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一条信能終焉跡[いちじょうのぶよししゅうえんあと]

分類 史跡
指定別
所在地 恵那市岩村町若宮
所有者 岩村神社
指定年月日 昭和32年12月19日

一条信能終焉跡

 後鳥羽上皇は、承久3年(1221)に鎌倉幕府打倒のため兵をあげた。一条信能は、後鳥羽上皇の宣旨によって、宇治川芋洗方面の防御の将として出陣した。しかし、幕府軍と戦い、破れ捕らえられた。信能は、幕府軍として出陣した岩村城主遠山景朝に伴われて、鎌倉へ護送される途中、幕命によって、遠山荘岩村の相原で処刑された。享年32歳であったという。
村人はこれを哀れみ、処刑地に小祠を建てて霊を弔い、若宮社と称して供養を続けてきた。
その後、明治13年(1880)6月、明治天皇が中山道御巡幸の折、岩村へ勅使を派遣され祭祀料を賜った。また、明治14年(1881)3月に社号改称の沙汰があって、岩村神社と称することとなった。さらに、昭和3年(1928)11月、正三位増位の恩命があった。

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