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知事記者会見(平成30年4月10日)

記事ID:0017788 2018年4月13日更新 広報課 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示

平成30年4月10日(火曜日)15時30分

司会

 お待たせいたしました。
 それでは、発表項目の1つ目としまして「国際見本市『ミラノ・サローネ』への出展」に関する共同記者会見を開催いたします。
 この記者会見には、多治見市長、古川雅典様。瑞浪市長、水野光二様。土岐市長、加藤靖也様にご出席いただいております。

 また、本日は、ミラノ・サローネに出展される幸兵衛窯デザイナー、佐藤雅子様。深山代表取締役、松崎英之様。芳泉窯代表取締役、北邑宜丈様。以上の皆様にお越しいただいております。
 本日の会見全体の終了後、皆様3名様から作品に関するご質問にお答えいただく予定でございます。よろしくお願いいたします。

 進行につきましては、最初に知事から事業の概要について、お話しをいただき、その後、各市長より、一言ずつお話しをいただく予定でございます。
 その後、各市長、出展者の皆様、知事との写真撮影を予定しております。最後に質疑応答をする時間を設定しております。それでは、知事、よろしくお願いいたします。

知事

 まず、国際見本市「ミラノ・サローネ」への出展について、私の方から概略を申し上げさせていただきます。4月の17日、来週の火曜日から22日、日曜日まで、イタリアのミラノで開催されます世界最大級の国際見本市であります、デザインの祭典とも称されます「ミラノ・サローネ」に、三年連続3回目の出展を、岐阜県としてするわけでございます。今回「CASAGIFU」、これは日本語で「岐阜の家」という意味でありますが、「CASAGIFUIII」と題しまして、「東濃の陶磁器」をテーマとして、多治見市、瑞浪市、土岐市と協働して出展するということになりました。各市長さん方にもお越しいただいておりまして、後ほどお話をしていただくことにしております。
 まず、この「ミラノ・サローネ」でございますが、ミラノの街全体が、いわば展示会場となるというような盛況を呈しておりまして、会期中は30万人もの世界の各国からのデザイン関係の方々で賑わうということでありまして、「岐阜ブランド」を世界に売り込むうえでは、絶好のチャンスではないかと考えております。
 一昨年、1回目の出展は「美濃和紙」、「飛騨の木工家具」、昨年の2回目は「関の刃物」をテーマといたしまして、岐阜県の匠の技とそれから海外デザイナーの持つ優れたデザイン性が融合した新しい開発商品をお出ししたわけでありますが、各国のバイヤー、ディストリビューター、メディア等々から高い評価を得たところでございます。
 今回3回目でございますが、世界の名だたる企業がブランドイメージを競うというこの展示会におきまして、最も人気の高いエリアと言われておりますミラノ中心街のブレラ地区にありますギャラリーを丸ごと岐阜県としては借り切って展示を行うことにしております。
 出展のための商品開発、あるいは出展そのものにつきましては、スイスのデザイナーでありますパトリック・レイモン氏が代表を務めておりますアトリエ・オイ社にプロデュースをお願いしております。具体的には、アトリエ・オイ社と、多治見市の幸兵衛窯、瑞浪市の深山、土岐市の芳泉窯の東濃の陶磁器企業3社とアトリエ・オイとが新たに開発をいたしました陶磁器のアロマ・ディフューザー3社3商品をメインとして展示をいたします。この、前に置かれているのがそれでございますが、これまた後ほどお話をうかがいます。
 このうち、パッケージ開発まで完了している芳泉窯の商品については、ミラノの会場にて50個限定販売を行うことにしておりますし、幸兵衛窯と深山の商品につきましてはプロトタイプを展示いたしまして、来場したバイヤー、ディストリビューターと商談を行うということになっております。
 この他に、レイモン氏との交流を通じまして、幸兵衛窯の代表取締役であり、自身が陶芸家でもあります加藤亮太郎氏が特別に制作いたしました、アートピースとしてのアロマ・ディフューザー1作品も展示をいたします。加えて、「東濃の陶磁器コレクション」と銘打ちまして東濃の陶磁器企業からの公募によりまして、レイモン氏が選考した10社、38商品を展示することにしております。
 初日の17日でございますが、夕方5時から、「GIFUNIGHT」と称しまして、オープニング・レセプションを現地で開催することにしております。
 このレセプションでは、メディア、ディストリビューター、バイヤー、デザイナー等々150名をお招きすることにしておりまして、招待客の皆さまに、岐阜県の魅力を感じていただこうということでございます。以上が概略でございます。
 このあと、今回の出展に関する陶磁器産地からの期待という点で、各市長さんからお話をお願いしたいと思います。

多治見市長

 まず、始めに知事及び私ども3市の市長が付けておりますピンバッジでございます。今NHKで行っております「半分、青い。」、「ひがしみの」の地域を日本中に発信をするというようなことで、多治見の幸兵衛窯のデザイン、製作でこうしたピンバッジを付けています。国内の市場だけでは美濃焼の状況のなかでは、かなり限界を感じております。しかし、世界の市場に目を転じてみれば、まだまだビジネスのチャンスはいっぱいある。こういうようなことをしっかりイタリアに行って、私ども3市の市長が美濃焼のトップセールス、そのための基礎的なデータ、あるいは、どういったものが気に入られるのか、というようなことをしっかり調査をするということが今回の大きなミッションでございます。もう一つは、2020年に行われます第12回の「国際陶磁器フェスティバル美濃」、これについてもいろんな情報をこのミラノで収集をする。そして第12回の「国際陶磁器フェスティバル」の成功につなげる。こういった2つの大きな目的をもって、今回3市の市長が、同時に知事と一緒にイタリアに入ります。

瑞浪市長

 ただいま、古川市長もお話しされましたように、われわれ美濃地域の美濃焼でありますが製造メーカーが瑞浪市にもたくさんあるわけでございますが、海外への販路開拓ということで、以前から取り組んでまいりまして、フランクフルト、パリ等への国際見本市、最近では、香港へのハウスウェアショーなどに出展をさせていただいております。これから陶磁器産業として、大きく成長して行くためには海外へ販路開拓をしないと生きる道はないだろうということから、取り組んできておりますけれども、このたび、古田知事のお計らいによりまして、陶磁器を「ミラノ・サローネ」で発信していただけるという大変すばらしいチャンスをいただくことができました。瑞浪にあります鋳込み製造では、トップメーカーであります株式会社深山さんの技術力と、そしてアトリエ・オイのすばらしいデザイン力がコラボいたしまして、このような陶磁器製のアロマ・ディフューザーが完成したわけでございます。この作品は、木製の羽がついておりますけれども、これは残念ながら陶磁器では製造が難しかったものですから中津川市にあります加子母森林組合のヒノキを材料といたしまして、この羽をつくっていただいております。いわば、瑞浪のこのオイは、このすばらしい製品は、「ひがしみの」の地場産業の技術が結集して完成した製品ではないだろうかと、そんなふうにも期待しておりまして、ミラノでは世界各国の皆さんから高い評価をいただけるものと期待しております。このミラノでは大きなチャンスといたしまして世界に発信していければと思っておりますので、よろしくお願いいたします。ありがとうございました。

土岐市長

 このたび、岐阜県及びアトリエ・オイの協力を得て「CASAGIFUIII」に参加できますことを大変嬉しく思います。美濃焼は実は日本の生産量の一番を誇っておりまして、特色が無いといわれますが、実は特色が無いんじゃなくて、あらゆる技術に対応できると認識しております。生産される製品群も非常に多様性に富んでおりまして、技術力も非常に高いと思っておりまして、世界に美濃焼の良さを発信できる絶好の機会であると認識しております。土岐のほうからは、芳泉窯さんが出展をされます。実際、作品を作る現場を見させていただきましたが、非常に苦労しておられました。実はこれはですね、ちょっと変わった粘土を使っておりますが、私では説明できませんので、また製作者がちゃんと説明すると思いますが、非常に苦労したと聞いておりますが、これも美濃の技術力の一端であるかなと思います。最後になりますけれども、この「CASAGIFUIII」が成功しますとともに、今後、美濃焼全体の励みになることを期待しております。

司会

司会
 ありがとうございました。ここで記念撮影をお願いします。

 <記念撮影>

 元の席にお戻りいただけますでしょうか。
 では、ここで質疑応答をお願いいたします。

記者

 「ミラノ・サローネ」への出展が3年連続で3年目ということなんですが、3年連続で出すことの苦労があったのかどうかということと、3年目に向けての意気込みと、それと、結果としては3年1単位のものなのか、今後も続けて行くようなものか、その辺の見通しもお願いします。

知事

 どういうことになるかということで、慎重に反響を見守ってきたのが1回目でして、スイスのアトリエ・オイ社と組んで、まずは、1回目は美濃和紙の本美濃紙がユネスコの世界無形文化遺産になったこともございまして、本美濃紙、木工家具をとりあげていただいたんですけれども、思いのほか好評でありまして岐阜県の伝統産業、地場産業のすぐれたものを、もう少し続けてやってみようということで、去年は、ヨーロッパは刀剣ブーム、刃物ブームでありますので、そういったことも念頭におきながら、関の刃物を中心にしまして、これまた刀剣とそれからアトリエ・オイ社の鞘と柄の皮のデザインが独特のものがありまして、6,000人ほどの方々が訪れて色々とご評価いただいたということでございまして、こうなると次は当然、陶磁器に目が行くわけでありまして、アトリエ・オイ社が東濃に入って、各窯の皆さんとも話をしてですね、コンセプトを考え、選び、今回「CASAGIFUIII」ということで、だいたいこれで一巡した感がありまして、今後は評価の高かったものをどういうふうに、商品として売り出していくかという商品戦略の方にいくんではないかと思いますけれども、来年どうするかは、まずは、今年の結果を見ながら判断をしたいと思います。当然3回で一巡したからやめるというわけではありませんけれども、ひとまわりしてきたところで、一度総括をする必要があるのかなという感じもしております。それから、ミラノでよかったとうことだけに終わらないような、そのフォローアップもそれぞれやってきておりまして、特に美濃和紙なんかは一種の凱旋展示会ということで、東京でやったり岐阜でやったりですね、「ミラノ・サローネ」での評価を踏まえて美濃和紙のロゴの発表を世界5都市で同時にやったりですとか、ミラノでの評価を次へ次へとつなげていくような努力もしてきておりますので、そういったこと、いっさいがっさい含めて一度総括をしてみたいと思っております。3回目になりましたので、やや従来に比べると、より商品的な意識の強いものをお出ししているようになっているのかなと、1回目はどちらかというと実験的な色彩が強かったんではないかなと思いますが、強いて言いますと、流れとしてはそんな特徴でしょうか。

記者  販売されるToki-oiとかの販売されるものはいくらぐらいなのか決まっているのでしょうか。10社38商品は、展示なんでしょうか販売なんでしょうか。
知事

 38商品は展示ですけれども、これはすでにある商品を選んだわけなので、これは販売に近いところにある商品と考えていただいてよいかと思いますけれども、ここに並べられたものは、むしろ新たに開発をして、評価を得ながらこれからどういうふうに商品としていくかということになろうかと思います。ただ、先ほど申しあげましたように、芳泉窯のToki-oiは50個限定販売をするということでございます。あとの二つは、プロトタイプでの商談に応ずるという構えで現地に乗り込んでいくということでございます。

記者  出展者の方にお伺いします。それぞれの従来の作品について、アトリエ・オイとの共同開発ということで、従来の作品の特徴に対してどういうテイストが加わったか、どういう影響があったかお聞かせください。

幸兵衛窯

 これまで弊社が得意とするところは絵付け、それから鮮やかな青色の釉薬をかける商品等を得意としておりまして、今回アトリエ・オイのパトリック・レイモン氏から提案された形状が非常にモダンで、スマートでこれまで弊社のほうになかったデザインですから、それをいかに製品に落とし込むかということ、それからパトリック氏が非常に加藤亮太郎の釉薬の質感等に興味を持たれた、強く印象に残ったようでして、そちらの方を、商品のイメージとどう対応させるか、そういったことが、今回新しい試みだったと思います。

深山

 一番最初に、パトリック・レイモン氏がお越しいただいて、最初はすごく、これできるの?という感じの雰囲気で、われわれも正直に技術的な制約条件等を伝えさせていただいて、非常に返答が柔軟性があって、最初からこれを作れというわけではないよと、製造側の意見も聞きながら、より完成度の高いものにしていきたいというお話がありました。最終的に出来上がった商品なんですけれども、瑞浪市のメインになるものは、磁器で製造されたものということで、白い磁器の製品が土台にあって、先程、水野市長からもご紹介いただきましたけれども、木との融合ということで、非常に素材感があり、バランスも相性も良いということで、それから我々が鋳込みという製造方法を用いていますので、これを焼き上げるというのは、非常に難しくて、まともには焼けないものですから、あれをひっくり返してですね、下に変形しないような台座まで作ってですね、それで焼き上げるというような、結構難度の高いものになりましたが、無事完成して良かったと思っています。

芳泉窯

 もともと、うちとしては粘土にこだわった食器づくりというのをここ数年やってまして、そこで、多孔質ということに着目していた段階でたまたまタイミングよく、パトリックさんからのオファーをいただきました。あとは、うちの特徴であるマーブル模様をいかにパトリックさんがデザインしてきたピラミッド型のプロダクトに落とし込むかというところがかなり難しかったんですけれども、ありがたいことに今回50セット限定販売ということで、実質注文もいただいたことになっておりまして、実は50セットまだ完成してないんですけれども、私は土曜日にイタリアに発つんですけれども、金曜日に窯出しをして、できるだけ手荷物として持っていくつもりでございます。ありがとうございました。

記者  アロマ・ディフューザーを作られたのは、パトリックさんからの依頼だったんでしょうか。三つとも同じにしたというのは、統一感を出したイメージというものがあったんでしょうか。

深山

 代表して、正直なお話をさせていただきますと、3社に依頼をされているということは聞いておりました。ただ、どのようなデザインで、どのような製品かということは、われわれ、しっかりとは聞いていませんでしたので、3者3様それぞれ商品を完成させていったところではないかと思います。
それから、アロマ・ディフューザーということで、これは、3社それぞれ、事情が違うと思います。芳泉窯さんは、前回取り組んでらっしゃったと思いますので、得意の分野であると思うんですけれども、我々に関しましては、アロマ系というものはほとんどなくてですね、今まであまり製造したことがなかったものです。日本では香りに対しては、そんなに需要が今まで無かったんですけれども、日本以外の国というのは、非常に香りに対して市場がしっかりとしていて、必ずこういうものが受け入れられる土壌があるということなので、われわれに無かった商品なんですけれども、今回を契機に、非常に反応を聞くのを楽しみにしております。

司会

 以上をもちまして、「国際見本市『ミラノ・サローネ』への出展」に関する共同記者会見を終了いたします。本日会見終了後に出展者様に対するご質問をお受けしたいと思います。

 それでは、残り3項目について、知事から説明をお願いします。

知事

 お手元に資料をお配りしておりますが、それより前に、数字だけご報告しておきますが、「岐阜かかみがはら航空宇宙博物館」ですが、ご案内のとおり3月24日にスタートしておりますけども、おかげ様で大好評でございまして、これまでの最高が2日目の3月25日の5,252人の入場者数でございますが、春休みと好天が重なりまして、4千人、3千人、少なくとも2千人台とキープしておりまして、この月曜日から学校が始まりましたので、ちょっと減っておりますが、先般の日曜日がなお4,337人ということでございまして、この17日間で既に5万3千人を超えているということでございます。
 また、入場券の売り上げとは別にショップ・カフェがございますが、これらの売店の売り上げが多い日で、一日で170万円を超えるということでございまして、軒並み100万円を超える日がずっと続いてきております。特に売り上げでは、概ね予想していたところですが「飛燕」のプラモデルが大変好評でして、やはりあの展示に非常に何かを感じた方々が「飛燕」のプラモデルを自分で作ってみようということではないか思いますし、もう一つの売れ筋が1冊1,500円の公式ガイドブックでございまして、こういう博物館のガイドブックがこれだけたくさん売れるというのは私どもも初めての経験でありまして、逆にあのような博物館を訪れた方がガイドブックをたくさん買って行かれるということは、やはりそれなりに感じるところがおありになったか、あるいはその自分の記憶に留めるべくこのまま持っていたいと思うか、じっくりガイドブックを眺めながらまた来てみようと思うか、そのような思いになられるのではないかと思っておりまして、そういう意味でも大変ありがたく思っているところでございます。
 それから、この日曜日に「昭和村」を改めましてリニューアルをして「ぎふ清流里山公園」ということでスタートしましたが、初日は大渋滞で私もギリギリ開会式に間に合ったわけですが、初日だけで8,680人の方がおいでになったということでございまして、これもまた大変ありがたいことでありまして、入園料を無料にしたと、ゆったりと楽しんでいただけるようにしたということと、そのためにいろんな新しい施設を造りましたけども、使い勝手のよい公園ということで親しんでいただけるとありがたいなという思いを改めて強くしたところでございます。
 それから東の方は「半分、青い。」の視聴率も今非常に高い水準でございますし、あとは、「関ケ原」をどうするかということで、後で少しご説明しますが、そんなことでご報告をさせていただきました。
 それでは、私の方から3点、お伝えさせていただきます。
まずは、月曜日からイタリア、モロッコに出張にまいりますが、まずは「ミラノ・サローネ」今お話がありました「岐阜ブランド」のアピールと、その後、ローマに行きまして世界農業遺産の国際フォーラムにおきます講演、その後、10年ぶりでございますがモロッコに渡りまして、既に10年前に友好交流協定を結んで着実に人材・技術交流をやってきておりますウジュダ・アンガッド府、ちょうどアルジェリアとモロッコとの国境に近くの所でございますが、そことの更なる交流の確認と、先方から強い希望がございましてモロッコの最大級の観光都市であり丸ごと世界遺産でありますマラケシュ・サフィ州と岐阜県とが友好協力の覚書を新たに結んで人材・技術交流・観光交流・経済交流についてこれから取り組んでいこうとそのようなことでございます。
 ミラノは先ほどの3市長がご一緒していただけますし、モロッコの方は高山市長、白川村長もご一緒に行っていただけるわけですが、特に高山市長の方はマラケシュ・サフィ州には観光という面で強い関心をお持ちで積極的な交流を進めていきたいということでございます。
 あと、帰りに短い時間でありますが、パリに寄りまして、この秋に「ジャポニスム2018」ということで、日本国政府の肝いりで、半年以上、パリの文化施設を片っ端から借り切っていろんな日本の文化を発信するわけですが、その中に地域の伝統文化ということで、岐阜の地歌舞伎を2日間公演させていただけると、それから美濃和紙について、ちょうど、ミラノ・サローネの1回目に出展した物もおそらく出すと思いますけれども岐阜美濃和紙のキャンペーンもさせていただけるということで、パリで日本国の大使、あるいは日本文化会館、これがメインの舞台になる所でございますが、館長さんとも面談をしまして、10月の私どもの出番についていろいろと打ち合わせをしてきたいということでございます。
 もう一つが「ONSEN(おんせん)・ガストロノミーウォーキング」ということで、昨年はアルザスと岐阜県との交流の中で、アルザスのガストロノミーウォーキングをやりましたけれども、ウォーキングをしながら美味しいものをいただくと、「食」、「自然」、「文化」、「歴史」を歩きながら体感するということで、ヨーロッパでは一つのコンセプトとして出来上がりつつありまして、日本国内にもガストロノミーツーリズム推進機構ができまして、積極的に岐阜県を舞台としてやっていこうということで、奥飛騨の平湯温泉を舞台に、特にフランスのオ=ラン県の議長さん、議長さんは日本で言えば知事にあたるのですけれども、この他おいでになりますし、全日空とも組んでおりますので、全日空の観光誘客の一環ということも重ねあわせて、それに日本らしく温泉を加えまして「ONSEN(おんせん)・ガストロノミーウォーキング」と称してやっていこうということで、この手の取組みは東海地方としては初めてでございます。
 「平湯自然探勝路」、樹齢1000年を超える「平湯大ネズコ」、落差64mの飛騨三大名瀑の一つであります「平湯大滝」など、中部山岳国立公園内での素晴らしい景観を体感していただくと、全長10km、3時間のコースでございます。
 ポイント毎に「飛騨牛」とか「漬物ステーキ」、飛騨の地酒、あるいはフランス・オ=ラン県のアルザスワイン等々堪能していただいたり、ウォーキングの後は「平湯温泉」で汗と疲れを流していただくということでございます。
 その前日には、シンポジウムを行いまして、本場フランスでの取組みについてもご議論していただいたり、日本全体としてこのテーマの関わりとかいろいろとご議論していただこうということでございます。
 それから、オ=ラン県の議長さん、ブリジット・クリンケルトさんとおっしゃるのですが、女性の方として、フランス・アルザス初の県の議長ということで、私どもと友好交流の覚書を改めて結ぼうということで、その調印式も考えております。
 ということで、今日からこのシンポジウムの参加者を募集しておりますし、既にこのウォーキングについても募集を始めておりますので、出来るだけ多くの方に参加いただければと思っております。
 最後に、関ケ原の武将シリーズ第五弾ということで、今年の春は5月26日、27日の二日間を中心に「小早川秀秋」の巻ということで考えておりまして、小早川家の現在のご当主であります小早川隆治(こばやかわたかはる)さん、それから「我が名は秀秋」という著書で知られます作家の矢野隆(やのたかし)さんをお招きしまして、小早川秀秋の人物像、エピソードなどをこまごま語っていただくということで、楽しい逸話が出てくるのではないかということでございます。
 それから、関ケ原の戦いで徳川家康が采配を使ったわけですが、その采配には美濃和紙が使われたといわれておりまして、昨年美濃市が徳川家康の采配を再現したものを作っておりまして、これを今回、美濃市から関ケ原町へお渡しをしようということで、その受渡式も併せてやろうということでございます。
 昨年大変好評でありました人間将棋でございますが、今年は2日間にわたってやろうということで、初日は将棋好きのタレントの石田純一(いしだじゅんいち)さん達、2日目は永世竜王と永世棋王の二つの永世称号資格を持っておられます渡辺明(わたなべあきら)棋王、都成竜馬(となりりゅうま)五段のお二人に対局をしていただこうということでございます。藤井六段はやはりなかなか忙しいそうでございますので、何れの日にかお呼びしたいと思っております。
 それから、あと歴史講演会とか武将隊、忍者の演武でありますとか、小早川秀秋のテーマでの史跡ウォーキングでありますとか、チャンバラ合戦でありますとか、大人から子どもまで大いに楽しんでいただけるのではないかということでいろんな企画をしております。
 昨年の春のイベントは8,500人の参加がございましたが、今年はやっぱり何としても1万人を超える参加を期待していると数だけではございませんけども、それくらいの盛り上がりを期待しているところでございます。
 私の方からは以上でございます。

記者  海外の視察なんですけど、ミラノ、イタリアは毎年行かれているんですか?
知事

 ミラノは初めてです。これ3回目なんですけれどもね、1回目も2回目もいろんな海外出張のプライオリティの関係で、また私も一応、原則年2回の海外出張という、まあときには3回行くこともありますけれど、そんなことなものですから、1回目、2回目は行っておりません。実は「ミラノ・サローネ」は、口ではいろいろ言っておりますけれど、初めてです。
 それからローマは世界農業遺産をいただいたときのプレゼンをやりに行っておりますので、まあそれ以来ということでございます。農業遺産というか、国連の農業機構っていうのは、FAOは、イタリアのローマにありますので。ちなみに申し上げておきますとね、フォロ・ロマーノっていう、ローマの最大の観光の中心がありますよね、まさにローマの遺跡群がありますね。その遺跡群をばっちり見下ろせる一番いいところにこの国連の建物は立っておりまして、この農業機構っていうんですが、もともと農業機構のための建物ではなくて、そもそもこれはムッソリーニが、世界にイタリアの海を広げていくということで、そのいわば担い手たる植民地省ですね。植民地省をそこに置いて、そのフォロ・ロマーノを見下ろしながら、世界に出ていくと。こういうことで建った建物を、敗戦後ただちに国連に提供して、国連をそこに誘致したということで、1945年から国連が入っております。考えてみますと、イタリアも日本も敗戦国でありますけれども、1945年にそういう一等地を国連に差し出して、そして国連の農業機構という大きな塊の組織を持ってくると、まあイタリア外交もなかなかのことをやるなということを感じましたですね。ちょうど1945年というのは、各国ともどんなことをしていたんだろうかと思いますけれども、国連を誘致するということを国を挙げてやったっていう、そこにちょっと私も驚きました。初めて行ったときにですね。フォロ・ロマーノが一番よく見えるところは、そこの屋上から見るのが一番いいんだっていうふうに、職員に案内されましてね、そのときにそんな話を聞いたもんですから、ちょっとご紹介しました。

記者  海外出張のことで、近年、知事はヨーロッパだったり東南アジアに行かれて、具体的に、鮎だったり飛騨牛だったり、モノを売るっていう観点と、あと人を呼び込むという観点で、具体的に成果を出されてきているのかなという風に思うんですが、そういった中で今回モロッコというのが、そういうモノを売るとか人を呼びこむという側面なのか、また別に狙いがあったりするのか、そのあたり、具体的に聞かせてください。
知事

 モロッコは実はすでに10年前に行っておりまして、ウジュダ・アンガッド府と協定を結んで、いろいろな技術交流をやっておるわけなんですが、一つのきっかけは愛知万博でして、愛知万博が終わった後、あそこにモロッコ館があったんですが、モロッコのいろんな文物を撤去してどこかに持っていくのもいいけどもですね、何か生かす道はないかということで、当時の在京のモロッコ大使から相談を受けたのがきっかけでありました。その際にモロッコの国の花ですね、国花ですね。国花はバラだということで、花フェスタ記念公園がまさにバラ園ですよね。まあ世界に誇る岐阜のバラ園。バラのご縁でですね、モロッコとの、花の交流、文化の交流ですね。
 それから、モロッコは、ちょうど日本が、聖徳太子の時代に日出ずる国と言っていましたが、自ら日の沈む国と言っておるんですよ。私どもが、ユーラシア大陸の日出ずる国と日沈む国が一緒になって交流をしようではないかというようなことを言うと、向こうの皆さんはとっても喜んで歓迎してくれましてですね。
 まあそれやこれや、ちょっとした接点ができて、それで岐阜県にいち早くぎふ・モロッコ王国同好会もできて、それで毎年花フェスタのイベントをやる時には必ずモロッコ大使もおいでになり、バラを通ずるいろんな交流もやりですね、それからクスクスをはじめとするモロッコ料理だとか、いろんな細工ものとかですね、あるいはベリーダンスとかですね、いろんなイベントをですね、花フェスタでやっていただいたりですね。それからモロッコの夕べということで、岐阜市内でも、あるいは美濃加茂市内でもですね、いろんなことをやってきてまして。それで今回モロッコの名誉領事ということで、美濃加茂の木沢病院の山田理事長。山田さんはぎふ・モロッコ王国同好会の当初からずっと会長でいろいろやってこられた方で、本当にモロッコ側からすればぴったりの方なんでありますが、名誉総領事館が美濃加茂にできて、名誉総領事の就任もしたというようなことで。
 まあ飛騨牛を売るとか、観光客を増やすということの、直截的なことではなしに、もう少しこうなんと言いますか、異なる環境にある国・地域の間の協力を進めていこうという趣旨でありまして。

記者  報道ベースにはなるんですけれども、県議会の猫田幹事長が、幹事長を退任される意向を示しました。その件について、知事の受け止めを教えてください。
知事

 これは、県議会というか、自由民主党の県連の人事でございますので、私どもとしては、特に、こちらからコメントするというよりは、どう進めていかれるのか、非常に関心を持って眺めておるということでございます。特に私のほうからそれについてどうこうコメントすることはありません。

記者

 文科省が英語力調査の結果を発表しまして、県内では中高ともに平均値を下回る結果となりました。そこについて、知事は、マルチリンガルであるということもあって、思うところがあるのかなと思ったんですけれども、教育とも別の部局とはいえ、県内の英語教育ということについてどういうふうにお考えかというところについて教えてください。

知事

 いや、私はマルチリンガルではありませんので、岐阜弁で苦労しておりますので。とても、外国語をそう自由に操れるわけではありませんので。
 むしろ、受験時代もそうでありますけれども、とりわけ社会人になって、外国と交流をしたりですね、それから交渉をしたりですね、いろんなことをやっていくうえで、どうしても外国語の難しさというか、壁というか、それを非常に痛感しておりますが、まあ究極は、同じ人間だろうと。こちらが嫌なことは向こうも嫌だろうし、こちらが楽しいと思うことは多分楽しいと思うだろうし。そういう、究極、人間としてのこのいろんなものの見方とか感情とか、そういったものはそんなに変わるものではないということで、言葉のハンデを非常に意識しながら、どうやって相手と率直な会話ができるかと、コミュニケーションができるかということでずっと苦労してきておりますし、このところ、ほとんどそういう外国語を使う機会も激減しておりますし、老骨に鞭打って海外に行く時にはやっておりますけれども、どっちかというとそういう意味での難しさを感じておりますので、その小学校中学校の英語のレベル云々というのも、私自身も、教育の現場でどんな努力をされているのか必ずしも存じませんけれども、国際的な場でコミュニケーションをやっていくうえで、外国語が不可欠であるといいますか、必要であるということは一方でわかると同時に、その難しさを痛感しているというところでありましてね。
 特に子どものころの外国語っていうのは、例えば、私はアメリカに行ったときに娘が2歳、5歳、8歳かな。3人行ったわけですよ。それで3人ともスピードはそれぞれ違いますけれども、あっという間に現地の子とペラペラしゃべるようになりましたんですけれども、かつ子どもたちから私の発音とか表現がですね、いかにおかしいかといっていつも馬鹿にされていたんですけれども、ただおもしろいのは例えば2歳の子が気楽に話をしていて、周りとも臆せずやっていて3年間過ごして日本に帰ってきて、それで英語はそういう意味では楽にその後は行けるかと思ったんですが、逆にあまりしゃべらなくなったり嫌がるんですよね。なんだろうって、あんなに流暢にやってたのにと思ってじーっと観察していたんですけどね。私の理解しているところではですね、子どもはどんどん、表現力っていうか、語彙力っていうか、そういうものが急速に増えてきますよね。そうすると2歳から5歳までの語彙力については英語のボキャブラリーはたくさんあるんですよ。ところが5歳、6歳、7歳、8歳、9歳となっていくにつれて、日本にいますから、すると7歳、8歳の表現のボキャブラリーは、彼女にとっては、英語はないんですよ。だから7歳、8歳、9歳の子どもとして表現したいこと、しゃべりたいことは、英語の、かつてあるボキャブラリーのどれかはもちろんあるんですけれども、組み立てられないんですよね。だからある程度環境の中に継続的にこうやっていけばいいんですけれども、いったん切れちゃうと、そこでその語彙力っていうか表現力の成長と、それから外国語を操るっていうか使う力の成長とがアンバランスになると、本来できたはずなのにいつの間にかっていうことになってしまいますものですから、ますます外国語をマスターするっていうのは、そういう表現したいこと、それからそのための必要なボキャブラリーと、それから外国語と母国語とがどう頭の中でかみ合っていくかというのが、難しいとつくづく思ったような次第でありまして。
 私自身はもう年取ってから行きましたから、頭の中でタイプライターが、日本語と英語が一緒に走っているんですよ。だからよく、シンクインイングリッシュとかって、英語で考えるっていうんですけれどね、なかなかそうはいかないですね。だからバァーッと、会議なんか出るとこう走っていて、訳が追い付かなくなるともうワァーッとこうわからなくなっちゃいますけどね。まあ、というようなことで、まあ半分か6割ぐらい理解したところで多分あとはこんなもんだろうと想像しながら質問したり議論をふっかけたりして、その欠けた分を補足しながらコミュニケーションをやっておるっていう、そういうずるいやり方をしておりまして、そういうずるいやり方は場数を踏むと慣れてくるんですけれど、わかっているかっていうとわかってないんですよ。だからそういう意味では、私自身はどっちかっていうとその難しさを本当に痛感しているっていうか、そっちのほうが強いですね。だけど必要なんですよね。あまりお答えになっていないかもしれませんけれども。だから逆に、日本における小学校でこうやれああやれっていう風になかなか簡単におそらくは出てこないんですよ、そういう意味で。そのときやったとして、小学校を出たら、次は何やるの、次は何やるのっていう、そうすると、人生の中で、成人になってですね、一人の大人として、表現をしていく、表現力を身に着けていく中で、どこにどういうふうに外国語が入ってくるのか、どういうふうに日本語なら日本語が組み立てられていくのかっていう、そこの綾っていうのは、いろんなそれぞれの人の生活なり、置かれた環境で変わってくるもんですから、なかなかこうやってこうやってこうやってっていうのは、簡単には言いにくいんじゃないかなっていう、そういう難しさのほうが私は、意識としてはありますね。

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