ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 分類でさがす > 教育・文化・スポーツ・青少年 > 文化・芸術 > 文化財 > > 弥勒寺官衙遺跡群 弥勒寺官衙遺跡 弥勒寺跡 丸山古窯跡 池尻大塚古墳[みろくじかんがいせきぐん みろくじかんがいせき みろくじあと まるやまこようあと いけじりおおつかこふん]

本文

弥勒寺官衙遺跡群 弥勒寺官衙遺跡 弥勒寺跡 丸山古窯跡 池尻大塚古墳[みろくじかんがいせきぐん みろくじかんがいせき みろくじあと まるやまこようあと いけじりおおつかこふん]

弥勒寺官衙遺跡群 弥勒寺官衙遺跡 弥勒寺跡 丸山古窯跡 池尻大塚古墳[みろくじかんがいせきぐん みろくじかんがいせき みろくじあと まるやまこようあと いけじりおおつかこふん

分類 ​​史跡
指定別
所在地 美濃市大矢田(弥勒寺官衙遺跡・弥勒寺跡は関市)
所有者 ​​美濃市
指定年月日

昭和34年3月2日

平成6年10月11日

平成19年2月6日(名称変更)

 長良川は、美濃市に隣接する関市に入って山王山にぶつかると、流路を西に直角に折れて流れている。弥勒寺跡は、この曲折した長良川の北岸台地上に位置している。
 昭和28年(1953)、同31年(1956)に発掘調査され、主要堂塔が良好に遺存していることが判明し、昭和34年(1959)に史跡指定された。
 伽藍は回廊内の東に塔、西に金堂、北に講堂を配する法起寺式の配置である。この寺院は壬申の乱(672)において、吉野方で活躍した身毛君広の氏寺として建てられたと考えられている。美濃に遺存する大半の寺院跡は、乱の功績による論功行償として建立された場合が多い。
 出土した軒丸瓦、軒平瓦、平瓦は大和川原寺の系譜に属し、なかでも凸面布目平瓦が多くみられ、中央との技術の関連が注目される。
 昭和62年(1987)から平成元年(1989)にかけ、寺域の範囲確認調査が実施された結果、史跡指定区域の南外側に掘立柱塀跡および掘立柱建物跡、西外側に竪穴住居跡が確認された。
 その後、平成6年(1994)より、弥勒寺の東側(弥勒寺東遺跡)の発掘調査がおこなわれ、郡庁院や大きな倉庫跡が何棟も列をなす正倉が明らかになり、奈良時代から平安時代にかけての郡役所(郡衙:ぐんが)にあたることが判明し、弥勒寺官衙遺跡として追加指定された。
 また、美濃市大矢田にある丸山古窯跡は、昭和32年(1957)に発掘調査されて4基の窯跡が確認された。この調査で出土した瓦が弥勒寺跡のものとまったく同じであることがわかり、弥勒寺の瓦は、丸山古窯跡で焼成されたことが判明した。

 

弥勒寺官衙遺跡群 弥勒寺官衙遺跡 弥勒寺跡 丸山古窯跡 池尻大塚古墳