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松倉城跡[まつくらじょうあと]

分類 史跡
指定別
所在地 高山市松倉町城山
所有者 高山市
指定年月日 昭和31年11月14日

松倉城跡

 高山市街の南西、標高856.7mの松倉山頂に構築されている。東は信州、西は郡上、南は美濃、北は越中へ通じる各街道の交点に位置している。天険の地にあるこの山城は、各方面からの飛騨侵入を防御する重要な拠点であった。
城郭は3段に構築されており、本丸・二の丸・三の丸及び出丸などの曲輪がつくられている。
本丸は、内曲輪が東西約23.4m、南北約22mの規模である。石垣は、四方に遺存しているが、落城後甚だしく破壊されている。外曲輪は東西約38m、南北31mの規模をもち、現存する石垣の高さは南西隅で約8mである。
本丸の東方に位置する二の丸は、東西約48m、南北の最広部約25mの規模をもち、現存する石垣の高さは約25mである。
三の丸の現存している石垣は、東西約55m、南北32mで東西両隅に角櫓がある。三の丸西方約1kmをへだてて出丸があり、現在観音堂が建てられている。
永禄年間(1558〜1570)[一説天正7年(1579)]三木自綱が築城し、萩原の冬城に対して夏城と呼ばれた。天正13年(1585)金森長近・可重の攻撃を受けて落城した。

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