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美濃金山城跡[みのかねやまじょうあと]
美濃金山城跡[みのかねやまじょうあと]
分類 | 史跡 |
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指定別 | 国 |
所在地 | 可児市兼山字常盤町 |
所有者 | 可児市 |
指定年月日 |
平成25年10月17日 |
美濃金山城は、木曽川の左岸に突き出た標高235mの古城山の頂に構築された、戦国時代の典型的な山城である。城戸と呼ばれるところが大手であり、東方堀切杉ヶ洞表が搦手である。城戸から山田坂道を数百m登ると出丸と称する平坦地に出る。ここには、南面に長さ約45m、高さ3から4mの石畳が遺存する。出丸の北方には三の丸跡が位置しており、その広さは約800平方メートルである。ここには三の丸門跡の土台石が残り、三の丸東側には、西北腰曲輪と呼ばれる平坦地がある。二の丸からさらに東方へ登ったところに大手門があったと考えられ、現在は土台石が残る。そこからさらに登り詰めると本丸腰曲輪に至り、その内部には一段高い石垣に囲まれた天守台が築かれている。
この城は、天文6年(1537)に斎藤大納言正義によって築かれて以来、斎藤氏が居城していたが、その後、繊田信長の美濃攻略にともなって森氏が居城するようになった。森氏は慶長5年(1600)には川中島に移封され、金山城は廃城になった。