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青面金剛神[しょうめんこんごうしん]
分類 | 重要文化財 |
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指定別 | 県 |
所在地 | 下呂市 |
所有者 | 個人所有 |
指定年月日 | 昭和37年2月12日 |
- 檜材一木造彫眼
- 像高:50.0cm
青面金剛神は庚申とも呼ばれる。中世以降、庚申といえば阿弥陀、山王権現、帝釈天などであったが、江戸時代に至って、6臂[ぴ]の像が盛んに造られた。その像の足下に、「見ざる・聞かざる・言わざる」の3猿が彫刻されたものが多く、2羽の鶏が、使いとして彫られているものもある。地方により相違があるが、庚申の手に弓や剣、蛇、縄などを持っているものもある。道祖神のように路傍に立って、富貴安楽を願い、災難を除くための庶民信仰で広くいきわたっていた。元来は庚申(かのえさる)にあたる日の禁忌行事を中心とする信仰で、中国道教より由来したものである。中国では、庚申の夜、人間の身体の中にいる三屍虫[さんしむし]が眠っている間に昇天して、天上の神に其人の罪過を告げに行くので、この夜は眠らないで番をして、虫の逃げ出す機会を与えないようにする信仰に基づいていると説いている。そしてこの一夜を賑やかに談笑し徹夜する庚申待の風習が伝わったのである。青面金剛神が庚申待にまつられるようになったのは、仏教、中でも天台宗の影響で、庚申の利益が青面金剛の利益に似ているからであるといわれている。円空も各地に青面金剛神を残した。
今井氏蔵の円空の青面金剛神は、三面立像で足下に三猿が居り、背面に「青面金剛神、元禄四年辛未卯月二十二悦日」と円空の墨書があり、円空がこのころ今井家に滞在してこの作を残したことが明らかで、貴重な作である。なお、付近の民家、辻堂、神社に円空は多くの作を残している。