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西高木家陣屋跡[にしたかぎけじんやあと]
西高木家陣屋跡[にしたかぎけじんやあと]
分類 | 史跡 |
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指定別 | 国 |
所在地 | 大垣市上石津町大字宮 |
所有者 | 大垣市、個人 |
指定年月日 |
平成26年10月6日 |
高木家は、関ヶ原の合戦での軍功によって時・多良の地を与えられ、慶長6年(1601)、この地の領主として入部して現在地に陣屋を構えた。高木家は三家あって交代寄合美濃衆と呼ばれ、旗本ながら大名の格式が与えられて知行地の多良に在地し、参勤交代もおこなっていた。また、寛永年中(1624から1644)には美濃の普請奉行を、宝永2年(1705)より美濃、伊勢、尾張の川奉行を勤めていたと伝わる。
西高木家の遺構は高台にあり、自然の要害をなしている。記録や棟札によると、現在の主屋は明治29年(1896)に建てられたもので、一部は取り壊されているものの玄関と書院座敷部分は残っており、近代の建物ながら上級武士の住居の格式をよく残している。棟札によれば長屋門は嘉永5年(1852)の建造とあり、土蔵は文政10年(1827)の棟札を有している。
江戸時代の屋敷の状況を示すものとして、元禄(1688から1704)から享保(1716から1736)の頃と推定される絵図と文政11年(1828)および同12年(1829)の絵図がある。
