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知事記者会見(平成23年9月15日)

記事ID:0008361 2015年9月10日更新 広報課 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示

平成23年9月15日(木曜日)午前11時

知事 お久しぶりでございます。8月9日ですか、勤務を終えてから10日に長野県知事との懇談会がありまして松本へ行きまして、その後、夏休みに入らせてもらいましたので、県庁に参りますのは8月9日以来ということでございます。1か月を超えてしまったわけでありますけれども、まさかこういう形で皆さんと再会しようとは思いませんで、改めて、私の不注意から出たことでございますので、色々な方々にご迷惑やご心配をお掛けしておりまして、大変申し訳ないと思っております。また、色々な方々から励ましのお言葉をいただいたりお慰めの言葉をいただいたり、ありがたく思っている次第でございます。

何と申しましても、発端は私の不注意ですから、こういうことは二度とあってはならないということで、肝に銘じているところでございます。
この間、もちろん多くの県民の皆さんや県議会の方々や、あるいは皆さん方に対しても色々とご迷惑をお掛けしておりますけれども、同時に、県政が滞ってはいけないということで、職員の皆さんにも大変頑張っていただきました。また私のために色々とご配慮いただいて、県庁と病室との色々な意味での連携、連絡や、それからこういった車椅子やバリアフリー化ですとか、色々な面で、特に秘書課の皆さんにご配慮いただきました。

それからこの間、東日本大震災の復興支援の1か月キャンペーンの終盤戦に当たったわけでありますけれども、最後の第九の合唱から打ち上げ花火に至るまで、きっちりとやってもらいまして、それから例の飛騨牛の全頭検査体制もきちっと組んでスタートしてもらいました。

それから今日、県議会でご報告しましたけれども、170億円を超えるこの時期としてはかなり大型の、震災対策を中心としたあるいは円高対策を中心としたしっかりとした補正予算も組んでもらいました。またこの間、リニアに関しましても、関係県との連携ですとか、あるいは首都機能の受け皿として東濃地域をどう考えていくかですとか、色々と次のステップに向けて議論を進めていただきました。

そういう意味で、職員の皆さんに全庁挙げて頑張っていただいたということで、大変、私としては申し訳ない思いと、それから頑張っていただいたことに対する感謝の気持ちでいっぱいでございます。

一昨日、色々と検査をした結果、骨の回復状況も順調にいっているということで、一応、退院していいということで了解をいただきました。ちょうど一昨日は私の誕生日と重なっておりまして、誕生日で大安の日ということで、別に、だからというわけではなくたまたまですけれども、一昨日の夕方、退院をさせていただきました。

とはいえ通院のリハビリも必要ですし、また節目節目で検査をするということもありますし、まだ自分の両足で歩行するというのはちょっと非常にリスクが高いということですので、松葉杖や歩行器や、あるいは今日のようなこういうケースですと車椅子を使わせていただくということで、かなり行動の範囲が制約されますけれども、状況を見ながら、医師の先生方のお考えを聞きながら、少しずつ県庁内での対応を中心に、仕事に徐々に復帰していくということでやらせていただきたいと思っております。

県内各地やあるいは県外に移動するのは、ちょっとしばらくは見合わせたほうがいいとか、長時間こういうことで座り続けることは少し慎重にやった方がいいとか、色々言われておりますので、そういったアドバイスも踏まえながらやっていきたいと思っております。

ただ、今日たまたま議会でも申し上げましたけれども、山口国体、それから全国障害者スポーツ大会の山口大会、この閉会式は次期開催県に大会旗を渡すというしっかりとした出番と申しますか、セレモニーがありますので、そこはやはり次期開催県の知事として、車椅子であれどういう形であれ、本人が出てきてきちっと対応してほしいということも伺っておりますので、ここは少し無理をせざるを得ないかなと思っております。それ以外は、基本的には県庁内で対応できる範囲内で対応させていただければと思っております。

それから今月、これから議会が始まりますけれども、一般質問も今日のような形で答弁をさせていただくということで、今、お願いをしているところでございます。いずれにしましても、着実に公務に順次復帰していきたいと思っております。

気持ちの上では、一日も早く万全な状態でやれたらという思いでおりますけれども、骨のひびでございますので、薬でくっつけるわけではありませんので、骨が再生をしてしっかりと固まるのを待つというのが基本であります。中途半端な形で無理をしますと、また元の木阿弥というか後遺症が残るというか、さらに悪いことになる可能性もないわけではありませんので、その辺りはある意味焦らずに、よく診断を受けながらやってきたいというふうに思っております。

後で聞いてみますと、いつ頃までに完全に回復するのかと、大体こういうものは相場観があるだろうというようなお話でご質問があったように聞いておりますけれども、こういう骨のひびというものは、それぞれの本人の回復力ですとか色々なことがありますので、医師も逐次様子を見ながら、回復の状況に応じてこの辺りまでやっていいよということを言っていくということでございます。完全に自分の足で歩行できて、松葉杖も歩行器も使わないという状態がいつ頃ならというのは、実はまだちょっとよく分からない、はっきりいつ頃と言えるような状態ではありませんので、ご相談しながらやっていくというようなことでございます。

それから、当時何が起こったんだということで、色々な噂が飛び交ったように聞いております。8月13日に関市の花火大会がありまして、ちょうど盆休みで娘たちや孫たちも来ておりましたものですから、家族一緒に花火大会を観に行きまして、終えて帰ってきて、ゆったりとくつろいでおりまして、それから休んだわけであります。私も歳ですから夜中にトイレに立つことが多く、通常のことでありまして、ちょっと引っ越したことの影響があったのではないかと思いますけれども、トイレの位置が右側なのか左側なのか、どうもぼけていたようでありまして、階段のほうにトイレがあると思って歩いて行って一歩踏み出したら、実はそこは階段で足場が何もなかったということで、そのまま下に叩きつけられたという感じでございます。昨日久しぶりに自宅に帰って、ああここから落ちたんだなあと思って眺めておりましたら、まだ階段の先の壁や色々な所に色々な跡が残っておりまして、多分ここにこういうふうに打ちつけたのかな、こうなのかなという話を家内としておりましたけれども、まだ残っておりました。

滑ったというと、尾てい骨といいますか、お尻でどんどんどんどんと落ちますよね。そういう形ではなく、ここは地面がある、ここはトイレだと思って踏み出したらなかったと。あっと思った時にはもうばしゃっといってしまったわけでして、頭を打たずに済んだというのは本当に命拾いしたと申しますか、そのような思いです。

そういうことで、滑り落ちたのではなくて、ある種、瞬間的な空中遊泳ですね、ばっと飛び出したわけです、そこに床があると思って。結果的に、全身色々なところを打ちまして、色々なところを同時に打ったことで逆に、特定の場所に致命的なことになるというよりは、頭を打たなかったのですが、顔の顔面ですね、顔面も目とか鼻というと色々なことが起こるのですが、顔で一番柔らかい頬ですね、それから多分、瞬間的に丸くうずくまったのかもしれないですね、頬とそれから小指がまだちょっと腫れておりまして、まだちょっと使えないのですが、このラインで、があっと落ちていったと。

それから、左の膝からばしゃっといったのと、それから、一番下の階段の縁の尖った所に脇がめり込むようにぐさっと落ちまして、後で見てみますと、あばら骨が骨も折れていない、ひびも入っていないということでして、偶然にも一番体の柔らかいところで、筋肉のところで落ちたということです。ただ、当座はもう全身どこもかしこも痛みで、特に咳払いすると筋肉のところが痛くて飛び上がるような痛さでした。

最終的にはその衝撃で、右脚の付け根のところにお皿があるのですが、このお皿にひびが入りまして、この部分というのは神経とかリンパとか血液とか色々複雑なところで、しかも体重を支える部分でもあります。医師の話にありましたけれども、この部分がもし本格的な骨折ですとか、あるいはひどい時にはこのお皿が飛び散るのだそうです。そうすると開けて、下手をすると20時間以上の大手術になることもあり得るのですが、そこも先ほどの話で、全身色々なところを打ちつけたということで、ひびで済んでいて、手術をしなくて済んだということです。

ただ、ここが一番慎重にしっかりとした回復を待たなくてはいけないということで、約1か月入院させていただいておりましたけれども、順番にあちらこちらの痛みが少しずつ緩和されていくというプロセスで、最初は特にここを動かしてはいけないというので、ベッドで安静状態でありました。全身打撲で非常に痛みがありましたけれども、日にちとともに打撲傷的なところが順番に落ち着いてきまして、まだ小指はちょっと動きませんけれども、それから顔も皮膚がほぼ1枚めくれた感じになりましたけれども、あまり分からないでしょう、これも落ち着きました。
そのようなことで、結果的に私としては命拾いしたと申しますか、そういう致命傷的なことに至らなくてよかったなという思いでございます。
もう1回やってみろと言われてもこれはもうできませんし、そのようなことで、起きた当座は何が起こったか本人も分からないものですから、意識はあったのですが、全体の痛みと、身体自身がそういう時はぎゅっと緊張しますので、あと階段1段という手前の所でうずくまったのですが、とにかくまず1段下りようということで、時間をかけて少しずつ少しずつ下りて行って、下の床にまず寝転がりました。それでも、何かとにかくわーっとなっておりまして、それで家族が皆起きてきてびっくりして、どうしたの、どうしたのと言うので、とにかく冷やしてくれということで冷やしてもらって、それから少しずつ意識も気持ちも身体も少し落ち着いてきましたので、さあ、どこまでどう動かせるかとやりながら、どうにも立てない、動かないということで、救急車を呼んでもらいました。

以上のようなことで、本当に私自身の不注意ということでありますので、申し訳ないなと思っております。何が起こったんだということで、色々とお尋ねもあったようでございますが、そういうことでございます。

おかげさまでここまで回復いたしましたので、これからも先ほど申し上げましたようなことで、先生のリハビリも含めて指導をいただきながら、順次、職務に復帰していこうと、こんなふうに思っておりますので、引き続きよろしくお願いしたいと思います。経過報告みたいになりましたけれども、そういったところでございます。

記者 退院おめでとうございます。お誕生日もおめでとうございます。

2つ質問なのですが、先ほどリハビリをされていくというふうにおっしゃったのですが、それは、先ほど右手の小指もちょっと動かないとのことでしたが、そういったリハビリも含まれているのかということと、1日どれくらい、何時から何時までと決まっているのかということをお聞きしたいです。

それから、山口国体の旗の引き渡しが当面の目標と言いますか、それが一番最初の、外に出る公務になるのかということをお尋ねしたいと思います。

知事 リハビリは、今日も実は午後に行きますけれども、リハビリセンターでやるリハビリと、それから家の中でどういうふうに身体を動かしていくかということもリハビリの一環でございます。多分、右足のほうがお尻に至るまでかなり筋肉が落ちておりますので、全く使わないとどんどん筋肉は落ちていくということで、ある程度動かしながら、筋肉の回復も必要ですし、またそうやって刺激していくことが造骨作用も促進されるという話も伺っております。

リハビリセンターの方では、こういうふうにやりなさい、この程度の負荷を右足にかけてもいいですよとか、そうした段階的にご指導をいただいて、そしてそのご指導に沿って、家で動く動き方もそういうことで動いていくということです。毎日リハビリセンターに行くわけではありませんけれども、こういうふうに動きなさい、ここまでやっていいですよ、後は繰り返し家でやりなさいという類の、そういうことになるのではないかと思います。

今日行ってご指導を受けて、では次はいつ来たらいいですかというような話もいたしますし、逐次やっていくのだろうと思います。

それから指のほうは、今言われておりますのは、とにかく何かあれば自分でこうやって曲げると申しますか、一生懸命、少々痛くてもこうやって、こういう(曲げる)癖を付けて、どこまでいくかやりながらリハビリの時に診ていただくという、そのようなことになろうかと思っております。

国体の話は、今の状況でしたら、県庁の外で仕事をするという意味ではそれが最初になるのではないかなというふうに思っておりますけれども、これはまた、その時点でどういう状況かによりますし、またこれからある頻度で精密検査もやっていきますし、CTも撮りますので、その辺りを見て、医師の先生方のお考えも聞きながらということです。

私の気持ちといたしましては、山口国体の閉会式の旗の授与はやはり私自身が行かざるを得ないと申しますか、行くべきではないかという思いで、その頃こういう車椅子に乗ってでも行けたらと、そんなふうに思っております。まだあまり固定的にはちょっと、そのつもりでおるということでございます。

記者 右手の小指は、何か病名などはあるのでしょうか。どういう、状況としては曲がらないのでしょうか。
知事 打撲で靭帯が切れた、靭帯が壊れたのですね。ですから、まだ少し腫れていますし、完全には曲がらないものですから。これも時間とともにどのくらい回復するかというと、やはり一生懸命こういう、何と申しますか、(曲げる)運動、訓練をすることが大事だと言われています。
記者 リハビリは逐次ということですけれども、当面は月1回とか週1回来てくださいということは言われていないのですか。
知事 これも、この間退院する時にまず15日と言われましたので、今日行きますけれども、今日どのように言われるかによります。

久しぶりに家に帰りましたけれども、家の中も、動く時に結構、ちょっとした物を取ったりちょっとしたことをやる時に動きますでしょう。やれやれと元に戻した時に、あれを取るのを忘れたということでまた動くということで、結構身体を動かすことになりますので、家の中で最低限の動きをすることもリハビリにつながるようなやり方をということで、歩行器と松葉杖と普通の杖と使い分けながら、昨日あたりはやっておりました。

記者 ご自宅は、バリアフリーですとか、改修などされているのでしょうか。
知事 例えばトイレの段差を解消するために、少し仮設の床みたいなものを作って段差なしに入れるようにしたり、それからお風呂とトイレは手すりを付けてもらいました。

病院ではお風呂には入っておりませんで、シャワーだけでした。変な話ですけれども、歩行器につかまろうが何をしようが、自分でベッドを降りて自分でトイレに行ける状態、自分でトイレをできる状態になるのがまず第1段階の回復過程でして、それに行けるようになると、自分で便器に座れますから、その頃から椅子に座ってシャワーを浴びるというか、何とか椅子に座ってシャワーの下に座るというところまでやりまして、シャワーを浴びておりました。

一昨日ですか、退院して初めてお風呂に入りました。手すりを付けてもらいまして、それにつかまって、右に荷重がかからないように少しずつ身体を動かしてお風呂に入りました。階段は恐ろしくて登れませんね。

記者 1か月ぶりに県庁に出て来られてどういうお気持ちがされたのかという点と、車椅子で生活することで障がい者の大変さであるとか、新たな世界というものが知事として見えてきたのか、その点をお伺いします。
知事 1か月ぶりに戻って来ましたら、机の上に長野県知事との懇談会の資料が置いてあるものですから、そこからちょっと時間が止まっていたのだなという思いと、それからこの前、岐阜総合学園高校に行きましたら書道部の方々が国体ののぼり旗を書いておられましたけれども、その作品がいくつか部屋に置いてありまして、もういよいよ国体も待ったなしということで、頑張らなければいけないなという思いですとか。

何と申しますか、一定の期間、時間が止まって、また時間がここで動き出すというか、私なりに遅れを取り戻すというか、一所懸命また再開しなければいけないなとそういう思いでおりました。

それと、こうやって車椅子や歩行器などを使うようになりますと、1つは秘書課の皆さんや看護師の方々も含めて、本当に親身になって色々とお手伝いしていただけるものですから大変ありがたいなという思いやら、それから、色々な施設のバリアフリーの所がすごく目に入ります。それから、座りますと目線が、この車椅子の目線で周りを見渡すとか。それから、トイレに入るとかお風呂に入るとか言いますと、高さですね、物の高さですとか色々なことが、健常者としての目線とは違って色々なことを感じます。

そういう意味で、ある種そういう色々な目線を、私なりに身体で感じ取るということは勉強させていただいているのかなという感じがいたします。

記者 久しぶりに質問できるので、県政一般の方もお聞きしたいのですが。愛知県知事が長良川河口堰の開門調査について前向きな姿勢を示されていますが、知事は、これについてはどのようにお考えでしょうか。
知事 この河口堰の問題は、新しい愛知県知事、大村知事が就任されて、愛知県としてどのように考えるべきかということで、専門家を交えた研究会といいますか、委員会を立ち上げられて、順次検討しておられるということで、かなり進んできているというふうに承知しております。

これが、これからどういうタイミングでどのように最終的にまとめられるかという流れが1つと、それを受けて、愛知県としてあるいは愛知県知事として、どのようにこの問題についてお考えをお出しになるか、物事の出発点はそこから始まるだろうというように思っております。今は、愛知県内の考え方の整理のための作業が進んでいるということで、私ども、担当もそうですけれども、注意深く議論のやり取りはフォローさせていただいております。

議論がどういう形で始まるのか、いずれにいたしましても、まず愛知県としてのスタンスが固まり、そのスタンスをどのようにどこに向かって表現されるのかというところがスタートになるのではないかということで、フォローさせていただいているということです。

記者 愛知県が正式に表明されてから、岐阜県としても対応を考えるということでしょうか。
知事 そうですね。私どもは、去年が5年に1回のフォローアップの年でしたから、国土交通省なり独立行政法人水資源機構との関係でもしっかりとしたフォローアップをお願いし、それから塩害ということを念頭に置いて、可能な限り開けていくということで要望も出して、結果的に年間120回に増やすということになりました。完全に開ける場合もあれば、オーバーフロー、アンダーフローありますけれども。120回ありますと、ほぼ3日に1回ですよね。3日に1回、上半分、下半分を半分開ける、あるいは全体を開けるとなりますけれど。

ただ今年の実績を見てみますと、4月以降の実績は3日に2回のペースで開けておられますので、この頻度が増した開閉というものが、どういうことにどのような影響を及ぼすのかということのフォローも必要ですし、やはり、塩害というものはどの程度になったらどう起こるのかといったことも、おそらく愛知県さんもそうでしょうけれども、議論の論点になると思います。

物事を固定的に考える必要はございませんので、この開閉の運用をより弾力化するということを私どもの立場でずっと言ってきておりますので、今の3日に2回という開け閉めが、今年度どのようになっているかを見ながら、順次議論していったらいいのではないかと思っております。

記者 知事が怪我と格闘されている間に、総理大臣が交代されました。新しい総理大臣に期待されることや評価など、所感があれば教えていただきたいのですが。
知事 これだけ短期間に次々と国のリーダー、総理大臣がお代わりになるということは、国全体として考えて決していいことではありませんし、かつ歴史的な課題が今、山積しておりますので、ぜひ新総理大臣におかれては、前政権、前々政権、あるいはその前の自民党政権時代、色々なことを顧みながら、喫緊の課題が目白押しでございますので、東日本大震災からの復旧・復興について、目に見える形で成果を出していかなければいけないでしょうし、それからこの歴史的な円高をどう乗り越えていくのかということも大事でありますし、外交も少し各国との色々な関係、連携をもっともっと密にしていくためのイニシアチブを発揮してもらいたいと思います。

それから、国会での色々なねじれ現象ですとか議論もございますけれども、やはりスピーディーに政策が決定され、法律が通り予算が通っていく、そしてそれが実行に移されていくということで、入口のところでのアイデア、提案だけではなしに、結果が出ると、結果が出てそれが具体的な政策、行動に移されていくということが今、本当に求められていると思います。

つとに、施政方針演説ですとかあるいは民主党代表選ですとか、そういうところでその辺りは十分ご理解いただいていると思いますし、その決意は持っておられますので、それが進むことを期待したいと思います。大事なのは行動と申しますか、具体的な政策であり、それに則った行動がスピーディーに行われるということでございます。

それからもう1つは、やはりあれだけ大きく華々しく打ち上げた「地域主権」という民主党の旗が、つまり「官主導から政治主導へ」というスローガンと、「中央集権から地域主権へ」という2つの大きなテーマであったわけですが、この「地域主権」で一体何をしたいのか、どういう成果を見たいのか、そのために何をするのかというのが、少しこのところ議論として薄らいできているのではないかということを懸念しております。

そういったことについても、もう1回原点に立ち返って、せっかく法律に基づく国と地方の協議の場もできたわけですから、戦略的に行程表を作って政策を進めていただきたいと思います。

記者 車椅子の生活で、県庁や議会などで何か気付かれたことはありますか。例えば、不便だなとか意外とバリアフリーが進んでいるなというような。
知事 そうですね。まだ今日、車椅子で県庁に来たのは初日ですから。段差のある所について皆さん気を遣ってくれまして、実は今日の議場もお気付きになったと思いますが、横から入って一段スロープにして上るという格好にしてもらいました。

そうしたバリアフリー的な配慮を随所にしてもらっていますので、1つ1つありがたいなということと、やはりこういうことについてのきめ細かな目配りが、今後、福祉や医療や介護などを考えていくうえで、大変大事なのではないかということを改めて感じております。

家の中でも、ほんの数メートル先に手を伸ばして何か物を取るとか何かする時に、この数メートル間に段差があったり何か滑りやすいものがあると非常に怖いと感じます。そういう目線というものは、なってみて分かることですので、そういう意味で、私自身としては、今後色々なことをやっていくうえで大変大事な感覚だなと思っております。

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