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興福地遺跡

興福地遺跡(こうふくじ)

所在地

大垣市興福地町(おおがきしこうふくじちょう)
地図<外部リンク>

時代

平安時代、鎌倉時代

西地区第1面
調査地近景西地区第1面(東から撮影)

東地区第2面
調査地近景東地区第2面(南から撮影)

発掘状況

 興福地遺跡が立地する杭瀬川と揖斐川にはさまれた微高地上には、奈良時代から鎌倉時代の遺跡が点在しています。当遺跡は過去に1度発掘調査が行われており、奈良時代と平安時代末から鎌倉時代初頭の掘立柱建物が各1棟確認され、須恵器・灰釉陶器・山茶碗等の遺物が多数出土しています。今回の調査でもほぼ同じ時期の遺構、遺物が出土しており、古代から中世前半にかけての活発な活動がうかがえます。今回の発掘調査区は、南北に走る養老鉄道によって東西に分かれており2面の調査を行っています。西地区では掘立柱建物1棟、掘立柱塀6列等が、東地区では掘立柱建物2棟、柵2列、井戸3基等が確認され、出土遺物の95%が東地区から出土しています。第1面が平安時代末から鎌倉時代初頭、第2面が平安時代前期と考えています。

西地区第1面の柱穴群(平安時代末から鎌倉時代初頭)

西地区第1面
西地区第1面(西から撮影)

 西地区からは多数の柱穴が検出されました。柱穴は南北方向と東西方向に並ぶものがあり、掘立柱塀(ほったてばしらべい)であると考えています。柱の痕跡が直径約30cmと大きいものも3基確認されていますが、柱列は調査区の北へ続くため全容は明らかではありません。建物か門になる可能性が考えられます。

東地区第1面の井戸(平安時代末から鎌倉時代初頭)

SE3遺物出土状況
SE3遺物出土状況(北東から撮影)

 東地区からは掘立柱建物2棟のそばから井戸3基を発見し、居住域の一部を確認しました。3基のうち2基が平安時代末から鎌倉時代初頭のもので、そのうちの1基SE3から完形の山茶碗32点、と下駄や笊(ざる)、扇子の骨などの木製品が出土しました。埋め井の祭りに使用した道具をまとめて埋めています。

井戸のまなこ

SE3出土小型片口壷の画像
SE3出土小型片口壺

小型片口壷出土状況
小型片口壺出土状況(南から撮影)

 SE3の完形の山茶碗の中には美濃須衛産の口径約10cmの小型片口壺がありました。口縁部を故意に打ち欠いており、神様のために準備した壺です。井戸を使用している時は井戸の底にあり、井戸の神様の住まいとしていたようでこれを井戸の「まなこ」といいます。古くから奈良県や石川県等で出土例が知られています。小型片口壺は一般集落からはあまり出土することのない特注品と考えられており、県内の消費地では柿田遺跡、野笹遺跡から、生産地では稲田山16号窯、船山北3号窯から出土しています。

井戸の底から出土した扇子の骨

SE3出土扇子の骨1
SE3出土扇子の骨

扇子の骨出土状況
扇子の骨出土状況(南から撮影)

 SE3の底から扇子(紙扇)の骨が3本出土しました。井戸の底には、扇子の骨を含む6本の細長い木片がありました。これらは埋め井の祭りで結界を張るための斎串(いぐし)として使用したもので、使用後に井戸に埋められたようです。3本のうちの2本は親骨という扇子の外側に付く厚みのあるもの、1本は中骨で上端に墨で文字が6文字ずつ両面に書かれています。文字は解読できませんでしたが斎串として使用した際に書かれたものと考えています。扇子の骨は長さ約30cm、幅が約1cm、厚みが3~5mmあります。扇の出土は、県内では柿田遺跡(可児市・可児郡御嵩町)の檜扇1枚と扇子1本と杉崎廃寺跡(飛騨市)の檜扇1枚があります。扇は屋敷跡や役所跡、寺院跡など一般集落ではない遺跡から出土しており、この遺跡もそのような施設であったと考えられます。

東地区第2面の井戸(平安時代前期)

SE1出土状況
SE1検出状況(北から撮影)

SE1井戸枠出土状況
SE1井戸枠出土状況(北から撮影)

 鎌倉時代の井戸のそばから、木で作られた曲物(まげもの)を井戸枠にした井戸SE1を検出しました。井戸枠は曲物を3段に積み重ね、高さが約60cmあります。灰釉陶器が出土していることから、平安時代前期のものと考えています。

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