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【サブサイト】二次審査講評

審査員

岩崎秀雄

ああああ

 

大変な力作揃いで、まずは作者の方々、裏で奔走してくださった方々に心からお礼申し上げます。審査では、多様なアプローチと成果を前に、どこに力点を置いて評価するのか、テーマとの整合性をどの程度重視するのかなど多くの課題があり、紛糾とまではいかないまでも、様々な議論がありました。大賞作品の選出にあっても意見が相当割れました。河原の石を、集光された太陽光の熱で溶かし、地の下のマグマを想起させるプロジェクトについて、私は「今ココと壮大な地球史的時空間を詩的に切り結ぶ貴重な試み」と評価しました。
審査員賞に選ばせていただいた「橋」を巡る作品も、橋の狭義の機能から拡張し、抽象的なレベルまで含んで何かを繋ぎ、今ココと外部の関係性を開いていくポテンシャルの魅力と、地域に根差した地道なリサーチに惹かれました。ただ、どちらの作品も、本来持ちうる広がりや強度を十分に表現しきれていないのではないか、と僭越ながら感じてしまう部分もあり(私が見落としているだけかもしれません)、今後の発展・展開にも期待したいという意味で、推させていただきました。
他にも「サカサゴト」、「One room」といった作品にも、大いに惹かれるところがありました。鑑賞者の方々は、受賞作かどうかに気をとられず、ぜひそれぞれの作品に触れて、心行くまで体感していただきたいと思います。

四方幸子

 

ああああ

各作品のレベルは高く、しかも多様で、全体で見応えのある展覧会となっていた。審査では、キューブや今回のテーマへのアプローチ、ビジョンの実現性を重視したが、何よりも作品が放つ力やメッセージを受け止めた。各審査員の観点は示唆に富み、活発な議論が交わされた中、大賞については意見が分かれた。その結果選ばれた千葉麻十佳作品は、川で拾った石を太陽熱で溶かし「マグマに戻す」もので、溶ける石の映像や音の生々しさとともに岐阜から地球史や地球深部へと至る、ささやかながら鮮烈で壮大なまなざしによる。石から地球の連綿とした営みへ「リアル」を接続することで、想像力を喚起するとともに人間の立ち位置を問いかける側面を評価した。

審査員賞の北川純作品は、キューブを即物的に「箱」と見立て、コロナ禍の生活をモノの側から提示した。来場者が搬送物になる体験を提供することで、私たちはショッピングをしているようで実はさせられているのでは、と思わせるドライなユーモアが効いていた

寺内曜子

ああああ

入選した14点は、個々の作品のアプローチや表現が違うので、ヴァラエティーの多さを楽しめる展覧会となっていると思う。その中から大賞を選ぶのはとても難しかった。審査員同士の正直な意見を交わして、丁寧に審査出来たのは良かったと思う。
私自身は各作家の「リアルのゆくえ」の内容を云々するよりも、(1)各作家が自分の信じる「リアル」を、言葉の助け無しに見ただけで伝わる説得力ある作品として完成させたか、(2)キューブを内側空間だけでなく外側空間もどう使っているか、を判断基準とした。
この基準(2)から外れた作品の中にも、完成度の高い作品は何点かある。キューブの制約を外すとより良くなっただろうと思われる作品もある。テーマを重視するかキューブを重視するかも作家及び審査員の意見の分かれるところだ。
私は今回の審査を終えて、この大きな自立するキューブから「必然的に生まれた」作品を見てみたい気持ちがより強くなった。

山極壽一

ああああ

入選した作品それぞれがとても個性的で評価をつけるのが難しかった。大きく自然に題材を求めたものと人間の内面に入り込んだものとに大別できるように思う。大賞の作品は、地球の表層に生きる私たちにその下を流れるマグマの有様を、岐阜の川の石から歴史を遡ることで示してくれた。
面白いと思ったのはJK in the street.で、リアルの行方の中心にいるのは実はJK(女子高生)ではないか。子供と大人の中間にいて「思春期スパート」のまっただ中にいる。心も身体も急速に成長する。変わっていく社会観、人間観の中で自分を見つめなければならない。本作品には、そんなリアルと反リアルのただ中で立ち止まり、もがいている姿がよく描かれている。「ふつうの」に込められた意味が二重に迫ってくる。「ふつう」を装いながら、その裏に隠れている願望が透けて見える。「違う」、「ウソばっかり」と叫びたくなる自分がいる。全編を流れる願いや現実を、あっさりとエピローグでひっくり返してしまうドンデン返しがすばらしい。作者の演劇的才能の高さがうかがえる。これを機会に大きく飛躍してほしいと思う。