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高山おどり[たかやまおどり]

分類 重要無形民俗文化財
指定別
所在地 高山市本町
技芸団体 高山民踊保存会
指定年月日 昭和53年2月14日

高山おどり

 高山の吉左右踊、高山音頭ともいう。初代高山城主金森長近が文禄の役に従軍し、肥前の唐津に陣営をかまえ、朝鮮戦線からの情報を国内要地へ伝達する役を努めた。秀吉が慶長3年(1598)8月に病没し、その12月には全軍朝鮮から撤退した。長近もまた高山に帰還した。そのとき高山の人々が、今の陣屋前広場に櫓を組んで長近をこの上に迎え、これを取り巻いて踊った。これを吉左右踊といったというが、確証はないが面白い伝承である。これは文禄の役より130年後に書かれた飛騨代官であった長谷川忠崇の『飛州志』に「吉左右踊」の起源についての記述によるものである。その後、この踊りは盆に踊られ、単に盆踊りといわれてきて、今も踊られている。
この踊りは、踊りを主体とするために定まった歌詞はないとされるが、比較的よく歌われる古くからの歌詞の中から、音頭取りが適宜に歌う。

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