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正家廃寺跡[しょうげはいじあと]
正家廃寺跡[しょうげはいじあと]
分類 | 史跡 |
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指定別 | 国 |
所在地 | 恵那市長島町正家寺平 |
所有者 | 恵那市 |
指定年月日 |
平成13年8月13日 |
正家廃寺跡は、JR中央本線恵那駅より南に約1.6kmの南方に突き出た舌状台地に位置している。
昭和52年度(1977)から同54年度(1979)の発掘調査の結果、伽藍の配置は回廊内の東西に五重塔、金堂がならび、正面に講堂が位置する法隆寺式であることが確認された。また、焼土と灰が検出されたことから、正家廃寺は火災により焼失したものと考えられた。なお、出土品に三彩陶器が含まれていたことは特筆に値する。
平成5年度(1993)から同6年度(1994)の発掘調査では、伽藍の外郭施設は築地塀で、東西約60m、南北74mの長方形の区画をもつことがわかった。
平成8年度(1996)の塔跡の調査では、基壇は版築により土で築かれ、基壇化粧は乱石積であったことが判明し、一辺が10.2mの大きさであった。また、心礎は地上式で二つにわかれており、中央に直径72cmの円形の柱座があることが確認された。
平成9年度(1997)の金堂調査ではその礎石配置が明らかになり、この配置から建物の構造は、軒を支える組物が建物に対して放射状に広がる形式であることが想定され、全国的にも特異な例として注目されている。
