本文
【サブサイト】一次審査講評
一次審査講評
岩崎秀雄
様々なアイデアをキューブの形に実装する意欲的な企画が寄せられた。まずは応募してくださった作家の方々に心からお礼申し上げたい。私には様々な作品の可能性に出会える点で有難いことだったが、570あまりの作品からごく少数を選ぶのは、多くの作品を選外にせざるを得ないという点で苦渋に満ちた作業だった。私としては50点くらい残したいものがあった。全応募企画に対してそれぞれ短い覚書をしたためた上で臨んだ選考会議では、選考委員各自が真剣に臨んだが、投票が主体で、残念ながら十分な検討と熟議を経て入選作を決めたとは言い難い面があった。このため、一部の作品はその真価に気付くことのできないままに落選してしまったものがあると思う。これについては十分反省しつつ、今後の審査に心して臨みたい。また、野外展示や生物を含む展示など、意欲作ながら公募要領の規定を満たしていない点で採用できない作品が少なからずあったことは勿体なかった。とはいえ、選ばれた作品はどれも興味深く、どのように実装されるか早く見てみたいと思わせられるものばかりだ。キューブに実装される作品は、すべてリアルであり、リアルではない両義性として私たちの前に立ちはだかる。その一般的な前提を飛び越えて、刺さってくる体験を共有できる作品に出会えることを心待ちにしている。
四方幸子
「キューブ」への挑戦に加え、応募段階から新型コロナウイルス感染症の只中となった今回、そのような時代を反映した「リアル」とそのゆくえが、多くの企画から感じられた。応募者名も住所も性別も知らされない本公募ならではの審査は、内容から応募者を想像し始める興味深い体験でもあった。応募は、現代美術を中心に建築やメディアアートも多く、絵画、彫刻、工芸など美術全般に加え、このような枠組みでは困難に思えるパフォーマンスも目立った。内容には、清流や石、美濃和紙や美濃焼など、岐阜の豊かな自然や文化に関わるものも多く見られた。最も印象的だったのは、ポストパンデミックそして直面する国内外の諸問題を受け止めようとする切実さである。「リアル」へのアプローチは、知覚認識や身体性を扱うもの、過去を振り返ったり、人間中心主義を相対化するなど様々だが、いずれも人や社会、自然とのつながりを再接続しようとする意思が感じられた。とりわけ日常から記憶や死など視えにくいものに寄り添ったり、自然環境や生態系にミクロ、マクロな眼差しで関係を持とうとする企画を評価した。加えて、ユーモアやシュールさによって混迷を突き抜けようとする企画も評価した。
寺内曜子
この公募展が他の公募展とは異なる1番の特徴は自立した大きなキューブという物体の存在だと私は思う。幅4月8日 × 奥行き4月8日 × 高さ3.6メートルの木製のキューブを自由に使えるという機会はなかなか得ることはできない。なので、自立したキューブ自体の存在を意識した作品企画かどうかを選考の基準とし、私個人の選択を行った。応募企画の多くは、キューブの内部空間に作品を「収める」ことを基本としたものに私には見えたが、規定の空間内に物や状況を収めるだけならば、何も自立したキューブがなくとも、美術館の室内で旧来通りの展示で済むのでは、と思われる。AAICの条件である、内部空間を持ったキューブを美術館展示室内に入れ子として展示するという二重構造は実は展示空間としては、とても難しいと私は思う。最終選考には残らなかったが、そのあたりを意識した企画も少数ながらあり、各々が独自の切り口で「キューブの実在」と取り組んでいて、興味深かった。一度ここまで応募条件を狭めても面白いのではと思った。
山極壽一
アートとはそもそもリアルではない。それは言葉とは違うナラティブである。言葉が世界を切り分けて意味を与えるのに対し、アートは無意識の世界を揺らし、変質させる。二つの異なるナラティブがパラレルワールドを構成する。私たちはその間に浮かぶ。ただ、これまでのアートはリアルな世界とどこかでつながっていた。しかし、情報通信技術の進歩はその接続を外し、虚構の領域を拡大した。今回のテーマは現実とのつながりが曖昧になったアートをCUBEという小宇宙に解き放つ。それがどんな形となるのか。新しい技術は変革を重ねて古い技術を駆逐していくが、アートは原初の香りを常にどこかに漂わせている。その奥行きのどこかに人間がたどってきた足跡を感じ取ることができるのだ。その期待を込めて、今期の作品群を眺めてみると、リアルな世界に対する信頼が急速に薄れ始めていることがわかる。さて、そこから私たちは未来を感じ取ることができるだろうか。