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東照宮本殿[とうしょうぐうほんでん]付唐門透塀

分類 重要文化財
指定別
所在地 高山市西之一色町
所有者 東照宮
指定年月日 昭和47年3月17日

東照宮本殿

 東照宮には田中大秀、赤田光暢の棟札が現存して、それによると金森氏3代出雲守重頼元和9年(1623)城中に大神の御堂を建て、即ち東照宮を建て始めて祀った。寛永5年(1628)現地に遷奉、延宝8年(1680)出雲守宝樹院尭因法師をめして、山号を東曜山松泰寺と命名別当職を置いた。元禄5年(1692)金森氏出羽国に国替後は寺運も衰微し、無住の状態が続いた。寛政年間桜山八幡宮別当長久寺賢法印松泰寺兼務後荒廃の様をみて、江戸幕府に願出て再興した。
神橋を渡った正面に切石の見上げる階段を登りつめた正面に中門(向唐門)、左右にのびる透塀、中央に本殿がある。本殿は基壇上に建ち、腰組勾欄[こうらん]付、正面1間、側面2間入母屋造[いりもやづくり]、正面に千鳥破風をおき、向拝[ごはい]軒唐破風、主屋円柱、組物三手先[くみものみてさき]、向拝角柱、繋虹梁[つなぎこうりょう]入り木階[もっかい]7級、軒二軒繁垂木[ふたのきしげたるき]、屋根銅板葺、大棟両端に千木勝男木をおいている。中門、向唐門、輪垂木、木舞打化粧屋根裏銅板葺、透塀、延長63.83m。何れも最初は檜皮[ひわだ]又は柿葺[こけらぶき]、後世銅板葺に改められたものであろう。
本殿、中門、透塀ともによく江戸末期の特色をあらわしている。

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