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東町田墳墓群[ひがしちょうだふんぼぐん]
東町田墳墓群[ひがしちょうだふんぼぐん]
分類 | 史跡 |
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指定別 | 国 |
所在地 | 大垣市昼飯町字東町田 |
所有者 | 大垣市 |
指定年月日 |
平成29年2月9日 |
岐阜県西南部、金生山(きんしょうざん)麓から派生する標高15から18mの段丘上に、弥生時代終末期から古墳時代前期にかけて築造された墳墓や古墳が所在する。
台地南西縁辺部には、弥生時代終末期に築造された直径17.6mのものなど2基の円形墳丘墓が良好に遺存し、近接して同時期の一辺が10m前後の方形周溝墓2基が存する。古墳時代前期に下ると墓域は東方に移り、墳長22mものなど2基の前方後方墳(前方後方形周溝墓)と、一辺14mのものなど3基の方墳(方形周溝墓)が築造された。遺物としては、口縁部内面に人物、外面の胴部上半には切妻高床建物、シカなどの動物を描いた絵画土器や水銀朱が付着する石臼などが出土した。
この古墳群は、方形周溝墓が一般的であった弥生時代終末期に円形墳丘墓を採用し、その後に前方後方墳と方墳が築造される段階を経て、前方後円墳が安定的に築造される古墳成立期における東海地方の状況を良好に示している点で重要である。また、線刻絵画土器や水銀朱に関係した遺物は、当時の人々の精神世界や葬送儀礼のあり方を知るうえでも重要である。
