
明治1年1月11日 (生命保険掛金御払込被下度に付手紙)(原本) 明治生命保険会社岐阜代理店第十六国立銀行から末広町 棚橋衡平宛 1通 1-136
(明治) 世間普通用字略(下書) (棚橋天籟) 1通 1-137
(近代) (不破ノ関案内絵図)(単色)(木版印刷) 美濃不破関月堂 1通 1-138
(明治) (姪一郎家懸壁上長三洲寒松詩幅傍有胡鬼板画常磐抱孤図歩韻咏常磐)詩稿(下書) (棚橋天籟) 1通 1-139止
2 暢吉
明治12年11月 下等小学第八級卒業候事(原本) 第三大学区京都府管内第五中学区上京第三十一組 銅駝小学から京都府寄留 大給暢吉宛 1通 2-1-1
明治13年7月 下等小学第七級卒業候事(原本) 第三大学区京都府管内第五中学区上京第三十一組 銅駝小学から大給暢吉宛 1通 2-1-2
明治13年12月 下等小学第六級卒業候事(原本) 第三大学区京都府管内第五中学区上京第三十一組 銅駝小学から京都府寄留 大給暢吉宛 1通 2-1-3
明治14年12月17日 略則下等小学第三級卒業候事(原本) 岐阜県管轄美濃国大野郡北方村 公立好逑小学校から棚橋衡平次男 大給暢吉宛 1通 2-1-4
明治16年2月17日 小学初等科第三年前期卒業候事(原本) 岐阜県美濃国大野郡北方村公立 好逑小学校から大給暢吉宛 1通 2-1-5
明治16年5月26日 小学初等科第三年後期卒業候事(原本) 岐阜県美濃国大野郡北方村公立 好逑小学校から棚橋衡平次男 大給暢吉宛 1通 2-1-6
明治16年9月30日 小学中等科第一年前期卒業候事(原本) 岐阜県美濃国大野郡北方村公立 好逑小学校から棚橋衡平次男 大給暢吉宛 1通 2-1-7
明治17年2月14日 小学中等科第壱年后期卒業候事(原本) 岐阜県美濃国大野郡北方村公立 好逑小学校から棚橋衡平長男 大給暢吉宛 1通 2-1-8
明治17年5月5日 小学中等科第二年前期卒業候事(原本) 岐阜県美濃国大野郡北方村公立 好逑小学校から棚橋衡平次男 大給暢吉宛 1通 2-1-9止
○1-1〜9止は、「暢吉其他卒業証書等一式入」とある袋に入っていた。
 
明治25年12月10日 (文学科)卒業証書(原本) 私立国民英学会から大給暢吉宛(大給暢吉は棚橋衡平の次男暢吉のこと) 1通 2-2
明治 (漢詩)草稿(下書) (棚橋)竹坡(竹坡は、暢吉の号) 1綴 2-3
明治 読書漫誌(原本) 竹山逸人(途中に「明治廿有五稔春王正月長江帰海」と有り) 1冊 2-4
(明治26年.秋) 偈松村先生墓告別而有作(下書) 1枚 2-5
明治27年末〜28初冬 (日誌名戦争に当たり)観雪記感(下書) (棚橋)暢(吉)(朱筆) 1枚 2-6
(明治27年9月).16 (和歌)詠草(原本) (棚橋)暢吉 1冊 2-7
明治27年 (和歌)詠草(下書) 大給 1綴 2-8
明治37年1月28日 (棚橋暢吉)戸籍抄本写(写) 1通 2-9-1
明治34年9月18日 (廃家ノ上入籍に付)改籍届(控) 右本人 大給暢吉.右戸主 棚橋衡平から(東京市)本郷区長 稲岡嘉七郎宛 2通 2-9-2
明治34年7月27日 (廃家)決定謄本(写) 大垣区裁判所判事 松原久之.裁判所書記 勝本平従から揖斐郡揖斐町大字三輪 大給暢吉宛 1通 2-9-3止
○9-1〜3止は、一括してあった。
 
明治34年8月1日 (棚橋衡平次男大給暢吉)廃家届(控) 揖斐郡揖斐町大字三輪 大給暢吉から揖斐町 戸籍吏 上田守善宛 1通 2-10-1
明治34年9月18日 (棚橋衡平次男大給暢吉)入家届(控) 届出人 大給暢吉.同意者 棚橋衡平から揖斐町戸籍吏 上田守善宛 1通 2-10-2
明治34年9月18日 (大給暢吉廃家許可)決定謄本(写) 大垣区裁判所判事 松原久之.裁判所書記 勝本平従から大給暢吉宛 1通 2-10-3止
○10-1〜3止は、一括してあった。
明治36年1月 (隠居棚橋衡平家督相続人従)隠居届(下書) 東京本郷区駒込蓬莱町 棚橋衡平.棚橋従から岐阜県揖斐郡揖斐町 戸籍吏 上田守善宛 1通 2-11-1
明治36年1月 (隠居棚橋衡平長棚橋従)家督相続届(下書) 東京本郷区駒込蓬莱町 棚橋従から岐阜県揖斐郡揖斐町 戸籍吏 上田守善宛 1通 2-11-2
明治36年1月 (隠居者棚橋従家督相続届人棚橋暢吉)隠居届(下書) 東京本郷区駒込蓬莱町 棚橋従.棚橋暢吉から岐阜県揖斐郡揖斐町 戸籍吏 上田守善宛 1通 2-11-3
明治36年1月 (指定家督相続届人棚橋暢吉)家督相続人指定届(下書) 東京本郷区駒込蓬莱町 棚橋従から岐阜県揖斐郡揖斐町 戸籍吏 上田守善宛 1通 2-11-4
明治36年1月 (棚橋従弟、父衡平次男棚橋暢吉)家督相続届(下書) 東京本郷区駒込蓬莱町 棚橋暢吉から岐阜県揖斐郡揖斐町 戸籍吏 上田守善宛 1通 2-11-5止
○11-1〜5止は、一括してあった。
 
(明治38年) (日清日露戦役揖斐町応徴軍人記念碑碑文原案)(下書) (棚橋暢吉写) 1綴 2-12
年月日未詳 読書録(原本) (明治40年3月から同42年藍水同声吟社の詩を含む) 1冊 2-13
自(明治41年)至(昭和11年) (詩稿帳)(表紙欠)(原本) (明治43年〜昭和8年分は書かれていない。このうちに昭和10年「梅巷女史年九十有七健甚賦呈」 1冊 2-14
近代 文章一隅(原本 印刷) 二州山人題 1冊 2-15
(明治) 明智左馬論.雷雨記他(詩文)(写) 1綴 2-16
(明治) (三傑佐漢孰優論 斎藤拙堂 他漢文)(写) 1綴 2-17
(明治) 蛍雪抄録(漢文)(写) (棚橋)竹坡 1綴 2-18
(明治) 和訳 遼陽海神伝(写) 1綴 2-19
(明治) 梅花僊契自叙(漢文)(下書) 「遼陽海神伝」の訳本第一輯の序文である。 1綴 2-20
(明治) (小説)桂の里(はしめ〜其三十)(原本) (棚橋暢吉) 3冊 2-21
(明治) (1)傍観記事(写) 1綴 2-22
(明治) (2)姫宮下らせ給ふをかなしひてよめる 大橋順蔵妻巻子 1綴 2-22
(明治) (3)夢路の日記 同人 他(歌集)(大橋順蔵(訥菴)坂下門外之変に連座死去、夢路の日記は訥菴救済に奔走した時のことを書いた詩物語 一部欠) 1綴 2-22
(明治) (和歌)詠草(下書) 大給暢吉 1通 2-23
(明治) (和歌)草稿(下書) (棚橋)竹坡 1通 2-24
(明治) 読書漫録(原本) 竹坡逸 1通 2-25
(明治) (読書録)学海一滴(原本) 竹坡逸人 1通 2-26
大正1年12月2日 池野市街及連接地申合規約書(控) 本町惣代 竹中伊三郎ほか各町惣代15人 1綴 2-27
大正2年11月 水戸浪士陣立行列覚書写(控) 棚橋 1冊 2-28
(大正3年11月) (武田耕雲斎一行和田峠合戦五十年祭に当たり、当地へ御来挙に付手紙)(下書) (棚橋暢吉)から(長野県小県郡有志者)宛 1通 2-29
(大正)9月2日 (相続者晴彦病弱ニ付管理御委頼に付)(原本) 棚橋暢吉外3人宛 1通 2-30
(大正9年)2月3日 (滞在中の御礼并無事帰坂の御礼の手紙)(原本) 小まつから姉上(棚橋寿美子)(封筒と中味は一致しない) 1通 2-31
昭和10年2月 棚橋天籟翁略歴(孔版)(原本)(印刷) 揖斐尋常高等小学校 1冊 2-32
(昭和16年12月) (田園即目.広東攻略他)課題二首(漢詩)(下書) 竹坡棚橋暢吉 1枚 2-33
(戦前か) 徳川時代(三) 武田耕雲斎揖斐泊記「筑波の嵐」 揖斐町史拾集録第八篇(原本)(ガリ版印刷) 揖斐小学校 1冊 2-34
(戦前か) 棚橋天籟略歴(表紙欠か.後欠)(孔版)(原本)(印刷) 1冊 2-35
昭和 岐阜教育会規約草案(原本)(印刷) 1枚 2-36
明治43年10月4日 (棚橋天籟葬儀 揖斐郡長)弔詞(原本) 岐阜県揖斐郡長正七位 石田安太 1通 2-37-1
明治43年10月4日 (棚橋天籟葬儀 揖斐町長弔詞)(原本) 岐阜県揖斐町長正七位 上田守善 1通 2-37-2止
○37-1〜2止は、一括してあった。
 
(明治43年10月上旬) 輓天籟先生二首(漢詩 詩稿)(原本) 雲涛連順堯 1通 2-38-1
(明治43年10月上旬) 恭挽天籟先生(漢詩 詩稿)(原本) 越□ 1通 2-38-2止
○37-1〜2止は、「鄙草」とある包み紙に包んであった。
 
(明治45年)1月18日 (棚橋天籟墓)見積書(原本) 揖斐町金事 谷村清から棚橋宛(封筒の日付は、明治45年2月16日である) 1通 2-39
(明治45年1月か) 棚橋衡平墓石正面図(原本) (棚橋暢吉か) 1通 2-40-1
(明治45年)2月3日 (天籟棚橋先生墓石製作に付問合せの手紙)(原本) 安藤四郎から棚橋暢吉宛(安藤四郎は棚橋衡平の四女たいの夫) 1通 2-40-2止
○40-1〜2止は、封筒に入っていた。
 
明治末〜大正初年 前島にあった天籟私立中学校(写真)(原本) 1枚 2-41
自明治40年3月28日至大正4年6月1日 創立以来認可書綴(原本) 天籟中学校 1通 2-42
自明治41年4月至明治42年3月 (天籟私塾)本科第一.二学年出席簿(原本) (天籟私塾教員野中善右衛門) 1通 2-43
明治43年3月 明治四拾参年参月施行学年試験成績表(原本) 天籟私塾 1通 2-44
明治43年12月 学則変更ニ付申請(下書) 揖斐郡揖斐町三輪設立者 棚橋暢吉から岐阜県知事 薄定吉宛 1通 2-45-1
明治43年12月 塾主変更ニ付申請(下書) 揖斐郡天籟私塾設立者 棚橋暢吉から知事宛 1通 2-45-2
明治43年12月9日 塾名改称ニ付開申(下書) 揖斐郡天籟私塾設立者 棚橋暢吉から知事宛 1通 2-45-3
明治43年12月 (棚橋暢吉)履歴書(下書) 棚橋暢吉 1通 2-45-4止
○45-1〜4止は、一括してあった。
 
明治44年2月 (私立天籟学校新学則)(下書) 揖斐郡揖斐町 私立天籟学校 1綴 2-46
明治44年5月21日 (天籟学校開校式岐阜県知事祝詞)(原本) 岐阜県知事正五位勳三等 薄定吉 1通 2-47-1
明治44年5月21日 (天籟学校開校式生徒惣代)祝辞(原本) 天籟学校生徒惣代竹中虎司 1通 2-47-2止
○47-1〜2止は、一括してあった。
 
明治44年5月21日 (天籟学校開校式揖斐郡長)祝詞(原本) 揖斐郡長従六位 石田安太 1通 2-48
明治44年5月21日 (天籟学校開校式揖斐町長)祝詞(原本) 揖斐町長 上田守善 1通 2-49-1
明治44年5月21日 (天籟学校開校式)祝辞(原本) 松久利一 1通 2-49-2止
○47-1〜2止は、一括してあった。
 
明治45年1月18日 (私立天籟学校校名改称并校長採用ノ件に付)(下書) 揖斐郡揖斐町三輪 私立天籟学校設立者 棚橋暢吉から揖斐郡長 石田安太宛 1通 2-50-1
明治45年1月18日 校長採用ニ付申請(下書) 揖斐郡揖斐町三輪 私立天籟学校設立者 棚橋暢吉から岐阜県知事 薄定吉宛 1通 2-50-2
明治45年1月18日 校名改称ニ付開申(下書) 揖斐郡揖斐町三輪 私立天籟学校設立者 棚橋暢吉から岐阜県知事 薄定吉宛 1通 2-50-3
明治35年1月30日 (棚橋一郎)履歴書(下書) 東京市本郷区丸山新町 棚橋一郎 1通 2-50-4止
○50-1〜4止は、かんぜよりで一括してあった。
 
(明治45年) (私立天籟中等学校学事調査書)(下書) (私立天籟中学校) 1綴 2-51
大正1年9月 私立天籟中等学校出席簿(原本) (教員 野中善右衛門.高橋文二) 1冊 2-52
大正2年1月20日 学則変更ニ付申請(下書) 揖斐郡揖斐町三輪村字下町 森佐助 私立天籟中等学校 設立者 棚橋暢吉から岐阜県知事 薄定吉宛 1綴 2-53
大正2年2月 新学年施設ニ関スル書類(原本) 天籟中等学校 1冊 2-54
大正2年12月 自大正元年十二月 至大正二年十二月 収支精算書(下書)天籟中等学校 1通 2-55
自大正3年4月至大正4年3月 束脩月謝領収簿(原本) 天籟中等学校 1冊 2-56
大正4年12月 自大正三年十一月 至同四年十二月 収支精算書(下書) 天籟中等学校 1通 2-57
大正5年12月31日 自大正五年一月 至同十二月収支精算書(下書) 天籟中等学校 1通 2-58
大正6年12月31日 自大正六年一月 至同十二月 収支精算書(写) 天籟中等学校 1通 2-59
大正7年10月 生徒名簿(原本) 私立天籟中等学校 1冊 2-60
大正8年2月1日 自大正七年一月 至同十二月 収支精算書(写) 天籟中等学校 1通 2-61
(大正) 入学者ノ区別(下書) (私立天籟中等学校) 1綴 2-62
年月日未詳 (無尽講.揖斐講寄付金名簿)(下書) 1通 2-63
昭和16年12月 (1)天籟先生.棚橋暢先生謝恩会記録(原本) 1綴 2-64
明治16年11月 (2)天籟学校入校者名簿(原本) 1綴 2-64
(昭和16年) 棚橋暢吉先生謝恩会(出欠はがき)(原本) 1枚 2-65
(昭和17年) 謝恩会決算報告(孔版)(原本)(印刷) 1通 2-66
昭和17年2月15日 (天籟学校主棚橋暢吉先生謝恩ノ会)謝恩ノ辞(原本) 弟子代表 小森俊平 1通 2-67
(昭和17年)2月15日 (棚橋天籟慰霊碑祭)祭文(原本) 門弟代表 堀太三郎 1通 2-68止
 
3 善雄.嘉明
昭和21年1月14日 昭和二十年二月二十九日 父暢吉七十五才没 昭和二十一年一月十日葬儀会葬親戚(写真)(原本) (中央が棚橋善雄) 1枚 3-1
昭和36年3月1日 揖斐高校新聞 第44号(郷土の先覚者棚橋天籟先生」の記事あり)(原本 印刷) 岐阜県揖斐川町揖斐高校 新聞部 1枚 3-2
昭和37年6月3日 故棚橋善雄追悼文集(原本)(印刷) 棚橋嘉明(棚橋善雄は嘉明の父、嘉明は棚橋衡平の曾孫) 2冊 3-3
(昭和46年2月15日) (朝日新聞昭和四十六年二月十五日号)新聞切抜(「ぎふよもやま.棚橋騒動」)(原本) 桑谷正道(棚橋善雄氏が語った梅村騒動と棚橋天籟の関係を記す) 1枚 3-4
昭和52年9月 (1)棚橋いえ先祖について(写) (1)~(3)1綴 3-5
昭和52年9月 (2)棚橋家系略図(写) (1)~(3)1綴 3-5
昭和52年9月 (3)棚橋家系略図(抄) (1)~(3)1綴 3-5
昭和53年11月 棚橋天籟顕彰碑設立についてお願い(原本)(印刷) 発起人折戸芳夫外14人 1通 3-6
昭和54年3月28日 郷土の先覚者.棚橋天籟翁(原本)(印刷) 棚橋天籟翁顕彰会編刊 1冊 3-7
昭和50年代か (棚橋天籟落款.印譜集)(法帖)(原本) 1冊 3-8
昭和50年代か 棚橋天籟印譜(原本) 1冊 3-9
戦後 (虹よ聖なれ 嘆きの刻は移るとも)句書幅(未装幀)(下書)佳明(嘉明か) 1通 3-10
 
4 嘉忠(松村).絢子.一郎
(明治15年) 母君の八十八歳の賀によみ侍りける 長寿美しかな(長歌并に反歌)(原本) (棚橋)嘉忠(母「小歌」米寿の賀) 1通 4-1
明治18年.(4月22日以降) (棚橋小歌死亡に当たり画像賛)顕妣栄松孺人画像記(下書)(棚橋嘉忠)(筆者は棚橋嘉訓ならん) 1枚 4-2
(明治24年) 詩歌((1)震災行 (2)児訓新娶賦示 (3)祝児新迎二首 (4)奉祝家兄竹荘先生新婚)(写) (1)(2)(「予出濃居尾」なる人 棚橋松村) (3)梅巷 (4)玉英((1)〜(4)は、一紙にあり) 1枚 4-3
(明治) 読春秋有感某儒生贈某烈士作書以呈桜君(原本) 棚忠(棚橋(松村)嘉忠)(奥に「桜主の都にかしまたちし給ふ時馬の鼻向に」と題する和歌が書かれている) 1枚 4-4
(明治) (和歌)詠草(原本)(下書) 嘉中 1綴 4-5
自明治30年2月26日至明治30年11月30日 地代請取証(原本) 藤谷金兵衛から棚橋一郎宛 1通 4-6
明治32年5月 (棚橋松村)首尾吟(原本)(印刷) (棚橋)嘉訓(棚橋嘉訓は、棚橋松村(嘉忠)と同絢子の長男) 1冊 4-7
明治35年7月 (棚橋一郎)履歴書(控) 本郷丸山新町 棚橋一郎 1通 4-8
(明治) 倫理講義略(下書) (棚橋一郎か)(郁文館作文用紙を使用) 1綴 4-9
昭和10年12月 棚橋絢子女史略歴(孔版)(原本)(印刷) 揖斐尋常高等小学校 1冊 4-10
昭和10年2月 棚橋絢子女史略歴(原稿)(原本) 揖斐尋常高等小学校 1綴 4-11
昭和53年2月7日 第三十七回忌法要(原本) 東京都文京区向丘 学校法人 郁文館学園 1枚 4-12止
       
5 後藤勘兵衛      
安政4年12月 (後藤子号及名命名由緒書)(下書) 栗園から棠陰宛 1通 5-1-1
安政4年12月 (後藤兄請名字及号の撰文)(原本) 棚橋春隆 1通 5-1-2
慶応2年.晩秋吉旦(9月1日) (名字撰文)(原本) 友人 棚橋和 1通 5-1-3
年月日未詳 (衡平ぬしを訪らひて他和歌二首)(後欠か)(原本) 1通 5-1-4止
○1-1〜4止は、包紙で一括してあった。
 
明治14年2月 天神楊心流死活伝(免状)(原本) 横倉喜三次政忠から後藤勘兵衛宛(横倉喜三次政忠は、新撰組の近藤勇の首を切った人である) 1通 5-2
年月日未詳 (為婦人此挙ニ立到リ候歟誠に嘆ケは敷、何卒当松吉家御買上、妻縁御配意預り度、棚橋復家之事又預ケ金御請取之内御仁考之程奉願候に付手紙)(原本) 長沢克也から柴山和太里(長沢克也と長沢芳男は同一人物か、克也28歳) 1通 5-3-1
(明治年未詳9月7日) (長沢家御世話之御礼并に拝借金返却之義不任意恐懼仕候に付手紙)(原本) 長沢克也から柴山和太里宛 1通 5-3-2
(明治年未詳)9月7日 (彼方へ引越ニ付示来劣生不始末祖先棚橋え申訳無之出隙家同人へ預ケ置、他年謝罪之上、名蹟相続方奉願候、先祖位牌は松吉方遺置候他御頼談に付手紙)(原本) 長沢から後藤宛 1通 5-3-3
明治14年1月1日 年賀状(手紙)(原本) 伊香郡木ノ本警察署在 長沢芳男から美濃国大野郡三輪村 後藤勘兵衛宛 1通 5-3-4
(明治14年)2月17日 (小生今般三等巡査ニ昇進仕候、棚橋京都府庁を辞し、帰省已後如何罷在候哉に付手紙)(原本) 近江国伊香郡木本警察署在 長沢芳男から濃州大野郡三輪村 後藤勘兵衛宛 1通 5-3-5
(明治15年)4月29日 (従来用候実印摩滅改印仕候間、本籍戸長役場へ届置度御依頼仕度に付手紙)(原本) 江州伊香郡木本村 前田久兵衛方寄留 長沢芳男から濃州大野郡三輪村 後藤勘兵衛宛 1通 5-3-6
(明治15年〜16年)5月28日 (小生同僚中改名之素志有之、不果懇願ニ付改名之手続御内洩被下度に付手紙)(原本) 近江国伊香郡木ノ本村 前田甚作方宿 長沢芳男から濃州大野郡三輪村 後藤勘兵衛宛 1通 5-3-7
(明治17年)3月29日 (去二月中妻ヲ娶り入籍為致度、別戸籍設置手続御取計之程奉願度に付手紙)(原本) 近江国伊香郡木之(本)村 岩根半四郎方 長沢芳男から美濃大野郡三輪村 後藤勘兵衛宛 1通 5-3-8
(明治17年)7月.7 (小生妻入籍之義依頼之件如何被成下候哉、本年四月中落等致残念至極ト存遂ニ巡査ヲ辞職、即今妻女旧里ニ食客罷在候間、責ては涙金相渡呉候様、棚橋ヘ御挨拶預リに付手紙)(原本) 滋賀県下犬上郡彦根下番衆町 大橋駒三郎方在 長沢芳男から岐阜県美濃国大野郡三輪村 後藤勘兵 1通 5-3-9
明治17年7月31日 (妻三輪村へ入籍之件如何御取計被成下候哉、御尋親戚ノ男官山払下之大望相企、維新後相企候水路変換一件不調再興致度棚橋ノ思考宜御取計被成下度に付手紙)(原本) 近江国蒲生郡八幡本町 馬淵俊兵衛方 長沢芳男から濃州大野郡三輪村 後藤勘兵衛宛 1通 5-3-10
(明治17年)9月30日 (水路変換開削事件及官山払下等之出願条件に付棚橋へ御相談之上御賢考之程御依頼仕度に付手紙)(原本) 長沢芳男から後藤勘兵衛宛 1通 5-3-11
明治17年10月23日 (本月四日便ヲ以奉願上候川筋変換開削事件ヘノ御賢考並びに、棚橋トノ証書.屋敷地一件御取扱方依頼に付長文手紙)(原本) 滋賀県蒲生郡八幡慈恩寺町 外村甚四郎方 長沢芳男から岐阜県美濃国大野郡三輪村 後藤勘兵衛宛 1通 5-3-12
明治17年10月24日 (本月廿二日付水理一件、上申手続に付恩返事被下度に付手紙)(原本) 滋賀県蒲生郡八幡慈恩寺町 外村甚四郎同居 長沢芳男から美濃国大野郡三輪村 後藤勘兵衛宛 1通 5-3-13
(明治17年)11月10日 (過般恩依頼一件書類一先恩返戻被下度に付葉書)(原本) 滋賀県蒲生郡八幡慈恩寺町 外村甚四郎同居 長沢芳男から美濃国大野郡三輪村 後藤勘兵衛宛 1通 5-3-14
明治18年7月21日 (棚橋へ預ケ金及預ケ屋敷地代金御受取被下候様奉願上候、警察署再勤後勉励罷在候暑中御窺旁御依頼迄に付手紙)(原本) 近江国蒲生郡八幡慈恩寺町 外村甚四郎方 長沢芳男から美濃国大野郡三輪村 後藤勘兵衛宛 1通 5-3-15
明治19年8月2日 (十七年末奉願置候棚橋え預ケ置屋敷一件、代金大兄之御尽力ニ預リ度併愚夫相当之扶役方御願致度に付手紙)(原本) 滋賀県蒲生郡八幡新町 先伊島治兵衛方寄留 長沢芳男から濃州大野郡三輪村 後藤勘兵衛宛 1通 5-3-16
明治19年11月24日 (愚妻送籍何卒可然御取計被下度、小生父母棚橋、小生妹之安否に付尋ねの手紙)(原本) 滋賀県蒲生郡八幡玉木町 山野吉松方同居 長沢芳男から濃州大野郡三輪村 後藤勘兵衛宛 1通 5-3-17
明治20年1月5日 (寄留届書葉書ニて可然哉、役場之都合如何有之候哉御照会之上御返報奉願度に付手紙)(原本) 滋賀県蒲生郡市辺村 西村利左衛門方 長沢芳男から濃州大野郡三輪村 後藤勘兵衛宛 1通 5-3-18
明治21年1月6日 (愚妻送籍何卒可然御取計被下度、小生父母棚橋、小生妹之安否に付尋ねの手紙)(原本) 近江国栗田郡綣村 美藤勇雄方 長沢芳男から美濃国大野郡三輪村 後藤勘兵衛宛 1通 5-3-19
(明治21年)4月.3 (小生警察署勤務之近況、棚橋ヘ預地之代金取方一層ノ御配神ヲ願度に付手紙)(原本) 近江国栗田郡綣村 美藤勇雄方 長沢芳男から美濃国大野郡三輪村 後藤勘兵衛宛 1通 5-3-20
明治21年6月10日 (御依託一件、棚橋氏岐阜県師範学校ヘ転任、四.五月中東京ヘ出張、五月末長女死亡葬式等多大の失費有迚も本年中は如何共難致に付返事手紙)(下書) (後藤勘兵衛)から(長沢芳男)宛 1通 5-3-21
(明治22年12月頃) (後藤勘兵衛の職歴、長沢芳男の父母の墓碑、棚橋衡平の役職他に付手紙の下書)(下書) (後藤勘兵衛)から(長沢芳男)宛 1通 5-3-22
明治23年1月1日 年賀状(手紙)(原本) 滋賀県栗田郡笠縫村内下村 長沢芳男から濃州大野郡三輪村 後藤勘兵衛宛 1通 5-3-23
明治23年9月23日 (寄留届書葉書ニて可然哉、役場之都合如何有之候哉御照会之上御返報奉願度に付手紙)(原本) 江州犬上郡彦根町字中組西町 西川小三郎貸家借同居 長沢芳男から濃州大野郡三輪村 後藤勘兵衛宛 1通 5-3-24
(明治23年)11月7日 (棚橋之預地一件先般帰国之際御配神ヲ煩シ候共至急之運ヒニハ難相成、路頭ニ立場合ニ付、棚橋方貸付呉候か妹方養女一件ヲ以テ本月末金円出来候様御配神奉願上候に付手紙)(原本) 犬上郡彦根町字中組西町 長沢芳男から濃州大野郡三輪村 後藤勘兵衛宛 1通 5-3-25
(明治23年)11月20日 (製餡事業断念、豆腐商着手之計画ニて転宅準備之処示談金盗難ニ罷リ、荊妻昨朝気絶不能動、不能食、不如死ト思考仕候、何卒棚橋方ヘ救援御請求被下度に付手紙)(原本) 江州犬上郡彦根町字中組西町 長沢芳男から濃州大野郡揖斐町 後藤勘兵衛宛 1通 5-3-26
(明治23年)11月27日 (妹方之養女之談御取捨被下度、小生夫婦病中ニて困却候間、棚橋方預地今一回貴酬被成下度屈指奉待望に付手紙)(原本) 江州犬上郡彦根中組西町 長沢芳男から美濃国大野郡揖斐町 後藤勘兵衛宛 1通 5-3-27
(明治23年)11月27日 (拙者助力之余地無之相断ルヨリ外ナキ次第ナレ共先方非常之困難之訳柄、証明書ヲ入レ約束年内ニ金五円、来年六月迄月々三円ツヽ、相贈候様可致に付手紙)(原本) 棚橋衡平から後藤勘兵衛宛 1通 5-3-28-1
(明治24年)3月.3 (長沢ヘ送付之金三円二月分、乍恐延引為持差出候、御郵送可被下也)(原本) 棚橋衡平から後藤勘兵衛宛 1通 5-3-28-2
(明治24年)3月24日 (長沢ヘ送金当月分金三円也、可然御取計可被下に付手紙)(原本) (棚橋衡平)から後藤(勘兵衛)宛 1通 5-3-28-3-1
(明治24年)4月27日 (金三円右長沢へ送金、当月分、御受領可被下に付手紙)(原本) 棚橋衡平から後藤勘兵衛宛 1通 5-3-28-3-2止
○3-28-3-1〜2止は、「金三円在中」とある封筒に入っていた。
 
(明治24年)5月25日 (金六円右ハ長沢芳男ヘ送金五六月分、但、先方ヘ遣し置候証書返却申遣し可被下に付)(原本) 棚橋衡平から後藤勘兵衛宛(「金六円」とある封筒に入っていた) 1通 5-3-28-4止
○3-28-3-1〜4止は、一括してあった。
 
(明治23年)11月29日 (棚橋方金一件、妹方養女一件に付、御配神御尽力之御礼、尚養育料増額掛合に付手紙)(原本) 犬上郡彦根中組西町長沢芳男から濃州大野郡揖斐町 後藤勘兵衛宛 1通 5-3-29
(明治23年)12月9日 (棚橋方金件、妹方養女之件、難有拝誦、妹方養女此書着次第出発致呉候様御取計ニ預り度に付手紙)(原本) 江州犬上郡彦根中組西町 長沢芳男から後藤勘兵衛宛 1通 5-3-30
(明治23年)12月16日 (棚橋方預ケ地代価五円領収、妹方残金棚橋方預金一纏ニ相成候様御示談之程奉願候に付手紙)(原本) 長沢芳男から後藤勘兵衛宛 1通 5-3-31
(明治24年)1月.1 (棚橋方妹方養女に付、御配慮の御礼、小生就職の件前途心細キ仕合御推察被下度他に付手紙)(原本) 犬上郡彦根中組西町 長沢芳男から美濃国大野郡揖斐町 後藤勘兵衛宛 1通 5-3-32
(明治24年)1月25日 (御母公様御遠逝之御悔、御令妹様病気見舞い、棚橋方御厚配之御礼他に付手紙)(原本) 江州犬上郡彦根中組西町 長沢芳男から濃州大野郡揖斐町 後藤勘兵衛宛 1通 5-3-33
(明治24年)2月.2 (棚橋方金件、妹方小児之件、不浅御配神之お礼就産之義弐月十日迄ニは赴任之運ニ致呉候筈、棚橋方贈金依頼他に付手紙)(原本) 犬上郡彦根中組西町 長沢芳男から濃州大野郡揖斐町 後藤勘兵衛宛 1通 5-3-34
(明治24年)2月15日 (今月一日付之書留御回金受領、銅山或ハ代書夫是取続ニ可相成候得共今暫時実ニ困難故棚橋方回金御配神奉学候に付手紙)(原本) 江州犬上郡彦根中組西町 長沢芳男から後藤勘兵衛宛 1通 5-3-35
(明治24年)2月22日 (貰受候小児大病、棚橋方金件三月分繰上、御贈金被下度に付手紙)(原本) 長沢芳男から後藤勘兵衛宛 1通 5-3-36
(明治24年)3月.7 (棚橋之送金遅延ト相成、荊妻昼夜芋植ニ従事僅ニ弐銭五厘位之収入ニて糊口ヲ凌居次第、毎月五日頃ニは御回贈度に付手紙)(原本) 江州犬上郡彦根中組西町 長沢芳男から美濃国大野郡揖斐町 後藤勘兵衛宛 1通 5-3-37
(明治24年)4月30日 (棚橋ヨリ之月賦金領収蘇生之感覚ヲ相発シ候、地所建物登記之本出版致度、賢考に伺に付手紙)(原本) 長沢芳男から後藤勘兵衛宛 1通 5-3-38
(明治24年)5月11日 (銅山之件、北海道ニ於テ大見込有之、本月末過出発之趣候間、棚橋方之金本月来月分共御贈被下度御配神奉願上候に付手紙)(原本) 長沢芳男から後藤勘兵衛宛 1通 5-3-39
(明治24年)6月24日 (棚橋方金件、何卒両月分御取纏御回金被成下度に付手紙)(原本) 長沢芳男から後藤勘兵衛宛 1通 5-3-40
(明治年未詳).10月14日 (棚橋えの預ケ金同様相渡不呉儀ト予想セラレ候間、御切迫之御示談被成下度に付手紙)(原本) 長沢芳男から後藤勘兵衛宛 1通 5-3-41
(明治年未詳).10月22日 (先般御依頼ノ金件、仮令半額ナリ共御請求被成度、并菓子用の餡ハ御地ニおゐてハ如何ナル景況ニ御座候哉に付手紙)(原本) 長沢芳男から後藤勘兵衛宛 1通 5-3-42止
○3-1〜42止は、「棚橋長沢断縁一件来翰入」とある袋に入っていた。
 
6 絵画.書幅.短冊類
明治28年1月 名和長年帝ヲ船上山ヘ奉スル図(日本画 着色)紙本(原本) 1枚 6-1-1
明治28年9月 (玄宗皇帝と楊貴妃)(日本画.紙本)(写) 孝吉(未完成.失敗作) 1枚 6-1-2
年月日未詳 (黒鯉.赤鯉図)(日本画.着色.紙本)(原本) 1枚 6-1-3
年月日未詳 (馬の手綱を踏む巴御前)(日本画.着色.紙本)(原本) 1枚 6-1-4
年月日未詳 (馬上の加藤清正)(日本画.着色.紙本)(原本) 1枚 6-1-5
年月日未詳 (白河関の源義家)(日本画.着色.紙本)(原本) 1枚 6-1-6
年月日未詳 (沓をささげる張良)(日本画.着色.紙本)(原本) 1枚 6-1-7
年月日未詳 (弓削已道鏡と和気清麻呂)(日本画.着色.紙本)(原本) 1枚 6-1-8
年月日未詳 (如意輪堂の楠木正行)(日本画.着色.紙本)(原本) 1枚 6-1-9
年月日未詳 (中国二十四孝の内 老母に乳を与える図)(日本画.着色.紙本)(原本) 1枚 6-1-10
年月日未詳 (馬上の足利尊氏)(日本画.着色.紙本)(原本) 1枚 6-1-11
年月日未詳 (武将図)(墨絵)紙本(原本) 1枚 6-1-12
年月日未詳 (武将図)(墨絵)(紙本)(原本) 1紙に4図描かれている。 1枚 6-1-13
年月日未詳 (武将図)(墨絵)(紙本)(原本) 1紙に3図描かれている。 1枚 6-1-14
年月日未詳 (武将図「腹巻ニ袖付タル図」)(墨絵)紙本(原本) 1枚 6-1-15止
(昭和4年) 画短冊(水墨画.梅花図)(原本) 九十一歳 梅巷絢(棚橋絢) 1枚 6-2-1
(昭和7年) 色絶(「寿」)(原本) 九十四 梅巷絢(棚橋絢)(まくり) 1枚 6-2-2
(昭和11年) 扇面(名月.水墨画)(原本) 九十八歳 梅巷絢(棚橋絢)(まくり) 1枚 6-2-3
(昭和11年) 画幅(水墨画.蒼松飛燕)(原本) 九十八歳 梅巷絢(棚橋絢)(まくり) 1枚 6-2-4
年月日未詳 和歌短冊(「語らひし きのふハ夢かまほろしに みゆるもはかな 君か面かけ」)(原本) 絢子(まくり) 1枚 6-2-5
年月日未詳 書画幅(水墨画)(原本) 東山左辺(黙雷)棚橋絢画 1枚 6-2-6止
壬午(明治15年)1月 画幅(柚子.蓮根.慈姑.着色)(原本) 半□ 1枚 6-3-1
壬午(明治15年)8月 (松邨兄大嬬人八十八寿辰に付)画幅(松石不老図.水墨画.未装幀)(原本) 三洲長□(まくり) 1枚 6-3-2
明治15年.夏 水墨画(「秋叢繞舎似陶家」)(原本) 南涛 1枚 6-3-3
壬午(明治15年).夏 画幅(「落渓桃柳知春否.試擲金孫得(鮭)魚」図)(原本) 南涛 1枚 6-3-4
(明治15年) 詩画幅(梅花図.呈棚橋大夫人寿筵」五言絶句.未装幀)(原本) 得庵 1枚 6-3-5
明治28年9月 容斎老人京美人ノ図(日本画 着色 紙本)(写) 1枚 6-3-6
己亥(明治32年).新秋(9) (自賛)画幅(「三面楼開貯仙気四囲北聳列屏風」図.着色)(原本) 於有秀閣上 湘東 1枚 6-3-7
年月日未詳 自賛詩画幅(七言絶句.白鷺図)(原本) 天籟 1枚 6-3-8
年月日未詳 画幅(蟹図.着色)(原本) 七十翁 篁村 1枚 6-3-9
年月日未詳 画幅(「古木修堂滴石栽、歳寒同志絶知林」図)(原本) 鴻堂 1枚 6-3-10
年月日未詳 画幅(白鷺.着色)(原本) 春嶂 1枚 6-3-11
年月日未詳 画幅(春蘭図.水墨画)(原本) 柏舟賛(印文は天籟) 1枚 6-3-12
年月日未詳 (児島高徳)(日本画 着色 紙本)(原本) 楓湖 1枚 6-3-13
年月日未詳 (大蛇に笛の音を聞かせる武士)(日本画 着色 紙本)(原本) 容斎 1枚 6-3-14
近代年月日未詳 鯉(水墨画)(原本) 春輝 1枚 6-3-15
年月日未詳 画幅(秋草図.着色)(原本) (まくり.この画落款を欠く、双幅の片方ならん) 1枚 6-3-16
年月日未詳 水墨画(松.未装幀)(原本) (棚橋)翠雲(棚橋すみ)(まくり.棚橋すみは棚橋衡平の妻) 1枚 6-3-17
年月日未詳 (水墨画(幽谷佳人図.未装幀)(原本) 雲峡(まくり) 1枚 6-3-18
年月日未詳 画幅(「花王者」.着色.絹本)(原本) 楳綾外3人 1枚 6-3-19止
丙寅(慶応2年か).春 扇面(日本画.梅に椿.着色)(原本) 南認(まくり) 1枚 6-4-1
庚午(明治3年).蒲(5) (自賛)扇面(木犀に雀.着色)(原本) (山田)訥斎(まくり) 1枚 6-4-2
戊子(明治21年).新正(1) (七言絶句)扇面(千歳蒼松)(原本) 青江(まくり) 1枚 6-4-3
乙未(明治28年).夏 (自賛)扇面(水墨画.菊花)(原本) 六十三老□岡(まくり) 1枚 6-4-4
庚子(明治33年).遺冬 扇面(水墨画.春蘭)(原本) 真巖(まくり) 1枚 6-4-5
甲寅(大正3年).秋 扇面(南画着色.秋季群果図)(原本) 静村(まくり) 1枚 6-4-6
年月日未詳 (七言絶句)扇面(原本) 湘雲生(まくり) 1枚 6-4-7
年月日未詳 扇面(飛燕.着色)(原本) 桂園(まくり) 1枚 6-4-8
年月日未詳 (五言絶句自賛)扇面(蟹と瓜.着色)(原本) 天籟(まくり) 1枚 6-4-9
年月日未詳 扇面(西郷南洲翁遺訓)(原本) 羽陽鶴ヶ岡 是則(まくり) 1枚 6-4-10
年月日未詳 扇面(水墨画「渓□漁帰」)(原本) □善(まくり) 1枚 6-4-11
年月日未詳 扇面(「為菊老嫗」(原本) (この文書印文あるも作者未知.まくり) 1枚 6-4-12止
(明治15年) 和歌短冊(「竹によせて棚橋大人の母君の八十八の寿をよろこひてよめる」)(原本) 献(まくり) 1枚 6-5-1
(明治15年) 詩書短冊(「咏鶴奉祝棚橋母堂米符寿誕」.五言絶句)(原本) 山中献(まくり) 1枚 6-5-2
(明治15年) 和歌短冊(「棚橋ぬしかははの君の八十八になり給ふをことほくとて」(原本) 清臣(まくり) 1枚 6-5-3
(明治15年) 和歌短冊(棚はし大人の賀に)(原本) 正義(まくり) 1枚 6-5-4
(明治30年1月) 詩書短冊(「明治三十年丁酉歳旦」.七言絶句)(原本) (棚橋天籟)(まくり、この短冊作者名を欠く。筆跡より判ずるに棚橋天籟のものであろう)) 1枚 6-5-5
年月日未詳 和歌短冊(「わかるとも なにはの海の またの日の 又もあひ見む 事をのみこそ」)(原本) 年治(まくり) 1枚 6-5-6
年月日未詳 画短冊(水墨画.菊)(原本) 杏村(まくり) 1枚 6-5-7止
(明治14年) 和歌短冊(「池田.大野両郡たる大長を祝す」)(原本) 野津為之助 信友 1枚 6-6-1
(明治15年) 和歌短冊(棚橋御老母の年賀に花遐年友といふによせて」)(原本) 京都大宮七条上ル住 駒沢格理 1枚 6-6-2
(明治15年) 和歌短冊(「濃州北方村棚橋老女米賀」)(原本) 錦宝町 古川梅雅 1枚 6-6-3
(明治15年) 和歌短冊(「米賀」.濃州北方村棚橋老母)(原本) 胡蝶園夢也(西京七条通大黒町 松井為右衛門) 1枚 6-6-4
(明治15年) 和歌短冊(「棚橋ぬしの賀に」)(原本) のちせ 1枚 6-6-5
(明治15年) 和歌短冊(「棚橋氏八十稔賀」)(原本) 八千代 1枚 6-6-6
(明治15年) 和歌短冊(「棚橋氏の老嫗八十賀に」)(原本) 下河原宗匠笠美蔭 1枚 6-6-7
(明治15年) 和歌短冊(「棚橋君の八十歳ニなりせたまひけるによみて奉る」)(原本) 七十翁 東主 1枚 6-6-8
(明治15年) 短冊(「棚橋御氏の御老母米寿ニ成給へるを祝してよめる狂歌」)(原本) 千々久弥々也郎就 1枚 6-6-9
(明治31年) 和歌短冊(「棚はしの君の嫡子東京へものまなひにゆきて二とせはかりになりにけるか、去年の冬病にわつらひてみまかりたまひぬときゝてよめる」)(原本) 如鱗 1枚 6-6-10
庚戌(明治43年).秋 七言絶句短冊(「成風追悼故天籟老先生」)(原本) 昆山 1枚 6-6-11
(昭和6年) 和歌短冊(「楠公」)(原本) 九十三 絢子 1枚 6-6-12
年月日未詳 和歌短冊(原本) 嘉中 1枚 6-6-13
年月日未詳 和歌短冊(原本) (嘉中) 1枚 6-6-14
年月日未詳 和歌短冊(「遠山霞」)(原本) 茂里 1枚 6-6-15
年月日未詳 俳句短冊(「棚橋氏題す」)(原本) 八千代 1枚 6-6-16
年月日未詳 和歌短冊(原本) 普輔 1枚 6-6-17
年月日未詳 俳句短冊(「追吟」)(原本) 1枚 6-6-18止
丁丑(明治10年).元旦 書幅「長楽万年」(原本) 艸園道人 1枚 6-7-1
(明治15年) 句書幅(「棚橋大孺人の八十八の賀を祝ひ奉りて.其人も斯くこそあらめ 雪の不二」(原本) 小幡篤二 1枚 6-7-2
明治丙戌(19).春初 書幅(「花魯公戒甥男之詩」)(原本) 天籟(まくり) 1枚 6-7-3
癸卯(明治36年).晩秋 書幅(「十三字)(原本) 担斎 1枚 6-7-4
年月日未詳 書幅(「送家弟礼仲帰故国」.七言律詩)(原本) (棚橋.松村)嘉忠(まくり) 1枚 6-7-5
年月日未詳 詩幅(七言絶句)(原本) 天籟 1枚 6-7-6
年月日未詳 書幅(「松花伴鶴飛」」)(原本) 雪堂(岡田釧) 1枚 6-7-7
年月日未詳 書幅(「情高意真」)(原本) 六十七翁担斎 1枚 6-7-8
年月日未詳 書幅(七言絶句.未装幀)(原本) 松江女史 1枚 6-7-9
年月日未詳 書幅(「花魯公戒甥男之詩」)(原本) 篁邨 1枚 6-7-10
年月日未詳 書幅(教育勅語)(原本) 暁光 1枚 6-7-11
年月日未詳 書幅(五言絶句.四海春風)(原本) 七十翁知道(まくり) 1枚 6-7-12
年月日未詳 書幅(五言二行)(原本) 炳 1枚 6-7-13
年月日未詳 書幅(七言絶句)(原本) 淡海の狂耕雲生 山田耕雲(まくり) 1枚 6-7-14
年月日未詳 書幅(七言絶句「丹州途上口号」)(原本) 聴雨居士(まくり) 1枚 6-7-15
年月日未詳 書幅(七字二行.未装幀)(原本) 為法院文雄(南条文雄) 1枚 6-7-16
年月日未詳 書幅「歳寒知松柏」(紙本)(原本) 万里居士 1枚 6-7-17
年月日未詳 書幅(王維作「鹿柴」.未装幀)(原本) 七十四叟 芳洲 1枚 6-7-18
年月日未詳 書幅(「笑」)(原本) 歳寒庵主 1枚 6-7-19
年月日未詳 禅語書幅(「喫茶去」.未装幀)(原本) 歳寒庵主 1枚 6-7-20
年月日未詳 書幅(「南無釈迦牟尼仏」.未装幀)(原本) (歳寒庵主) 1枚 6-7-21止
近代.年月日未詳 (啄投之額面其外乗興試一揮申候に付手紙)(まくり)(原本)国重(正文)から棚橋(衡平) 1枚 6-8-1
明治年未詳.8月21日 (此度西上候ニ月てハ得拝話候事も可有之と相考楽しみ居候処、去ル十五日之御書翰之趣にてハ御病気ニて御込り之様子云々に付手紙)(原本) (中村)正直から棚橋(衡平)宛 1枚 6-8-2
明治年未詳.9月11日 (高司家盆栽売却之件、小生四五日前帰坂.芳翰後レテ拝見出京調ハス、回報延引奉謝に付手紙)(原本) 棚橋先生宛 1枚 6-8-3
近代.秋.22 (時候御伺之印迄粗菓拝呈に付手紙)(下書) 1枚 6-8-4
近代年未詳.12月1日 (君の御陰ニテ亀山の柵の守り神をス、誠に難有に月口上書)(原本) 茂□から棚橋宛 1枚 6-8-5
近代年未詳.12月15日 (先日は御管内三册御誘引万謝.大輔殿ト御礼申入度御咄も申入候ヘ共残念.小子義ハ本日より神戸え出張に付手紙)(原本) 堀川康隆から棚橋(衡平)宛 1枚 6-8-6
年未詳.12月1日 (「法主帰山ハ岩公ノ申諭ニヨル」トノ電報東京より申越候に付手紙)(原本) 緘蔵から棚橋先生宛 1枚 6-8-7止
 
7 裏張り文書
林家宛
明治15年12月21日 (塩代請取申候に付)記 (原本) 桑名川口町 塩問屋平左衛門からイビ岡嶋 林治助宛 1通 7-1-1
明治16年3月9日 (塩代受取申候に付記)(前欠)(原本) 桑名川口町 塩屋平左門から林治助宛 1通 7-1-2
明治16年3月21日 (塩代受取)記(一部欠)(原本) 塩屋平左門から林治助宛 1通 7-1-3
近世か.12 (代金引合)覚(原本) こんや惣助から林三右衛門宛 1通 7-1-4止
松岡五兵衛宛.松岡梅井宛
午.12月 (さし下駄他代受取申候に付)覚(原本) ひし屋九右衛門から曽根五兵衛宛 1通 7-2-1
午.12月 (かわを他代相済申候に付)覚(原本) あぶらや甚右衛門から松岡五兵衛宛 1通 7-2-2
午.12月 (代金受取)覚(前欠、一部欠)(原本) 山口屋与三蔵から松岡五兵衛宛 1通 7-2-3
申.11月15日 (御払米入札触)(中欠.後欠)(原本) 伊尾 庄屋から清水 古田茂之進外5か所8人宛 1通 7-2-4
申.11月15日 御払米入札触(原本) 伊尾 庄屋から大垣林 山田善吉.同 伊藤弥兵衛.神戸 米屋御衆宛 1通 7-2-5
申.11月15日 (御払米入札触)(前欠)(原本) 伊尾 庄屋から清水 古田繁之進外5か所8人宛 1通 7-2-6
酉.6月1日 (上ケ輪.下ケ輪御蔵米落札主覚)(一部欠か)(写) 1通 7-2-7
酉.12月7日 (醒ヶ井宿助郷引合相成候ニ付来ル十三日三輪村ヘ御集会可被成下候様御頼申上候に付案内手紙)(後欠)(下書) 三輪村 1通 7-2-8
戌.6月27日 (払米入札触書)(中欠)(写) 御米方から三輪村役人中宛 1通 7-2-9止
曽根屋松岡清右衛門宛
(午).6月18日 (代金引合兼受取)覚(原本) 市場 宇吉からイヒ中町 松岡清右衛門宛 1通 7-3-1
(午).9月6日 (代金引合兼受取)覚(原本) 宇吉から松岡清右衛門宛(受取日は未二月二日) 1通 7-3-2
午.12月 (生掛代受取申候に付)覚(後欠)(原本) 大仁から松岡清右衛門宛 1通 7-3-3
午.12月 (高田行他代請取申候に付覚)(前欠)(原本) 大津屋清右衛門から曽根屋清右衛門宛 1通 7-3-4
午.12月 (米つき代相済申候に付覚)(前欠)(原本) 車屋武兵衛から松岡清右衛門宛 1通 7-3-5
午.極 (印形箱請取)覚(原本) 大岡屋源左衛門から松岡清右衛門宛 1通 7-3-6
午.12月 (傘代受取申候に付)覚(原本) 三国屋茂兵衛から曽根屋清右衛門宛 1通 7-3-7
午.12月 (代金受取申候に付)覚(原本) 亀甲屋長兵衛から曽根屋清右衛門宛 1通 7-3-8
午.12月 (刻.守他代受取申候に付)覚(原本) 木綿や嘉衛から松岡清右衛門宛 1通 7-3-9
午.12月 (代金請取申候に付)覚(原本) 揖斐 山口屋三蔵から松岡清右衛門宛 1通 7-3-10
午.12月 (代金相済に付)覚(原本) 綿や左七から松岡清右衛門宛 1通 7-3-11
午.12月 (仏直し他代請取申候に付)覚(原本) いけたや和兵衛から松岡清右衛門宛 1通 7-3-12
午.12月 (宮しけ他代相済)覚(原本) ゑひすや与兵衛から松岡清右衛門宛 1通 7-3-13
午.12月 (小袖紛他代請取申候に付)覚(原本) 蔦屋重兵衛から松岡清右衛門宛 1通 7-3-14
午.12月 (粉他代請取申候に付)覚(原本) かしはや文七から松岡清(右)衛門宛 1通3-16 7-3-15
午.12月 (代金相済)覚(原本) 松屋弥作から松岡宛 1通 7-3-16
午.12月 (代金受取申候に付))覚(原本) 大丸屋円蔵から松岡清右衛門宛 1通 7-3-17
午.12月 (大半他代相済申候に付)覚(原本) □□屋和助から曽根屋清右衛門宛 1通 7-3-18
午.(12) (高田行弐包他代相済)覚(原本) 飛脚外市から松岡清右衛門宛(一部) 1通 7-3-19
未.4月27日 (切はり代受取申候に付覚)(前欠)(原本) 鳶治老門から清右衛門宛 1通 7-3-20
未.5月12日 祭礼割合(受取書)(原本) 上新町 世話人から曽根屋宛 1通 7-3-21
さる.10月9日 (佐藤行状ちん他代すみ申候に付覚)(原本) たつ永からそね屋宛 1通 7-3-22
酉.7 (代金引合)覚(原本) 長州屋忠蔵から曽根屋御見せ宛 1通 7-3-23
年未詳.正.晦日 (おけとふ代受取申候に付)覚(原本) 長しまや忠蔵から曽根屋清右衛門宛 1通 7-3-24
年月未詳.4月 (当廿一日当地神事ニ語座候に付御案内手紙)(原本) 安東兵治から松岡清右衛門宛 1通 7-3-25
近世6年.17 (昨日御内願申上候金子之義御聞済可被下候様奉願上候に付手紙)(原本) 岩井屋治蔵から松岡清右衛門宛 1通 7-3-26
年未詳.6月26日 (新助郷御請負金為持遣シ候に付手紙)(原本) 脛永村 坪井幸助から伊尾御庄屋 松岡清右衛門宛(この本文と宛所の繋がりは推定による) 1通 7-3-27
年未詳.6月.晦 (米今俵御渡被下度に付手紙)(原本) 林八兵衛から松岡清右衛門宛 1通 7-3-28
年未詳.7月5日 (随原五左衛門講一条に付今日墨桜迄御集会被下度候に付手紙)(原本) 墨桜ニて 松尾半左衛門から松岡清右衛門宛 1通 7-3-29
近世1年0.5 (代品物御帰し可被下候に付)覚(原本) 伊尾本町 かみや新十郎から曽根屋御見世衆宛 1通 7-3-30
年未詳.10月22日 (助郷一条諸入用割賦之砌墨支払之内間違ニて云々に付手紙)(下書) 松岡清右衛門から三間茂平治宛 1通 7-3-31
近世1年0.5 (先境五兵衛様えも御頼置候家之儀御貸付被下候様奉願上候.大坂当年延米取引右之通ニ御座候に付手紙)(原本) 仁平から松岡宛 1通 7-3-32
近世1年0.25 (白玉.豆弐品代請取)覚(一部中欠.後欠)(原本) 曽根屋店からお筆宛 1通 7-3-33
年未詳.11月26日 (村方清蔵酒造一件御地頭様へ御届可申段宜敷御願申上候に付手紙)(原本) 安兵衛から三輪村 御庄屋 松岡清右衛門宛 1通 7-3-34
年未詳.□.15 (雪踏他代受取書)(原本) 上町 聞右衛門組中から松岡□右衛門宛 1通 7-3-35
年月日未詳 (渡辺元一企講明日開講之趣、御勝手方御持口之内を御振向ニ相成候、牛嶋方茂兵衛へ落籤之訳ニ相成候様御談し被遣候様被成度に付手紙)(後欠)(原本) 広田平作から松岡清左衛門宛 1通 7-3-36
年月日未詳 (戸ノ御ほひ代相済み申候に付)覚(原本) 新町 治郎右から庄や 清右衛門宛 1通 7-3-37止
 
松岡元助宛
明治15年11月30日 (米代金三拾五円此ものニ御渡シ可被下候様奉希望に付手紙)(原本) 上[ ]からイヒ 松岡元□宛 1通 7-4-1
明治15年11月30日 (塩.生汁此使ひへ御渡被下度に付)(原本) □(高)橋三喜允から曽根□元助宛 1通 7-4-2
明治16年1月16日 (米弐拾俵籠ばし新車やへ御渡し可被下候に付)記(原本) 池田やから松岡元助宛 1通 7-4-3
明治16年1月16日 (米三拾俵七間町車やへ御渡し可被下候に付)記(前欠)(原本) 池田やから松岡元助宛 1通 7-4-4
明治16年1月16日 (溜り.生汁注文)記 (原本) 谷汲山 会計課から曽根屋宛 1通 7-4-5
明治16年1月18日 (米三拾俵極楽寺車やへ御渡し可被下候に付)記(原本) 池田やから松岡元介宛 1通 7-4-6
明治16年2月 (代金引合)記(原本) 米屋太助店からイビ 曽根屋元助宛 1通 7-4-7
明治16年3月3日 (勘定之義ハ川さけ迄御頼上奉候.たまり壱本トしを壱俵林之横山常三郎迄御送り可下候に付)口上(原本) 池田郡川上村 神谷弥八からみわ中町 曽根元助宛 1通 7-4-8
明治16年4月9日 (塩)贈り状(後欠)(原本) 伊勢国桑名川口町 塩問屋平左衛門からイヒ そね屋平左衛門宛 1通 7-4-9
(明治24年) (新太平記ハ漸失望.夢見之里之紫影生は文科大学弐年生なる藤井乙男君ニ御座候に付手紙)(前欠)(原本) (豊田定一郎)から(松岡元助)宛 1通 7-4-10
辰.7 (絹糸四十三匁壱円かい他引合)記(原本) 神田屋和[ ]から曽根屋宛 1通 7-4-11
未.2月12日 (代金受取申上候に付)(原本) 柏太から松岡元助宛 1通 7-4-12
未.2月27日 (〆高受取)証(原本) 墨利店から松岡元家宛 1通 7-4-13
未.2 (丁ちん他代受取申候に付証)(原本) 多芸郡船付 松菱屋から松岡宛 1通 7-4-14
午.11月12日 (みそ他代受取書)(後欠)(反故) 曽根や店から□はら源兵衛宛 1通 7-4-15
午.11月28日 (大豆廿四俵受取書)(反故) 揖□ 曽根や店から脛永栄助宛 1通 7-4-16
午.冬 (にしめ代引合)記(原本) 三輪屋平三郎から曽根屋御内男衆宛 1通 7-4-17
年未詳.1月13日 (金壱円弐拾銭北方村裕吉ニ取かへ可被下候に付口上書)(原本) 西組 中村仁太夫からイビ 曽根屋宛 1通 7-4-18
年未詳.1月26日 (味噌ニ樽此者ニ売渡し被下候に付口上書)(一部欠)(原本) 北方 森本忠輔から伊尾 曽根屋宛 1通 7-4-19
年未詳.1月30日 (玉子代受取申候に付)記(原本) 指□屋□十郎から元助宛 1通 7-4-20
年未詳.2月17日 (浅ぎ染風呂敷染上注文書)(地欠)(下書) 曽根屋店 利七から中町 山口新三宛 1通 7-4-21
年未詳.2月28日 (借り分手間代差引金差上申候に付)覚(原本) 大工職 文左衛門から松岡元助宛 1通 7-4-22
年未詳.3月5日 (代金引合)記 (原本) 莨や藤吉からそね屋宛 1通 7-4-23
年未詳.4月1日 (下宿は泉町河合方ニ決定仕候に付手紙)(原本) 岐阜市泉町 河合煙草店 細野常三郎から松岡元助宛 1通 7-4-24
年未詳.4月13日 (先般御願申置き候件まだ相分らず候哉に付口上書)(原本) ほそのから松岡宛 1通 7-4-25
年未詳.6月30日 (利金差上申候に付)記(一部欠)(原本) 米屋吉衛から松岡元助宛 1通 7-4-26
年未詳.8月16日 (生け五升注文記)(一部欠)(原本) 華厳寺 会計課から曽根屋店宛 1通 7-4-27
年未詳.8月17日 (此人え上溜り弐升御かし渡し被下度候に付)記(原本) 宗宮周庵からイビ 松岡元助宛 1通 7-4-28
年未詳.8月30日 (芳松氏ニ関する金子之件御断なし被下度に付手紙)(原本) 杉山吉松から松岡元助宛 1通 7-4-29
年未詳.9月2日 (拾円御かし被下度に付手紙)(原本) 大野定松から松岡元助宛 1通 7-4-30
年未詳.9月12日 (島の住所は神田区裏神保町敬業社方に御座候に付手紙)(原本) 定一郎から元助宛 1通 7-4-31
年未詳.9月12日 (若原伊助死亡に付手紙)(原本) 岡部から松岡宛 1通 7-4-32
年未詳.9月15日 (味噌樽代請取申候に付)記(原本) 樽屋勝二郎から曽根屋宛 1通 7-4-33
年未詳.9月16日 (味噌三樽此者エ御とシ可被下候に付)記ス(原本) 池田郡中鶴見村 富永惣太郎から伊尾 中町曽根屋元助宛 1通 7-4-34
年未詳.10月2日 (味噌樽代引合)記(原本) 樽屋勝□郎からイビ 曽根屋宛 1通 7-4-35
年未詳.10月7日 (紺布代請取)記(原本) 大垣竹嶋 角屋市三から曽根屋宛 1通 7-4-36
年未詳.10月21日 (手拭他代請取)記(原本) 揖斐 寿し九から松岡.服部宛 1通 7-4-37
年未詳.11月23日 (講会案内)記(原本) 横谷喜太郎講世話方から松岡元助宛 1通 7-4-38
年未詳.11月29日 (味噌市荷此者エ御渡ニ預り度に付口上書)(一部欠)(原本) 池田郡鶴見村 富永惣太郎から大野郡三輪村 曽根屋宛 1通 7-4-39
年未詳.11月30日 (大豆代金此者ヘ御勘定可被下候に付口上書)(原本) 伊尾本町 曾野屋喜兵衛から松岡元助宛 1通 7-4-40
年未詳.12月2日 (溜.味噌.塩此者御遣御頼申上候に付)(原本) 森前林兵之□ 1通 7-4-41
年月未詳.10月 (主人弟米次郎義中源え罷出貴殿御招待可仕之候処折悪敷に付手紙)(原本) 立川から服部宛 1通 7-4-42
年月日未詳 (たまり二升此人ヘ御とし被下候に付口上書)(原本) 吉太から曽根屋宛 1通 7-4-43
年月日未詳 (味噌壱荷請取申候に付)記(原本) 広セ 仁太夫から伊尾 曽根屋宛 1通 7-4-44
年月日未詳 (允文「松岡店代理利七」印の印影)(原本) 岐阜笹土居町 文林堂 1通 7-4-45止
宛先不明分
明治26年2月19日 (先般貴君御懇談之処檀家惣代之拙者種々運動仕候ヘ共思様ニモ賛成不能に付手紙)(原本) 大野郡横蔵村 森本から池田郡池野村 小倉常右衛門.古沢為治郎宛 1通 7-5-1
子.10月25日 (り壱分相渡スに付)覚(原本) 丸久から小兵衛宛 1通 7-5-2
年未詳.2月18日 (代金弐円差引)覚(原本) 清四郎から上宛 1通 7-5-3
年未詳.8月20日 (六ノ井村ヘ中筋りゃうけけんしゃう殿子息ニていしゃ殿御出被成候間御知らセ申上候に付手紙)(原本) 中村より 五十川伝左衛門から竹中林右衛門宛 1通 7-5-4
年未詳.10月4日 (追風一升代相済み申候に付)覚 池田屋彦兵衛から女人講御連中宛 1通 7-5-5
年未詳.10月7日 (大和紺かすり他)分失心覚(後欠)(原本) 中十 1通 7-5-6
年未詳.10月9日 (餅米代.つきちん受取申候に付)覚(原本) 佐野屋藤兵衛から上町女人講御連中宛 1通 7-5-7
年未詳.10月.□ (代金受取書)(前欠)(原本) すや左右衛門から女人講宛 1通 7-5-8
年未詳.11月18日 (代金請取申候に付記)(原本) 綿□から上宛 1通 7-5-9
年未詳.□.28 (御懸金被遣可被下候に付手紙)(原本) 全昌寺納所から□興寺宛 1通 7-5-10
年月日未詳 (印形之義に付後藤兵衛より柴山司え之来状之切抜)(写) 1通 7-5-11止
○1-1〜5-11止は、同一裏張の中から出てきたものである。
 
イビ上新町 大野庄六家文書
(明治45年)9月21日 (かり金差引不足引合)記(原本) 大野庄六から大野弘平宛 1通 7-6-1
年月日未詳 (荷札)(下書) 美濃揖斐町上新町 大野庄六から東京芝三田四国町 吉田太三郎宛 1通 7-6-2
年月日未詳 (荷札)(下書) ミノイビ町イビ上新町 大野庄六から東京芝三田四国町 吉田太三郎宛 1通 7-6-3
年月日未詳 (本年ハ私義徴兵験査ニ当リ、去ル九日験査をすましたですがに付手紙)(下書) 1通 7-6-4
年月日未詳 (金子借用御用取り下され度に付手紙)(下書) 1通 7-6-5
年月日未詳 (梅吉様と僕とハ悪エン深く関係を結び云々に付心情手紙)(下書) 1通 7-6-6
年月日未詳 (御病状如何御座候哉に付手紙)(下書) 1通 7-6-7止
 
桑名屋新六宛受取書
子.7 (はけ他代受取)覚(原本) 生田屋重蔵からイヒ 紺屋新六宛 1通 7-7-1
子.12月 (代金引合)覚(原本) 池田屋松兵衛から桑名屋新六宛 1通 7-7-2
子.12月 (代金受取申候に付)覚(原本) [ ]からこんや新六宛 1通 7-7-3
子.12月 (梅汁代引合)覚(原本) 東ノ兵蔵からイヒ こんや新六宛 1通 7-7-4
子.12月 (おり針代相済済)覚(原本) かじや惣助からこんや新六宛 1通 7-7-5
子.12月 (大のやよりつヽみ他代受取申候に付)覚 大津屋征門から桑名屋新六宛 1通 7-7-6
子.12月 (のぼり壱反半他代引合書)(下書) 桑名屋新六から小野村 □□宛 1通 7-7-7
子.12月 (手たらい他代差引相済)覚(原本) おけや治兵衛から中町 紺屋新六宛 1通 7-7-8
子.12月 (染代引合)覚(下書) 桑名屋新六から嶋村弥右衛門宛 1通 7-7-9
子.12月 (代金受取)覚 橘屋十左衛門から伊尾 桑名屋新六宛 1通 7-7-10
子.12月 (はけ他代請取申候に付)覚 (原本) 生田屋重蔵からイヒ 紺屋新六宛 1通 7-7-11
子.12月 (白木綿他代差引)覚(原本) 軒ばヤ半兵衛から桑名や新六宛 1通 7-7-12
子.12月 (やかん代受取申候に付)覚(原本) なべ屋源蔵からこん屋新六宛 1通 7-7-13
子.12月 (うどん他代受取申候に付)覚(原本) かしわや文七から中町 こんや新六宛 1通 7-7-14
子.12月 (みづ釘代相済)覚(原本) かじや五郎右衛門からこんや新六宛 1通 7-7-15
丑.12月大晦 (代金受取)覚(地欠)(原本) 尾[ ]から伊尾 紺屋新六宛 1通 7-7-16
丑.12月 (黒火鉢差引済申候に付)覚(原本) 綿屋伊八から桑名屋新六宛 1通 7-7-17
丑.12月 (うどん他代受取申候に付)(原本) かしわや文七から中町 こんや新六宛 1通 7-7-18
丑.12月 (しほり九尺弐寸他代差引相済申候に付)覚(原本) 軒ばヤ半兵衛から桑名ヤ新六宛 1通 7-7-19
□.(12) (炭五俵他代引合)覚(天欠)(原本) 市場 彦兵衛から□ひ中町 桑名屋新六宛 1通 7-7-20
午.7 (のり粉他代相済申候に付)覚(原本) 油屋武右衛門から中町 山口新六宛 1通 7-7-21
午.7 (代金相済□□に付)覚(原本) 平蔵からくわなや新六宛 1通 7-7-22
午.7 (白帳代受取申候に付)覚(原本) 三国屋茂兵衛から紺屋新六宛 1通 7-7-23
年未詳.(12) (こたつへり直し代相済)覚(原本) 中町 佐兵衛から新六宛 1通 7-7-24止
 
桑名屋新三郎宛.桑名屋宛名不明分宛
酉(嘉永2年)7月 (莨他代申受候に付)覚(原本) 木綿や嘉兵衛から山口新三郎宛 1通 7-8-1
子.12月 (代金受取申候に付)覚(原本) 山形□三郎右衛門から桑名ヤ新三郎宛 1通 7-8-2
子.12月 (大のや手紙他代相済申候に付)覚(原本) 飛脚半四郎から桑名屋新三郎宛 1通 7-8-3
子.12月 (大ふのり他代受取申候に付)覚(原本) お[ ]甚右衛門から桑名屋新三郎宛 1通 7-8-4
子.12月 (白玉他代差引済)覚(一部天欠)(原本) 坂井屋善三郎から桑名屋新三郎宛 1通 7-8-5
子.12月 (たばこ他代受取申候に付)覚(原本) 木綿や嘉兵衛から山口新三郎宛 1通 7-8-6
子.12月 (わらび縄他代請取)覚(原本) 尾張屋惣右衛門から中町 桑名屋新三郎宛 1通 7-8-7
子.12月 (松茸代請取申候に付)覚(原本) 大黒屋徳右衛門から紺屋新三郎宛 1通 7-8-8
子.12月 (白米.わた他代受取申候に付)覚(原本) 綿屋平九郎からくわなや新三郎宛 1通 7-8-9
子.12月 (大のヤ手かみ他代受取申候に付)覚(原本) 飛脚外市からこんや新三郎宛 1通 7-8-10
子.12月 (小さは他代相済申候に付)覚(原本) いとや平兵衛から桑名ヤ新三郎宛 1通 7-8-11
子.12月 (かき代相スミ申候に付)覚(原本) わたや喜右衛門から桑名屋新三郎宛 1通 7-8-12
子.12月 (かんさし他代受取申候に付)覚(原本) 池田屋藤七から桑名屋新三郎宛 1通 7-8-13
子.12月 (あげ他代受取申候に付)覚(原本) 市田屋甚兵衛から桑名屋新三郎宛 1通 7-8-14
子.12月 (代金引合)覚(原本) 升屋忠兵衛からくわなや新三郎宛 1通 7-8-15
子.12月 (杉野村おいと様手紙行他代受取申候に付)おほへ(原本) 下町作治郎からこんや新三郎宛 1通 7-8-16
子.12月 (代金受取)おほへ(原本) たるヤ鉄治から丁新三郎宛 1通 7-8-17
子.12月 (木綿代請取申候に付)覚(原本) かみや喜兵衛からくわなや新三郎宛 1通 7-8-18
子.12月 (手間代他相済)覚(原本) 卯介から新三郎宛 1通 7-8-19
子.12月 (餅米.あつ紙他代受取)覚(原本) もめんや嘉兵衛から桑名屋新三郎宛 1通 7-8-20
子.12月 (手紙他代引合)覚(原本) 大垣弥平次から桑名屋[ ]宛 1通 7-8-21
うし.12 (拾九匁九分九厘受取書)(原本) 山弥惣七から山口新三郎宛 1通 7-8-22
丑.12月 (豆腐代受取申候に付)覚 市田屋甚兵衛から桑名屋新三郎宛 1通 7-8-23
丑.12月 (御取かへ差引済)覚(原本) な□□増吉からこんヤ新三郎宛 1通 7-8-24
丑.12月 (杉柱壱本代他相済)覚(原本) 唐みや平□から山口新三郎宛 1通 7-8-25
丑.12月 (とふかん代相済)覚(原本) いとや平兵へから桑名ヤ新三郎宛 1通 7-8-26
丑.12月 (〆高請取申候に付)覚(原本) なべ藤から桑名や新三郎宛 1通 7-8-27
丑.12月 (代金差引)覚(地欠)(原本) おハリ屋惣□□□から中町 桑名屋新三郎宛 1通 7-8-28
丑.12月 (大豆他代差引済)覚(原本) 綿や半九郎から桑名屋新三郎宛 1通 7-8-29
丑.12月 (とふなつ他代受取申候に付)覚(原本) かしや宗五郎から□しかくや新三郎宛 1通 7-8-30
うし.12 (代金相済申候に付覚)(前欠)(原本) 材木や喜三治から□んや新三郎宛 1通 7-8-31
丑.12月 (〆代引合)覚(原本) □□屋伊兵衛から中町 紺新様内 伝弥宛 1通 7-8-32
丑.12月 (すいか他代引合)覚(原本) 綿屋喜右衛門から桑名屋新三良宛 1通 7-8-33
午.7 (手間代他引合)覚(原本) 大工甚兵衛から桑名屋新三郎宛 1通 7-8-34
年未詳.12月 (ちりめん他代受取申候に付)覚(原本) 大垣俵町 井筒屋丈吉から大野屋御取次宛 1通 7-8-35
年月日未詳 (藤七芝居行割合他〆銭引合)覚(原本) □[ ]から桑名ヤ新三郎宛 1通 7-8-36止
 
坂井屋善三郎宛受取書
たつ.12 (まんしゅう代不足)覚(原本) とらヤ理右衛門から中町 坂井屋善三郎宛 1通 7-9-1
辰.12月 (鉄ひん直し他代引合)覚(原本) なべ湯源蔵から坂井屋善三郎宛 1通 7-9-2
ミ.7 (おかま他代請取)覚(原本) なべ屋源蔵から坂井屋善三郎宛 1通 7-9-3
巳.7 (キズどふさ直し他代受取申候に付)覚(原本) 松や弥治□から坂井屋善三郎宛 1通 7-9-4
ミ.7 (するめ他代相すみ申候に付)覚(原本) いや平兵ヘから坂井や善三郎宛 1通 7-9-5
ミ.7 (玉子他代請取申候に付)覚(原本) 近江屋五助からさかゐや善三郎宛 1通 7-9-6
巳.7 (代金引合)覚(原本) 岩井屋□蔵から堺屋善三郎宛 1通 7-9-7
巳.7 (さけぶた他代請取申候に付)覚(原本) とふみや平蔵から坂井屋善三郎宛 1通 7-9-8
ミ.7 (かせ他代請取申候に付)覚(原本) くわ名や新六からイ(ヒ) 堺屋善三郎宛 1通 7-9-9
巳.7 (六分板他代受取申候に付)覚(原本) 桂屋甚助から中町 坂井屋善三郎宛 1通 7-9-10
ミ.7 (代金相済)覚(原本) 紙屋吉右衛門から坂井屋善三郎宛 1通 7-9-11
ミ.7 (小刀他代請取申候に付)覚(原本) かじヤ久兵衛から坂井屋善三郎宛 1通 7-9-12
巳.7 (代金相すみ)覚(原本) あふらや惣五郎から坂井や善三郎宛 1通 7-9-13
年月日未詳 消息手紙(原本) こく御存からさかい屋御内かた宛 1通 7-9-14止
 
高井料平家文書
子.12月 (小袖代相済)おほへ(原本) 下町 善兵衛から高井宛 1通 7-10-1
亥.7 (長板他代内金受取書)(前欠)(原本) とふみや平蔵から高井良平宛 1通 7-10-2
年未詳.2月8日 (御取集メ被下度に付手紙)(天欠)(原本) 見堂松尾半右衛門から□井徳斎宛 1通 7-10-3
年未詳.2月8日 (此頃は存外之大地震御地は無難ニ御座候や.今日谷口揚花之所大雪ニて延引ニ相成候間当方玉彦玉東河原ニて打揚申候に付手紙)(下書) 龍平 1通 7-10-4
年未詳.花(3).25 (魚甚元手金三両拝借仕度且三州隆助遊来仕候間御遊来奉願上候に付手紙)(原本) 柴山千山から高井恭斎宛 1通 7-10-5
年未詳.5月1日 (過日より御願申上置候黄氏之儀此ものへ向ケ拝借被仰付被下候様奉願上候に付)(原本) 渡辺元一から高徳斎宛 1通 7-10-6
年未詳.5月2日 (恩借金上納渡之義先五両御受取可被成下候に付手紙)(原本)の三から高井様御勝手方内宛 1通 7-10-7
年未詳.5月6日 (此者え御両金拝借被仰付被下候様奉願上候に付手紙)(原本)伊尾 高井料平から沢邨 所次八宛 1通 7-10-8
年未詳.6月5日 (山陽控塩之儀に付手紙)(原本) 松亭から龍平宛 1通 7-10-9
年未詳.菊(9).13 (県令岩田様御止宿等殊之外操動いたし候間度々旅行抔いたし候ハ不宣御勘考有之度候に付手紙)(前欠)(原本) 高井松亭から高井龍平宛 1通 7-10-10
年未詳.四極(12).24 (松閣氏より道兄様之壱盃相被出候儀は如何哉に付手紙)(原本)渡辺元一から高井料平宛 1通 7-10-11
年月未詳.9月 (丸薬KALOMEY.バップヌリ薬に付)(原本) 孝松亭主人から長松館御主人宛 1通 7-10-12
年月未詳.10月 (道家氏之三両弐三歩之利足丈ケ差出し可申候様御申遣し可被下候に付)口上(原本) 大岩から高井宛 1通 7-10-13
年月未詳.23月 (魚屋新兵衛え五六両御猶通相願度に付書状)(原本) 千山から料子宛 1通 7-10-14
年月日未詳 (兼て之ゲル此ものへ御かし渡し被下候様ほう願上候に付手紙)(原本) 貞亨居士から徳斎先生宛 1通 7-10-15止
 
その他諸家宛
子.9月29日 あい覚(原本) 樒平村 多左衛門から外津汲村 治太夫宛 1通 7-11-1
年未詳.7月25日 (只今より御遊びに御入らセ被下度に付手紙)(原本) 銀から松岡(元助)宛 1通 7-11-2止
○6-1〜11-2止は、同一裏張から出て来たものである。

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