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油島千本松締切堤[あぶらじませんぼんまつしめきりづつみ]

油島千本松締切堤[あぶらじませんぼんまつしめきりづつみ​​​

分類 ​​史跡
指定別
所在地 海津市海津町油島
所有者 国土交通省
指定年月日

昭和15年7月12日

 宝暦3年(1753)12月、幕府は薩摩藩主に木曽・揖斐両河川の治水工事を命じ、両河川の合流点に締切堤を築造させた。この工事は、宝暦4年(1754)4月から同5年(1755)3月までかかり、多額の工費を費やして多数の犠牲者をともなった。工事終了とともに奉行平田靱負は自刃したと伝えられる。
 この工事の目的は、豪雨を集めた木曽川から揖斐川に逆流するのを防ぐため、この両河川の合流点に分川堤を築くことであった。完成記念と護岸のために堤の両側に約1kmにわたって松を植えた。これが千本松といわれる。堤の北には、昭和13年(1938)に建てられた治水神社がある。

油島千本松締切堤