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苗木城跡[なえぎじょうあと]
苗木城跡[なえぎじょうあと]
分類 | 史跡 |
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指定別 | 国 |
所在地 | 中津川市苗木字櫓下 |
所有者 | 中津川市 他 |
指定年月日 |
昭和56年4月22日 |
苗木城跡は、木曽川右岸にひときわ高くそびえる高森山(標高432m)頂部にある。三方は山に囲まれて絶壁をなしている。天険の地を利用して構築された要害堅固な山城である。
城郭は、約330平方メートルの本丸を中核として二の丸、三の丸が配置されている。これらの曲輪を結ぶように、雁木坂の登城路や帯曲輪がおかれている。本丸の天守は約7m四方で三層からなったと伝わる。二の丸は本丸を囲む帯曲輪と城主居住地からなっていた。三の丸は城内一の平場があり、北隅には約60平方メートルの大櫓があった。これらの内郭部分の面積は約15,000平方メートルにおよぶ。
苗木城は、土岐氏とならび東美濃一帯を根拠として覇をとなえた遠山氏の居城であった。大永年中(1521から1528)、遠山一雲入道昌利が、福岡村植苗木の城を高森に移築して高森苗木城と称し、その子左衛門尉景徳を城主にした。その後、天正11年(1583)に森長可の為に落城したが、慶長5年(1600)には旧領復活がかない、以後、明治2年(1869)まで12代270年間にわたり遠山氏が支配した。
