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加納城跡[かのうじょうあと]
加納城跡[かのうじょうあと]
分類 | 史跡 |
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指定別 | 国 |
所在地 | 岐阜市加納丸之内 |
所有者 | 岐阜市、文部科学省 |
指定年月日 |
昭和58年10月28日 |
慶長5年(1600)に関ケ原の合戦に勝利した徳川家康が、西に備えるための要衝として、本多忠勝に築かせたのが加納城の起源とされるが、一方でそれ以前に、この地には上加納城があったとする説もある。城郭は、本丸、二の丸、三の丸、厩曲輪、南曲輪を備え、岐阜城から天守閣を移築するなどして、櫓、城門、居館などを整えたという。当時の城としては相当な規模の平城で、慶長6年(1601)、奥平信昌が10万石の城主としてこの地に封じられた。その後も城主はたびたび交代したが、宝暦6年(1756)に永井直陳が入封し、永井氏6代で幕末に至った。北側の清水川を利用して堀が築かれ、その周囲には侍屋敷が設けられていた。現在は、本丸跡を中心にして加納公園となっており、門跡や石垣などに往時を偲ぶことができる。
