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江馬氏城館跡[えましじょうかんあと] 下館跡 高原諏訪城跡 土城跡 寺林城跡 政元城跡 洞城跡 石神城跡 傘松城跡

江馬氏城館跡[​​​えましじょうかんあと​ 下館跡 高原諏訪城跡 土城跡 寺林城跡 政元城跡 洞城跡 石神城跡 傘松城跡

分類 ​​史跡
指定別
所在地 飛驒市神岡町
所有者 飛驒市 他
指定年月日

昭和55年3月21日

令和6年2月21日

 江馬氏は、その出自や系譜について不明な点があるが、室町から戦国時代末期にかけて飛騨北部を支配した戦国大名である。        

 江馬氏の城館跡は、神岡町を流れる高原川の河岸段丘上に位置する。居住の館である下館、後背地の城山に築いた本城である高原諏訪城、北方の土城、西方の寺林城、政元城、南方の石神城が一括して史跡に指定され、その総面積は100万平方メートルを超える。
 発掘調査の結果、下館跡からは庭園遺構、堀、土塁跡、建物跡が検出された。庭園遺構は付近から産出する花崗岩を景石に利用し、大小6カ所の入江を設け、池汀の総延長は滝口から約107mである。堀については、深さ0.5から1.5mの箱堀と2.6から3.0mの薬研堀が確認された。Ⅴ字状の薬研堀は中世最大級のものである。出土遺物は陶磁器類が最も多く、他に少量の金属製品や銭貨・石製品がみつかっている。
 高原諏訪城跡は標高622mの山上に位置し、江馬氏の本城であった。築城年代、築城者は不明である。東西20から24m、南北34mの山頂平場が本丸跡である。
 土城跡は、高原川と跡津川の合流点にある岩山の牛首城山にあり、頂部に二段の平場がある。「鬼ケ城」ともいわれる。
 寺林城跡は、玄蕃山と呼ばれる半独立峰の頂部にあり、二段の平場が残っている。
 政元城跡には、円形の平場と腰曲輪が残っている。
 石神城跡は、山頂を利用して二段ほどの平場を設けた簡易な構造の城である。

 令和6年には傘松城跡も追加指定されている。